松風村雨の姉妹と在原行平の出逢いの謎
今を去る1100年以上前のこと、平城天皇の孫にあたる在原行平(「伊勢物語」で有名な在原業平の兄)が、仁和2年(886年)に時の光孝天皇のおいかりに触れて配流され、3年間須磨の地に住まいされていた。 古今集の巻18に、 「田村の御時に、事にあたりて、津の国須磨という所にこもり侍りけるに・・・・“わくらばに問う人あらば須磨の浦に もしほたれつつわぶとこたへよ”」 と記されている。
(右写真は、在原行平の館跡と伝わる松風村雨堂のある須磨の地)
もともと須磨の浜には、 「淡路島かよふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守」 と詠まれた古来有名な「須磨の関」がありました。関所の東側が攝津の国で、西側が播磨の国と明確に区分され、人や荷駄の出入りが制限されていたのです。 ところが、この須磨の関は行平が須磨に流されていた頃には既に廃止されて久しく、国境いとしての往来に多少の監視があったとしても、自由に行き来ができていたのでしょう。 (この詠み人源兼昌は、行平よりも後世の人ですので、きっと昔を偲んでのことと思われます。) (左写真は、現光寺の「須磨の関跡」碑)