郷土の今昔物語(但馬地域)
(昭和初期) 兵庫縣城崎郡に在って戸数2,500。柳行李、バスケットの産地として著はる。圓山川の左岸に突出した第三紀層の山脚を城に利用し、其の下に出来た城下町で、町の成立の地理的原因は福知山に似てゐる。大正14年5月24日の地震の為に町の大部分を焼失しtが全く復興し、道路も震災後新しい計畫によって設けられた。 寫眞は郵便局、町役場附近より停車場を望んだもので、右に見えるのは郵便局である。停車場から大通を東に歩めば圓山川に達する。圓山川は豊岡城の濠に利用せられたが近時度々氾濫したので、大正9年より治水工事に努めてゐるから、今後は其の憂を絶つであらう。河口にかけて舟運の利も少くない。