郷土の今昔物語(阪神地域)
(昭和初期) 六甲山脈に發源する武庫川がばい爛せる花崗岩の土砂を運ぶ數量は實に夥しい。殊に霖雨數日に及べば非常なる勢で其の土砂を川口に運んでくる。従って嘗ては所謂武庫の入江であった地方も、今はデルタの構成によって却って海岸に甚だ大きい三角洲を作って突出してゐる。此の川口に近き地味不毛なり土地の三角洲上に甲子園の大球場が打ち建てられた。 毎夏の年中行事として數次行はるる中等學校全國優勝野球戦には數萬のファンを集め、其のスタンドに起る歓聲は六甲山に木魂する位である。寫眞は中央に見ゆる階段がスタンドで後方の山脈は即ち六甲山脈である。
(昭和初期) 阪神電鐵株式會社が百六十萬圓を投じ三年を費して竣工した一萬四千坪の大野球場で、鐵傘に蔽はれた鐵筋コンクリートの大スタンドは八萬人を収容することができる。圖は例年八月大阪東京両朝日新聞主催の全國中等學校野球大會の一場面である。又この運動場は松林を背景として秋は菊花壇が開かれ、夏は附近の海濱が海水浴場となる。