搭乗機炎上であわや事故死!(シンガポール)
 
ツーリズム関連のレポート・エッセイ集 21)
搭乗機炎上であわや事故死!(シンガポール)
『香港駐在生活・こぼれた話こぼれなかった話』(中嶋邦弘)より
2002.2.1 神戸新聞総合出版センター 発行
 インドネシア、ジャカルタ郊外のスカルノ・ハッタ空港を離陸した私たちの乗ったG航空の最新ジェット旅客機は、順調に飛行を続け、目的地シンガポールのチャンギー空港へと着陸体制に入った。
 駐在員達の間では、普段G航空が使っている機体はセコハンやサードハンが多くて故障がち、しかも延着、欠航が当たり前で、あまり乗りたくない代物との評判。しかし、今日のこの機体は、何と最新型で、しかも座席のビニールカバーを取り去ったばかりの新車特有の匂いがする。本当にピカピカの最新鋭機だ。
 1988年8月、インドネシア第2の都市スラバヤで開催されたアジア・アセアン駐在自治体会議に参加し移動の途中のこと。
(右写真:シンガポールに向うスマトラ上空で見た搭乗機の「ブロッケンの妖怪」。陽を受けて山の尾根に立った登山者の影が、上空の雲に映されて妖怪のように見えることから名付けられている。不吉な予感?)
 チャンギー空港は、シンガポール島東端に広大な敷地を持ち、設備も最新で、アジアのハブとしてシンガポール政府が威信をかけて整備をしている。搭乗機は、海側から徐々に滑走路に近づき、極めてスムーズに着地した。
 心持ちオーバーラン気味に滑走した後、滑走路上で急制動、急ブレーキのままガクッと急停止!。

(炎上する搭乗機に駆けつけて来た消防車、救急車、消防パトカー。畿内窓口から撮影。機体周囲は煙にまかれている)
  座席から前にほりだされるようにつんのめり、悲鳴が機内をこだまする。普通なら誘導路に入って走り続けるのだが、機内では、尋常ではない止まり方に加え、でしばらくそのまま動かず、ざわめきが広がった。
 後方座席にいた仲間、シンガポール駐在のM氏から、
   「おーいっ! 翼の下から煙が出てるぞ!」
   「えっ。何だって! 煙?火事か。」
 飛行機火災なら大変だ。しかし、機内アナウンスは何も無し。スチュワーデスもアシスタント・パーサーも何も言わない。ただ右往左往するのみ。すぐにサイレンを鳴らして近づいてくる車群が右の窓の外に見える。消防車と救急車、火災パトカーなどだ。乗客のほとんどが窓に顔を寄せて、固唾を飲んで事態を見守っていた。車群が機体の周りに集まったかと見ると、消火材の吹き付け。あっと言う間の鎮火。
 見事といえば見事な手際よさ。その後もしばらくその場を動けず、鎮火した様子であるが再発火の不安などもあって、機内では誰も押し黙っている。外では数人の整備員や消防士達が翼の下に入ったり出たりして点検作業に余念がない。15分ぐらい経ってやっと機内アナウンスがあった。着陸の際に脚の車輪のブレーキが過熱して延焼したが、すぐに消し止めたからもう心配は無い、とのこと。アナウンスを聞いても、本当かどうか、また発火するのではないか、と不安が消えない。
 広い空港のそれもかなり端っこの滑走路に止まっていることもあり、牽引車が遥か離れた空港ターミナルからやってきて、機体をゆるゆると引っ張って何とか到着。事故を起こした機体から全員逃げるように降りて、ターミナルビルに入り、やっと気持ちが平常に戻る。
 「冗談やないで、全く。すぐに消えたからよかったものの、何で機外への退避誘導しないのだ。」
 落ちついてくると、だんだん腹が立ってきた。
 『着陸に失敗して、炎に包まれる機体!』という以前の大事故の写真が頭をかすめる。その後の1991年にも花巻空港で着陸失敗、機体炎上という事故があった。
 丸焼けになったり、総員退去の大パニックにならないでよかったなあ、という不幸中の幸いに安堵感を胸に抱いて、イミグレ、通関へ。(1988年9月)

(シンガポール空港滑走路の端から30分ほど牽引されてターミナルビルに近づいて行く)

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