おとぼけ歴史クイズ

 唱歌『赤い靴』を履いていた女の子は、その後どうなったでしょうか
放送日
2014.04.24

 みなさん、童謡の「赤い靴」ご存知ですよね。「異人さんに連れられて行っちゃった。横浜の波止場から船に乗って・・・今では青い目になっちゃって、異人さんのお国に居るんだろう・・・」と野口雨情が作詞しました。実は、野口がモデルにした女の子がいて、岩崎きみちゃんと言います。母子家庭で、母が北海道開拓に出かける際(M38)に、横浜の異人さんの養女(当時2歳半)に送り出したそうです。そして異人さんは本国からの帰国命令でアメリカへ渡った(M40)そうです。
 さあ、女の子の後日談が、最近明らかになってきました。その後、赤い靴の女の子はどうなったのでしょうか。次の3つのうち、正しいのはどれでしょう。
@ アメリカで高等教育を受け、富豪の息子と結婚し、夫の死後に日本へ帰国して、女学校を設立した。
A 早い時期にアメリカから帰国し、三菱財閥の岩崎家の養女となっていた。
B 不治の病結核にかかって船に乗れず、日本の孤児院に引き取られて亡くなった。
正解はB
 昭和54年に北海道テレビのドキュメントのための調査で判明。きみの妹からの投書が発端(S48)でした。異人さんとは、アメリカ人のメソジスト派の宣教師さん。アメリカに連れ帰ろうとしたが、実際は、結核患者のきみちゃんは乗船を拒否され、やむなく東京麻布の孤児院に引き取って貰いましたが、数年後死亡。岩崎きみの母は、岩崎かよ。18歳できみを私生児として生む。北海道開拓に行った先は、虻田郡(あぶた)真狩(まつかり)村(現在の留寿都(るすつ)村)。有珠山にほど近い村です。

  赤い靴関係の記念像があるのは、
@横浜山下公園、A日本平(母子の生誕地)山頂、B孤児院跡の東京麻布十番、C北海道の赤い靴公園
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