郷土の今昔物語(神戸地域)・3北部・西部
(昭和初期) 明石市の東方で、電車汽車の便に恵まれている。この付近一帯は松林で、北に歌敷山の丘陵を負い、南は海岸、明石海峡を隔てて淡路島と相対し、風光明媚、気候温暖である。付近に有史以前の遺物遺跡が少なくない。この地は、明和3年明石の町人小屋掛け茶屋を町奉行に願い出て、初めて旅人の休憩の便にした。明治時代になって公園となり、天下に名声を博するに至った。園内には、写真のように高さ約9メートルの青松が繁茂し、潮風に翻弄されて枝や幹が曲りくねり、その有様は、人が舞う如く、爬虫が蟠る如く、奇観驚異に値する。加えて、海浜は砂白く、淡路島との間には白帆の船が去来して、絵のような風景である。
(昭和初期) 景勝を以って聞える須磨舞子の海岸に沿って、坦々と山陽線の鉄路が走っている。この地は四季を通じて遊覧の場所であると共に又人生の悲劇の行われる所である。京阪神と中心とした稠密な都市の付近にあるから、それらの都市の生活苦にあえぐ人や、処世上恋愛上の煩悶に悩む人が、死出の旅路をこの風光明媚な地に選び、或いは海に或いは鉄道にその貴重な生命を断つ者が1年に多数に上る。 神戸の社会事業家、城女史がその悲哀を救わんがため、十数年前鉄道沿線或いは海岸に「一寸待て」と言う木杭を立てて、このために救われた人が少なくない。それよりこの地方の方面委員が写真にある様な「思い直せ今一度」の標木を立てて景勝の地の浄化を計っている。