小説『少年H』の舞台、神戸の下町を巡る
  (郷土史にかかる談話 46)
小説『少年H』の舞台、神戸の下町を巡る
 JR「鷹取駅」から海辺の駒ヶ林の浜までの一帯が、小説『少年H』の作者、妹尾河童(肇)氏(県立兵庫高=旧神戸二中の大先輩)が幼少期から少年期・青春期を過ごした地です。

イメージ写真。Hの家(本庄町6丁目) 、高級紳士服仕立 妹尾洋服店はこんな感じの佇まいだった。
 妹尾家は、Hが幼少の頃、商売の中心地、三宮の少し山手の加納町から、須磨に近い所に引っ越しました。元町や三宮から遠くなるのは洋服屋商売にとって不利で、引っ越した地は、市場、映画館が並ぶ商店街、飲食店、風呂屋、鉄工所やゴム工場と、木造住宅や学校などが混在する下町でしたが、海や山など自然に近く、子育てを考えると、かえって庶民的でいい環境の地と思われたのです。
 名前のHの由来は、小学校1年生のときに、母が彼のセーターに、神戸にいたあこがれのキリスト教宣教師のミセス・ステープルスさんがセーターの胸に英語の名前を入れていたのを真似て、ローマ字で“H.SENO”としたが、3年生の時に“H”だけにしてもらったから。もとより、Hとは名前の“肇(はじめ)”のイニシャルです。
 小説『少年H』は、妹尾河童(肇)氏が、少年期、青春期を通じて、戦前・戦中・戦後の激動の時代に生きた庶民側から見た自伝的小説です。庶民がいかに戦争に翻弄され、感じ、行動してきたか、戦争の不条理を、また戦争を生き抜いてきたあまり語られることのなかった庶民の名もなき家族の思いを伝えています。
 『少年H』の舞台は、両親の実家のあった広島県を除いて、現在の神戸市の長田区・兵庫区・須磨区・中央(葺合)区、北(兵庫)区が中心です。Hが育った長田の下町、JR鷹取駅の南側一帯、映画館が並ぶ新開地や、西の新開地と称せられていた大正筋・六間道辺り、神戸二中(現、県立兵庫高)、駒ヶ林海岸や須磨海岸、板宿の奥の小父さん宅、馬場が近くにあった平野の祇園神社と行軍演習に行った有馬街道、卒業後勤めたトーアロード周辺などなど。
 小説『少年H』は、テレビドラマとして、1999年に『少年H〜それが僕たちの戦争だった〜』、2001年に『少年H〜青春篇〜』が放送され、また、2013年に『少年H』に映画化されました。
 その舞台となった地は、当時の面影はほとんど消えて、戦後復興や震災復興を経て、新しい街の装いを見せています。今、物語・小説の舞台を、当時の姿に思いを馳せながら巡るツーリズムが人気になっています。是非、映画鑑賞、小説片手に散策いかがでしょう。(2013年7月)

当時、Hが通った神戸二中

神戸二中から県立兵庫高へ。正面玄関ロータリー
●小説『少年H』の主な舞台

Hの家:鷹取駅を海の方へ降りた本庄町6丁目の洋服屋「高級紳士服仕立 妹尾洋服店」、Hの家があった辺り。斜め前にうどん屋の兄ちゃん(赤盤の兄ちゃん)の家があった。

教会:H一家が通っていた教会。焼け出されたH一家が一時避難していた(本庄町3丁目)。

長楽小学校:Hたちが通っていた長楽小学校跡。その跡に現在建っているのは駒ヶ林小学校(野田町6丁目)。

松竹館:西の新開地と称せられた華やかな大正筋商店街にあった映画館はこの附近。オトコ姉ちゃんが映写技師として勤めていた(久保町6丁目)。

ガソリンスタンド跡:徴兵忌避をしたオトコ姉ちゃんが自殺したガソリンスタンド跡があった。現在は別のガソリンスタンド(国道2号線沿い、浪松町5丁目)。

駒ヶ林浜:家から褌一丁で街中を走って行ける南へ300mほどの砂浜で「ぼくの海」。現在はフェンスに囲まれ、隙間からしか覗けない(本庄町8丁目、駒ヶ林南町)。

松竹座:新開地の映画館。当時上映されていた映画の広告マッチラベル。

消防署:戦争中、Hの父が勤めていた消防署があった辺り(鷹取町2丁目)。

神戸二中:Hたちが進学した神戸第二中学校。食糧難時代、旧校舎の前のテニスコートは芋畑に。 Hも一時隠れ住んていた。現在の県立兵庫高(寺池町)

二中乗馬部の馬場:平野の祇園神社のすぐ近く、有馬街道の麓にあった。

有馬街道:二中射撃部の夜間行軍演習に出かけた、平野からの登り口。

落合射撃場:二中射撃部が練習に通っていた射撃場は、現在の地下鉄名谷駅の北側にあった落合池の周りの谷筋に。

ライジングサン:当時は石油備蓄基地として軍事機密地帯。金網や塀で囲まれていたが、よく潜り込んで、須磨の浜への近道をしていた。現在も昭和シェル石油とJX日鉱日石の油槽所がある(駒ヶ林南町)。

原っぱ:ライジングサンの北部に隣接する広場。空襲の中、Hが母親と逃げ込んで助かった原っぱ。現在は娯楽施設とスーパーが立地する(浪松町6丁目)。

鷹取館:近くに映画館鷹取館があった辺り。生徒補導連盟の臨検から逃れ、便所の窓から逃走(日吉町6丁目)。

羽田野の小父さんの家:鷹取の北、板宿の少し奥のこの附近。裏山には現在、須磨学園が建つ(須磨区明神町2丁目)。

三菱電機:和田岬にある三菱電機の工場。神戸二中から学徒勤労動員や学校工場での行き来があった。ここで、アメリカ兵の捕虜確保の手伝いをさせられる(兵庫区和田崎町)。

戦災者住宅:当時の若松国民学校を改造し、焼け出されたH一家たちが入居した戦災者住宅となった。現在は、駒ヶ林中学校(若松町7丁目)。

須磨駅西のガード:Hが列車に身を投げようとした鉄道ガードのある附近。

フェニックス工房:Hが二中卒業後、小磯良平画伯の紹介で勤めた看板屋があった辺り(下山手通3丁目)。
●その他舞台となったところ

鷹取山:北へ4qで登頂できる山で、「ぼくらの山」とする親しい遊び場の一つ。現在でも毎朝登山の人気の山。

鷹取機関区:鷹取駅の北側にある日本一の鷹取操車場。蒸気機関車が行き交うなか、ここに潜り込んで遊んでいた。現在は、車両整備工場は廃止され、住宅と貨物集積場に。

引込線:鷹取駅からライジングサンまで貨車が出入りする鉄道の線路。船から陸揚げされ備蓄されていた石油を鉄道に積み替え輸送をしていた。昭和中期まで、鷹取駅南専用線として活用されていたが、今は廃線跡となり完全に撤去されている。

三角公園:家の近所で、キリスト教の街頭伝道の野外集会用テントが仮設されていた公園。現在では、大国公園という(本庄町2丁目)。

長楽市場:市場があったが、現在では廃止され、住宅と工場に変わっている(長楽町6丁目)。

六間道:西の新開地と称せられた繁華街。大正筋に繋がって映画館や飲食店なども多くあった商店街(二葉町2〜5丁目)

旧二葉小学校:長楽小学校の代わりにTVドラマの撮影現場となった。当時の長楽小学校もこんな感じだった(二葉町7丁目)

須磨浦公園:戦後になって「八紘一宇」の塔が取壊され、昭和29年の全国植樹祭(神戸)に併せて「みどりの塔」が建てられた。

鷹取駅:最寄の鷹取駅。当時は兵庫駅の西方次の駅だった。現在の新長田駅は未だなかった。阪神淡路大震災後、モダンな駅舎になった。

敵国性外国人収容所:戦時中、敵対していた国の在住外国人を収容していた。板宿の奥北の白川の丸山に近い所にあった。

湊川神社:忠臣、楠木正成を奉った神社。新開地の東、神戸駅の北側にあって、勤労奉仕によく行っていた。

須磨の海岸:Hたちがよく遊びに行っていた大きくて白砂青松の須磨の海岸。

会下山:二中射撃部の先輩と、不測の事態に備えて、また戦争との決別に、保管していた銃を埋葬した会下山の北側附近。

進駐軍の病院:進駐軍イーストキャンプの西、旧居留地の大丸百貨店近くのこのビル? 米軍の銃のデッサンさせてもらいに、似顔絵を描く。

湊川公園:旧湊川河川敷を埋め立てた公園で、新開地の北側にあった。戦後は、戦災者住宅や集会、演説会などに使われていた。

市営住宅:H一家が、戦後入居することになった市営住宅が高台の斜面に建っていた辺り(葺合の中央区野崎通4丁目)。

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