郷土の今昔物語(丹波地域)

郷土の今昔物語(丹波地域)

●丹波(1)  「黒井町の風流神踊」(丹波市)
(昭和初期)
 氷上郡黒井町稲塚の鎮守の祭に行はれる古風の歌舞で、風流は優美なるの意味を持つと共に、舞踊そのものを示したフリウの意味も合せ、神踊は神事舞踊のことである。音頭取り3名、太鼓役4人、小太鼓役2人、新發意と稱して唐ふ(国構えに専)扇持つ者4人極めて古雅なる歌に合せて舞ふ。起源の年代は不明だが、延寶6年に演じた記録があり、一時中絶し天保9年に再興、明治初年に中絶、日清戦役に復活し今日に至り、雨乞い、豊年祝ひにも踊り、昔は米100石の経費を要したので百石踊とも云った。
(現在)
 元禄時代に京都から移り住んだ綾部氏が大歳社の宮守の時に、祭礼(八朔の宵)として伝えた。別名「ザンザン踊り」とも呼ばれ、雨降り音ザンザンを形容しており、五穀豊穣、氏子安泰を願って奉納された。昭和44年に丹波市(当時は春日町)の無形民俗文化財に指定された。現在は、秋祭として、毎年10月第2日曜に、偶数年(元号)は御歳神社(稲塚)で、奇数年は八幡神社(大野)で披露される。
●丹波(2)  「柏原盆地)」(丹波市)
(昭和初期)
 丹波高原は標高の類似した準平原の山地であるが、その間には断層も縦横にあって自から變化がある。それに河水の侵蝕も手傳って溪谷や小盆地に富んでゐる。この柏原(丹波國氷上郡)の如きはその標式的の谷の盆地の一例で、丘陵性山地の散在、加古川上流の蛇行侵蝕、谷盆地中心の都會、耕地の散在等この地方の景色がよくあらはれてゐる。
(現在)
 古来、平原の山地と称された柏原盆地は、日本海に流れる由良川の、瀬戸内海に流れる加古川の分水嶺で、100mに満たない日本で一番標高の低い分水界である。自然のみならず、動植物、人間の移動交流のルートであったようである。
 柏原一帯は、氷上郡6町から合併して現在は丹波市となり、人口約6.7万人。阪神間から鉄道や自動車でのアクセスも近く、農林業が中心ではあるが、近代工業の立地も多く、行政機関や商業施設などあって、大都市近郊の街となって賑わっている。
(参考資料:昭和4年改造社発行『日本地理体系第7巻近畿編』より)

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