執筆活動
 遣唐使がテーマの歴史ロマン小説における史実(古文書記録)と推理創作の醍醐味
 ・・・『遣唐大使〜平城の華、長安の夢〜』
遣唐使がテーマの歴史ロマン小説における史実(古文書記録)と推理創作の醍醐味・・・『遣唐大使〜平城の華、長安の夢〜』
  遣唐使といえば、阿倍仲麻呂や吉備真備、朝賀の儀での席次争い、鑑真和上の来日などは良く知られている。しかし、そのほかについては当時の歴史的記録自体も多くなく、研究成果としての学術専門書以外に一般図書で手に取ることはあまりできませんでした。 昨今の歴史探求志向や国際交流の常態化を背景に、命を懸けて先進文化導入の使命に挑戦し、しかも今まであまり知られることの無かった遣唐使たちに注目が集まっています。
 しかしながら、種々の古文書に残された遣唐使関係の記録や当時の政治情勢などから窺い知れることは、あまりも少ないのです。
 その歴史の空白を埋める出来事は何だったのでしょうか。その推理に頭を巡らして、遣唐使物語の切れた糸を結び直すという、歴史を探る新しい楽しみがここにあります。歴史上の出来事や事件をテーマに、史実を踏まえて外さない。記録に残る出来事と出来事の間の、書かれていない部分の展開を推理創作する。
 すなわち、史実と伝わっている事柄を改変しないで、ストーリーをドラマティックに思い巡らす。 これが正しく「歴史ロマン」なのです。
 2010年の「平城京遷都1300年」に上梓した拙書『遣唐大使〜平城の華、長安の夢〜』(奈良新聞社発行)は、この手法によって取り纏めました。執筆中においても、私自身が推測した謎の事情が歴史の中に展開して行くことに心躍る思いをいたしました。拙書の「目次」に従って、史実と拙書に示した推理創作について検証してみましょう。
1.取り上げた遣唐使団
遣唐使
時期
主な遣唐使一行
特記事項・留学生留学僧
養老 716年年(霊亀2年)〜718年(養老2年) 多治比県守(押使)、阿部安麻呂(大使=途中辞任)、大伴山守(大使)、藤原馬養(副使) @留学生として、吉備(下道)真備、阿倍仲麻呂、その従者羽栗吉麻呂、井眞成
A留学僧として、玄ム
天平勝宝 750年(天平勝宝2年)〜753年(天平勝宝5年) 藤原清河(大使)、大伴古麻呂(副使)、吉備真備(副使) @朝賀の儀での新羅との席次争い
A鑑真和上の密航手引き
B藤原清河、阿倍仲麻呂、難破して唐に戻る
宝亀(1) 775年(宝亀6年)〜778年(宝亀9年) 佐伯今毛人(大使=途中辞任)、大伴益立(副使=途中辞任)、藤原鷹取(副使=途中辞任)、小野石根(執節副使)、大神末足(副使) @当初の大使副使が途中辞任
A大使なしで、執節副使が訪唐
B朝賀の儀に間に合わず
C帰路、難破
宝亀(2) 778年(宝亀9年)〜781年(天応元年) 布勢清直(送唐客使) @唐使が帰国するに同行する
延暦 801年(延歴20年)〜805年(延歴24年) 藤原葛野麻呂(大使)、石川道益(副使) @往路に渡海中止や難破
A留学僧に、空海、最澄
2.主な登場人物(キャスティング)
関係国
日 本
新 羅
実在
(古文書記録)
光仁天皇、山部親王=桓武天皇、他戸皇子、藤原葛野麻呂、藤原小黒麻呂、佐伯今毛人、小野石根、大神末足、大伴継人、羽栗翼、藤原清河、大伴古麻呂、阿倍仲麻呂、吉備真備、藤原種継、井眞成 代宗皇帝、陳少遊、揚光耀、趙宝英、羽栗翔、喜娘  
推理創作の付加 葛井良成、秦韓仁 杜蘭豆、兵朴潘、劉喜静、鑑継延 キム・チム、イ・ドンス、レン・デヂョ、レン・ユシ、キム・シンイル
 ※主な登場人物像の推理創作の設定について
  @藤原葛野麻呂:山部親王の隠し子(藤原小黒磨は実は養父)。他戸皇子の身代わりで遣唐大使を拝命する。(延暦の実の遣唐大使)
  A葛井良成:阿倍仲麻呂と共に養老の時に渡唐した留学生の井眞成の孫。
  B陳少遊:兵朴潘と杜蘭豆公主(姫)と人質留学だったキム・チムの幼少時の養育係。
  C喜娘:遣唐大使ので帰国できなかった藤原清河の忘れ形見(娘)だが、葛野麻呂扮する他戸皇子に恋する。
  D杜蘭豆: 代宗皇帝の公主(姫君)(正妻の子ではない)。
  E兵朴潘:代宗皇帝の皇子(正妻の子ではない)で兵宰相の子に下る。杜蘭豆と兄妹。
  F劉喜静:藤原清河の夫人で、喜娘の母親。杜蘭豆の乳母。
  Gキム・チム:新羅の皇子遣唐大使で、幼少の頃、人質として唐に居たことがある。杜蘭豆公主と幼馴染。
  Hイ・ドンス: 新羅の遣唐副使で、天平勝宝の時の唐の行事「朝賀の儀」で日本と席次争いをした当時の遣唐使の息子。
※ネーミングの遊び(推理創作した登場人物)

創作したキャラクターの命名
ヒントにした物語のキャラクター
唐の公主(皇帝の娘)「杜蘭豆」の発音は、「トュラントゥ」 昔の中国の公主「トゥーランドット」
藤原葛野麻呂(他戸皇子)が皇帝から授かる唐名「唐芙」の和音読みは、「カラフ」 ダッタン国の皇子「カラフ」
唐公主の乳母「劉喜静」の姓「劉」の発音は、「リュウ」 ダッタンの皇子カラフのお付の奴隷娘「リュー」
唐宰相補の「兵朴潘」の発音は、「ピンポッパン」 中国の3人の大臣「ピン」「ポン」「パン」
新羅の皇子、キム・チムの名は、「チム」 ダッタン国王「チムール」
※もうお判りのように、命名のヒントにした物語は、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」です。この劇中、カラフが歌う「誰も寝てはならぬ(ネッスンドルマ)」は有名ですね。イタリアのトリノ・オリンピックの開会式で、世界的テノールのルチアーノ・パバロッティも歌いました。アリアの歌詞の最終フレーズ、「勝つのは私だ〜〜」と。 
3.ストーリーの展開における史実と推理創作の対比(目次の順による)
(1)小野唐塾
実在
(古文書記録)
775.06.19 遣唐使を任命。大使に佐伯今毛人、副使は大伴益立と藤原鷹取。葛野麻呂20歳。
775.08.29 遣唐録事の羽栗翼(57歳、正七位上)に外従五位下を授けて准判官に任じる。
776.04.15 光仁天皇、佐伯今毛人大使に節刀。藤原鷹取は既にお役御免。
776.08.06 博多に引返し、出発延期を都へ報告。
776.11.15 佐伯大使、都に帰り、節刀を返上。大伴益立副使の更迭。小野石根、大神末足を
       副使に任命。
推理創作付加 遣唐使を養成する私学校「小野唐塾」。藤原葛野麻呂の親友でライバルの葛井良成が遣唐使節(大使の通訳・従者)に登用。 
(2)大使拝命
実在
(古文書記録)
771.01.23 他戸親王、立太子。
772.03   他戸親王の母、皇后の井上内親王、大逆罪により廃后。
772.05   他戸親王、廃太子。
773.01   山部親王、立太子。
775.04.27 他戸親王(25歳)、母の井上内親王と共に死亡。
777.02   春日山の麓で、天神地祇を祭る。
777.04.17 光仁天皇、大使に再節刀。佐伯大使、出発するが羅城門で止まる。
777.04.22 大使輿に乗って難波へ、動かず。
777.06.01 副使2人に勅が下りる、出発へ。小野石根に執節副使として節刀、借三位。
推理創作付加 山部親王より他戸皇子(誣告事件連座で失脚し幽閉中とされている)の身代わりで遣唐大使を拝命した藤原葛野麻呂。秦韓仁に唐・新羅での情報収集を命ずる。 
(3)難波津出航
実在
(古文書記録)
755     藤原葛野麻呂、生まれる。山部王18歳。
推理創作付加 遣唐使一行の船を見送る山部親王と藤原小黒麻呂。葛野麻呂誕生の秘話。 
(4)大宰府到着
実在
(古文書記録)
 
推理創作付加 送迎使葛野麻呂から他戸皇子大使への身代わり。秦韓仁から唐での各国皇子比べ企画との情勢報告。 
(5)天平勝宝の席次争い
実在
(古文書記録)
753.01.01 含元殿で玄宗臨席の下、朝賀の式にて新羅と序列争い。
753.10.15 揚州延光寺に鑑真和上を訪ねる。
753.10.29 鑑真和上一行、揚州の龍興寺を出発。鑑真和上の
遣唐使船搭乗を断念。
753.11.10 大伴古麻呂、鑑真和上を第二船に匿う。
753.11.13 普照、第三船に合流。
753.11.16 蘇州黄泗浦から帰国の途へ。
753.11.20 第三船、阿児奈波島(沖縄)に到着。
753.11.21 第一船、第二船も阿児奈波島(沖縄)に到着。
753.12.06 阿児奈波島(沖縄)を出発。第一船座礁。後、東シナ海を驩州(ベトナム北部)に漂着。
推理創作付加 天平勝宝の時の朝賀の儀における日本と新羅の席次争いの様子。 
(6)渡唐南路
実在
(古文書記録)
777.06.24 肥前国松浦郡の橘浦(玉之浦)を出航、東シナ海へ乗り出す。
推理創作付加 葛井良成、葛野麻呂身代わりを悟る。 
(7)唐の大地を踏む
実在
(古文書記録)
777.07.03 第1船、第3船、揚州海陵県に到着。
777.07   第2船揚州海陵県へ、第4船楚州(塩城県)に到着。第1船、第2船は長江河口へ回漕。
777.08.29 江南の揚州(大都督府の所在地)で一行合流。
       節度使兼長使(州の書記)陳少遊が指示、上京60人限定案、65人に。
777.10.15 揚州を出発。高武(郵)県に到着、上京20人指示に交渉結果43人で、長安へ。
推理創作付加 陳少遊が、昔養育した皇子(兵朴藩宰相補)を紹介すると約束。 
(8)洛陽郊外の白馬寺
実在
(古文書記録)
 
推理創作付加 その昔鑑真和上を招請した唐招提寺の普照大師から、洛陽白馬寺大僧正の鑑継延への手紙。白馬寺での新羅遣唐使一行と遭遇。白馬寺広場の謎解き対決。新羅のイ・ドンス、従者のレン・デヂョを日本へ実情調査に派遣。 
(9)車中対談
実在
(古文書記録)
778.01.13 代宗皇帝の使い趙宝英(内侍省掖庭令)が長安東部の長楽駅に出迎え。
       長安市街の迎賓館に逗留。
推理創作付加 新羅の大使キム・チムと他戸皇子(葛野麻呂)との道中での馬車に同乗して会談。 
(10)長安、朝賀の儀
実在
(古文書記録)
778.01.15 一行、大明宮の宣政殿で表敬、皇帝は出席せず、宰相たちとの会見。
       朝貢品等を献上、国書の伝達。
推理創作付加 朝賀の儀の様子。 
(11)美姫、杜蘭豆公主
実在
(古文書記録)
 
推理創作付加 杜蘭豆公主(姫君)との懇談(各国皇子比べ)。公主の3つの課題を解く他戸皇子とキム・チム。杜蘭豆および兵朴藩と併せて4名、交友を深める。 
(12)羽栗翔との再会
実在
(古文書記録)
759.10.18 羽栗翔(40歳未満?)、遣唐録事として入唐。清河、帰国の許し下りず。
761.11.03 録事の羽栗翔、藤原清河の所に留まって帰国せず。
778.03.22 大明宮の延英殿で代宗に目通り。各種の申請、唐の官職を授けられる。
778.03.24 皇帝と面会。
778.04.19 遣唐使世話役の揚光耀、皇帝の言葉(答礼使の件)を伝達。
推理創作付加 公主の付き人だった喜娘の宿舎訪問と、好意を持った留守役の葛井良成と出逢い。代宗皇帝の計らいで、唐と日本とで離れ離れだった羽栗兄弟の引き合わせ。 
(13)清河、仲麻呂の墓参
実在
(古文書記録)
734.01   井眞成(36歳)、唐にて没す(墓碑銘)
734.02.03 井眞成、万年県の河の東の原に葬られる。
推理創作付加 清河、仲麻呂の墓はさん水郷にあり。日本の実情調査に派遣した新羅イ・ドンスの従者レン・デヂョ、帰国の報。 
(14)藤原清河の忘れ形見、喜娘
実在
(古文書記録)
 
推理創作付加 代宗皇帝から藤原清河の忘れ形見、喜娘と夫人の劉喜静を紹介。公式会見の内容。 
(15)良成の祖父、井眞成
実在
(古文書記録)
717.10.01 押使一行、入京。留学生として吉備(下道)真備、阿倍仲麻呂(17歳。19歳?)と
       その従者羽栗吉麻呂、井眞成(19歳)も加わる。留学僧として玄ムらが随行。
推理創作付加 養老の時の遣唐使一行に井眞成(19歳)も留学生として加わっていた。井眞成の留学事情。良成、羽栗翔の案内で祖父井眞成の墓参。 
(16)長安から揚州へ
実在
(古文書記録)
778.04.22 皇帝の勅を受ける。
778.04.24 代宗に拝辞。揚光耀に付き添われ、趙宝英(従七品下)とともに揚州へ出発。
778.06.24 揚州に帰着。
推理創作付加 龍門の石窟訪問。他戸皇子(葛野麻呂)、洛陽郊外の北ぼう山での公主とのランデブー。杜公主の他戸皇子との婚姻の決意表明、キム・チムの嘆き。養育係だった陳少遊との再会。 
(17)蘭豆公主たちとの別れ
実在
(古文書記録)
 
推理創作付加 出港の地、蘇州での最後の別れの宴。キム・チムに公主の後事を頼む他戸皇子(葛野麻呂)。他戸皇子に思いを寄せる喜娘と、母の劉喜静の手筈。他戸皇子(葛野麻呂)と公主との二人だけの唐最後の逢瀬。 
(18)日本へ
実在
(古文書記録)
778.09.03 第1船、第2船、揚州を出発、蘇州の常熟県で風待ち。
778.09.09 第3船、揚州海陵県を出航。
778.09   第4船、楚州(塩城県)から出航。 
778.09.11 第3船、座礁、船体損傷、修理へ。
778.09.16 第3船、再出航。
推理創作付加 共にお互いを心配しあう葛野麻呂と良成。 
(19)台風襲来
実在
(古文書記録)
778.09.23 第3船、肥前国松浦郡橘浦(長崎県五島列島)に着く。
778.09   第4船、耽羅嶋(大韓民国済州島)に漂着。
       判官海上三狩ら捕われ、録事韓国源ら40人は逃亡し帰船。
778.11.05 第1船、第2船、蘇州常熟県を出航。
778.11.08 第1船、午後8時頃、難破。
778.11.10 第4船、薩摩国甑郡に帰還。
778.11.11 第1船、午前4時頃、船体分断。
778.11.13 第1船分断の舳は真夜中に肥後国天草郡の西仲島(鹿児島県長島)に漂着。
       艫も薩摩国甑嶋郡(鹿児島県上中下甑島)に漂着。
       第2船、薩摩国出水郡(鹿児島県出水市)に帰着。
推理創作付加 難破漂着した海岸で、遭難・行方不明とする他戸皇子から葛野麻呂へ戻る。漂着した葛井良成の失踪。
(20)遭難の後
実在
(古文書記録)
 
推理創作付加 出水郡での遭難した遣唐使船一行の慰労報告会。大宰府で送迎使葛野麻呂が出迎え、再登場。唐側への事後処理(公主を慮って他戸皇子大使の史料記録の除外)を依頼。 
(21)大宰府にて
実在
(古文書記録)
778.11.18 唐使送達のための船二艘を安芸国へ建造命令。
778.11.19 唐使慰労のため、藤原鷹取、建部人上を筑紫に派遣。
778.12.17 唐使孫興進の送唐客使に布勢清直を、甘南備清野と多治比浜成を判官に任命。
779.02.13 朝廷、新羅に大宰府の下道長人を特使として派遣。善処を依頼。
推理創作付加 送迎使葛野麻呂と帰国した遣唐使一行との対面。喜娘の嘆きと驚き。 
(22)一件落着
実在
(古文書記録)
779.03.10 大神副使、羽栗翼ら奈良へ、帰朝報告。羽栗翼(60歳)は従五位下に。
779.04.30 唐使孫興進ら、平城京へ。
779.05.03 唐使、天皇に謁見。
779.05.17 唐使、饗応。
779.05.25 唐使、天皇に辞見。
779.05.27 送唐客使布勢清直、唐使孫興進を送る。平城京を発つ。
推理創作付加 杜蘭豆公主が、新羅のキム・チム皇子へお輿入れ。 
(23)他戸皇子詐称事件と隠蔽工作
実在
(古文書記録)
779.10.17 海上三狩ら唐使の判官高鶴林も新羅使金蘭孫とともに帰国。
779.06.23 周防国の奴が他戸親王を自称し、伊豆に流される。
推理創作付加 皇子詐称事件を起こした周防国の奴が葛井良成、救出、しかし長安滞在から帰国までの記憶喪失。他戸皇子大使の一件を史料等から隠蔽完了。
(24)移りゆく時
実在
(古文書記録)
781.04.03 桓武天皇、即位。早良親王、立太子。
781.06.24 布勢清直ら帰国。
782.12   光仁天皇、崩御。
784.05   藤原小黒麻呂、藤原種継、佐伯今毛人らが長岡視察。
784.11   長岡京へ遷都。
785.09.23 大伴継人、藤原種継を襲撃。
785.09.24 藤原種継、死亡。大伴らを逮捕。
785.09.28 早良親王の廃太子、乙訓寺に幽閉。
786.01   早良親王、淡路配流途中の高瀬橋で餓死。
790.01   佐伯今毛人、没す。
793.03   天皇、藤原小黒麻呂らを山背国葛野郡宇太村の新京予定地に派遣。
794.07.01 藤原小黒麻呂、死去。
796.01.01 完成した大極殿で、天皇、百官の朝賀を受ける。
796     藤原常嗣、生まれる。
798.05.27 羽栗翼(正五位下)、生涯を閉じる、79歳。
800.07.23 早良親王に崇道天皇の謚号を追贈、井上内親王の皇后位を復す。
推理創作付加 小野唐塾での喜娘、葛野麻呂、良成の交流。喜娘の疑念と確信。新羅のレン・デヂョの息子レン・ユシの来日と藤原種継との接触。平安京遷都準備の小野唐塾整理中に発見した大伴継人の遺書と、早良親王事件の真相を知る桓武天皇(山部王)の嘆きと反省。葛野麻呂、喜娘を迎え、藤原常嗣が生まれる。 
(25)延歴、葛野麻呂大使
実在
(古文書記録)
801.08.10 藤原葛野麻呂を遣唐大使、副使に石川道益を任命。
803.04.02 遣唐大使に藤原葛野麻呂、節刀。
803.04.16 難波津を出航。
803.04.21 瀬戸内海で難破。航行を中止。
803.05.22 都に戻り、節刀を返還。
804.03.25 天皇、再び大使、副使の餞別の宴。
804.03.28 藤原葛野麻呂(46歳)、再び節刀を授かる。
804.05.12 摂津国難波津を出航。
804.06   博多津を出航。
804.07.06 第1船、肥前国松浦郡田浦を出航、空海乗船。第2船には最澄乗船。
       第3船、第4船は漂流して筑紫に戻る。
804.08.10 福州長渓県赤岸鎮に到着。上陸できず、福州に回航。
804.09.01 第2船、明州寧波に到着。副使石川道益死す。
804.10.03 福州馬尾港に到る。遣唐使の証明で難儀。空海代筆の書。
804.11.03 福州を出発、長安に向かう。
804.11.15 第2船一行、長安に到着。
804.12.21 第1船大使一行、上都長楽駅に到着。
804.12.23 長安城に入る。宣陽坊の公館を宿舎とする。第2船一行と合流。
804.12.24 監使劉昴に国信、別貢等を進呈。
804.12.25 宣化殿にて礼見。麟徳殿にて徳宗皇帝に対見。
805.01.01 含元殿にて朝賀の儀。
805.01.23 徳宗皇帝崩御により、帰国が遅れる。
805.01.28 服喪。太子、順宗皇帝へ。
推理創作付加 唐の宰相兵朴藩、他戸皇子とよく似た葛野麻呂大使と再会、驚く。 
(26)宰相の館
実在
(古文書記録)
 
推理創作付加 宰相の館へ招待される。兵朴藩の葛野麻呂=他戸皇子の疑念。 
(27)邂逅の席
実在
(古文書記録)
 
推理創作付加 新羅国のキム・チム王、杜蘭豆王妃、劉喜静を招きいれ、葛野麻呂に紹介する兵朴藩。新羅の皇子キム・シンイル(出生の疑問もあるが)を交え、疑いを超えた交歓。 
(28)過去から未来へ
実在
(古文書記録)
805.02.10 大使一行に帰国許可。
805.02.11 大使一行、長安を出発し帰国の途につく(空海は残る)。
806.03.17 桓武天皇、崩御。
806.05.18 平城天皇(安殿皇太子)が即位。
818.11.10 藤原葛野麻呂、死去。
834.01.19 承和の遣唐使、藤原常嗣(藤原葛野麻呂の息子)が遣唐大使に任命。
838.12.27 遣唐使一行、長安に到着。
839.01.13 文帝に拝謁。
839.08.19 藤原常嗣、帰国。
840.04.23 藤原常嗣亡くなる(45歳)。
推理創作付加 全てを知った杜王妃たちとの新しい友情、交流のはじまり。日本、唐、新羅の3国の未来に亘る交流の誓い。葛野麻呂の息子、常嗣が遣唐使として来唐したら、新しい世代の交流の予感。 
宝亀及び延暦の遣唐使一行の行程図
 ※遣唐使に深く魅せられたのは、鑑真和上に伴って日本渡航を図るが難破して海南島に漂着し、洛陽に戻る途上端州(現在の広東省肇慶市)にて病没した日本からの入唐留学僧栄叡大師の記念碑に向き合った時のこと。
 それまでに、井上靖氏の『天平の甍』は興味深く読み、映画も再度の鑑賞を期待しつつ、鑑真和上の恩徳、普照大師や栄叡大師の信念と行動力に感銘していた。幸いにも仕事として海外との文化や経済などの交流事業に携わり、しかも海外駐在員として異国に身を置いて異文化の中を動き回って、嬉しいことや悲しいこと、残念なこと、戸惑いや焦り、諸々身に沁みていたことも加わり、栄叡大師の碑が語りかけてくる言葉に胸が高鳴ったのを思い出します。
                                              (2013年12月)
※この推理創作の解説を踏まえられまして、拙書をお読みいただければ幸いです。
●自著紹介『遣唐大使〜平城の華、長安の夢〜』
(左の写真をクリックしてください。)
●発行「奈良新聞社」へご案内

上のLINKボタンをクリックしてください。
 奈良新聞社「ご案内・出版物」 http://www.nara-np.co.jp/book/index.html
 (書名『遣唐大使』をクリックすると本の解説がでます。)

当研究館のホームページ内で提供しているテキスト、資史料、写真、グラフィックス、データ等の無断使用を禁じます。


※クリックして下さい。
「執筆稼動」メニュー へ戻ります。

※クリックして下さい。
「神戸・兵庫の郷土史Web研究館/郷土史探訪ツーリズム研究所」のトップ・メニューへ戻ります。