名探偵金田一耕助とひょうご
  (郷土史にかかる談話 14)
名探偵金田一耕助とひょうご
 着物、薄汚れた帽子にざんばら髪をはみ出させた見栄えのしない男が、民俗伝承や戦後の没落華族、血の系譜にまつわるおどろおどろしい難事件を解決してゆく。舞台は岡山の田舎、瀬戸内海の島、東京、神戸、名探偵金田一耕助の胸が透くような推理の連続に喝采を送る読者たち。
 兵庫県内で、金田一耕助が活躍する舞台となったのは、やはり生まれ育った新開地周辺、勤めていた銀行のあった元町、当時の名勝地であった須磨、そして神戸から見ることの出来る瀬戸内海の最大の島、淡路島です。
 ちなみに、金田一耕助が映画やテレビに登場して演じた俳優には、片岡千恵蔵(昭和22年)、但し、背広にソフト帽のスタイル。そして、岡譲司、河津清三郎、池部良、高倉健、石坂浩二、渥美清、西田敏行、鹿賀丈史、中尾彬、山本耕一、古谷一行、片岡鶴太郎、小野寺昭、中井貴一、役所広司、豊川悦司・・・。いや、もう数え切れません。
●『八つ墓村』
  事件の主な舞台は、鳥取県と岡山県の県境にある山中の一寒村「八つ墓村」。そこは、戦国の頃に三千両を携えた落武者8名を村人たちが惨殺、その後の大正時代にその首謀者の子孫田治見要蔵が当然発狂して村人32人を虐殺して行方不明となっていた。20数年後、ラジオの尋ね人で主人公寺田辰弥(田治見辰弥)が呼ばれ、また出迎えににやって来た母方の祖父、井川丑松が毒殺される。そこから再び怪奇な謎の連続殺人事件が起る。落武者惨殺の報いか、 「たたりじゃあ〜」の叫びが響く。
  主人公の環境は、作者の横溝正史の生まれ育った神戸の東川崎周辺を想定しています。
 横溝正史は、1945年〜1947年を岡山県の岡田村(現在の、倉敷市真備街岡田地区)に疎開していました。そこで、『本陣殺人事件』、この『八つ墓村』、そして次の『悪魔の手鞠歌』などや、瀬戸内海の小島を舞台にした小説を執筆しています。物語のロケーションは各小説毎に設定されていますが、その地のイメージは、岡田村疎開時の周辺、瀬戸内海の情勢、時代背景などをヒントとされました。

(事件に登場するひょうご) 
(1)事件後に主人公が落ち着いた家の新しい書斎にて、事件の回想から物語は始まる。
「八つ墓村からかえって八ヶ月・・・。いまこうして神戸西郊の小高い丘のうえにある、この新しい書斎に坐って、絵のように美しい淡路島を目のまえに見ながら、・・・よくまあ無事に生きのびられたものだと、・・・」
(2)主人公寺田辰弥(田治見辰弥、大正11年9月6日生まれ)のこと。
「物心ついてから、ずっと神戸でそだった私は、田舎などに少しも・・・」
(3)主人公の養父のこと。
「私の養父という人は、寺田虎造といって神戸の造船所の職工長だった。・・・」(川崎造船所がモデル)
(4)辰弥の捜索を依頼されていた諏訪法律事務所の一室(昭和2×年5月25日)。
「北長狭通3丁目、日東ビル4階にある、諏訪法律事務所の一室で、諏訪弁護士と向かいあったのは・・・」
(5)諏訪弁護士の自宅(上筒井)。
「諏訪弁護士にまねかれて上筒井にある弁護士の自宅へとおもむいた私は、そこで世にも意外なひとに・・・」
(6)八つ墓村へ出発した三ノ宮駅。
「六月二十五日、われわれが八つ墓村へ出発する日は、雨催いのうっとうしい・・・三宮駅で発車の時刻を待っているあいだ・・・」

神戸西郊の小高い丘のうえにある新しい書斎とは、須磨ではない、当時市に編入された垂水塩屋のジェームス山がぴったり。 北長狭通3丁目、日東ビル4階の諏訪法律事務所は、鯉川筋のこの辺り。 主人公の養父が勤めていたという神戸の造船所は、今では川崎重工業の工場(横溝正史の生誕地でもある)。

●『悪魔の手毬歌』
 昭和30年7月、金田一耕助が岡山県警磯川警部から誘われて、23年前の迷宮入り事件の回顧に温泉静養をさそわれた地は兵庫県と岡山県の県境にある鬼首(おにこべ)村。そこで村に伝承している手毬唄をなぞった連続殺人事件が起る。事件の鍵を握る人物が、映画繁華街新開地の人気弁士ほか、神戸ゆかりの地に設定されている。
 また、舞台となる鬼首村も、「瀬戸内海の海岸線からわずか七里たらず(約25キロ)の距離だけれど、・・・ 四方を山にかこまれて、・・・当然、兵庫県に編入されてしかるべきもののように思われる。」とあり、距離的に見ると岡山県美作市白水あたりですが、同県備前市吉永町多麻か加賀美あたりも想定されます。

(事件に登場するひょうご)
(1)金田一耕助が県境の峠で遭遇した村の元庄屋多々羅放庵さんの五番目の妻りんのこと。
「おりんさんの 手紙の封筒の裏返して、神戸市兵庫区西柳原町2-36 町田様方、栗林りん殿・・・」
「その夕方、金田一耕助は用事があって仙人峠をむこうへ越えた。峠を越えると兵庫県で、そこに総社をいう小さな町がある。・・・ちょうど峠のてっぺんあたりで、金田一耕助はひとりの老婆とすれちがった。」 (岡山県作東町と兵庫県佐用町上月との県境峠) 
「栗林りんはたしかに死亡しているのである。ことしの四月二十七日に神戸市兵庫区西柳原二の三六、紅屋料理店こと町田幸太郎かたで、最後の息をひきとっている。・・・」(阪神高速道路の北側、福海寺周辺)
(2)神戸に住んでいて、放庵も逗留したことがある甥のこと。
「お庄屋さんには神戸に甥ごさんがおいでんさりまして、・・・お名前はたしか吉田順吉さんと・・・このなかに吉田順吉の署名のある手紙が数通まじっている。住所は神戸市須磨寺町2丁目とあり、電話もついている・・・」(須磨寺商店街東側)
(3)23年前の迷宮入り事件の被害者の可能性を窺わせる人物、映画館のこと。
「青柳史郎ちゅうてな、神戸の新開地でもひところは、飛ぶ鳥おとす人気弁士じゃったちゅう話じゃ」
「“モロッコ”という映画を・・・スタンバーグの監督で、ゲーリー・クーパーとデートリッヒの・・・あの映画が神戸で封切られたのか昭和6年ですけんど、・・・」

兵庫県と岡山県の県境付近の村の典型的な風景(但し、佐用町側) 庄屋さんの神戸の甥が住んでいたという須磨寺町2丁目とは、須磨寺商店街の東側。 映画館が建ち並んでいた当時の神戸一の繁華街、新開地。
●『悪魔が来たりて笛を吹く』
 昭和22年1月15日の天銀堂事件(帝銀事件がモデル)の容疑者と目された元子爵椿英輔が失踪し、4月になって信州の霧が峰でその遺体が発見される。そして麻布六本木の椿邸で繰り広げられる7件の自殺他殺事件。事件現場に流れる元子爵の作曲演奏による黄金のフルートのメロディ「悪魔が来たりて笛を吹く」。
 殺害された元子爵の失踪直前の淡路行きに、事件の謎を追って踏査する金田一耕助たち。舞台は、宮様の離宮があった須磨の山手。そして鍵を握る人物妙海尼の居る淡路の尼寺へ。

(事件に登場するひょうご)
(1)金田一耕助と出川刑事の神戸での宿舎。
「東海道線が2時間以上もおくれて 神戸に着いたので、そこから省線で兵庫までのし、そこからさらに山陽電鉄で須磨までいって、須磨寺の池の近所にある三春園という旅館へ、・・・」
「三春園から少しはなれると、道は坂の途中にさしかかったが、なるほどそこから浜辺へかけて・・・いかにすさまじい戦災をうけた・・・山陽本線や電鉄の沿線には、バラックが建ちならんでいたけれど、耕助が歩いていく道の両側は、まだほとんど、戦災をうけた当時のままだった。」
(昭和22年当時の寿楼がモデル)
(2)事件の動機となった出来事が起きた玉虫伯爵の別荘跡地。
「いまはもう跡方ものう焼けてしまいましたけどなあ。・・・ このさきに月見山ということろがおますやろ。あそこに伯爵様の別荘がおました・・・」
「板宿・・・月見山のもひとつさきだすが、・・・」
(関係人物の植辰が別荘近くから引っ越した先)
「村雨堂のちょっと手前に、大阪の葛城はんの別荘(元玉虫伯爵別荘)があったん知ってるやろ。・・・」
(離宮前町1丁目か2丁目)
(3)事情を知る植辰のお妾さんのおたまさんのこと。
「神戸の新開地でばったりおたまに会ったというんです。・・・新開地の近所のアベック専門の旅館、・・・そういうところの女中として住みこんでいるらしい。・・・新開地というのは、まるで浅草の六区みたいなところですな。おまけにすぐそばに、吉原に相当する福原という遊郭がある。まあ、たいへんなところですな。・・・」
(4)淡路に渡る明石の港。
「立派な船が1日に5度も6度も、明石と岩屋の間を往復してます。」
「明石の港は巾着の口をなかば開いて、南へむかっておいたような形をしており、・・・岩屋通いの播淡汽船と、淡路周遊の丸正汽船が、それぞれその桟橋を使っているのである。」

(5)淡路島、岩屋バス停から尼寺へ。
「長浜から岩屋まで歩いて20分、岩屋でバスを待つ時間を20分と見て、岩屋から小井まで40分だすさかいに、だいたい1時間と20分・・・」
「岩屋の桟橋のすぐ右手に、兵庫県国家警察岩屋署と看板のかかった建物がある。」
「釜口村・・・そこからひとつ手前に仮屋という町があります。」
「小井というのはありふれた半農半漁の小部落で、街道に沿って、十軒足らずの人家がならんで・・・」
(淡路市東浦町釜口)
(6)妙海という尼さんの寺。
「爪先のぼりの坂になっており、・・・問題の尼寺は、その朝霧山の山ふところに抱かれでいるのである。」
「小井バス停から歩くこと約2
0分。一行はやっと尼寺のほとりにたどりついた。そこは部落からはるか離れた山の中腹になっており、・・・」(妙勝寺がモデル)
「その日、妙海尼はおたまをたずねて、わざわざ神戸(新開地)のミナト・ハウスまで出向いているのだ。・・・」
(10)妙海尼を世話して尼寺に住まわせた隣村の法乗寺のお住持のこと。
「慈道さんというんです。・・・・慈道さんはもと阪神間の住吉にある、大きな真言宗の住持だったが・・・故郷の淡路へ隠居した・・・」

金田一耕助と刑事が神戸で泊まった須磨寺の池の近所の三春園とは、この寿楼がモデル。 松風村雨堂近くの玉虫伯爵の別荘があったとされるのは、離宮前町1丁目か2丁目。 事件の鍵を握る椿元子爵の足取りを追って淡路島に渡る。岩屋のバス停。
●『三つ首塔』
 昭和30年、女子大を出たばかりの平凡な娘がアメリカで成功した曽祖父の弟の莫大な遺産を相続することになる。その条件に見ず知らずの若者と結婚することとあり、その若者の出自を証明するものが隠蔽されているという「三つ首塔」とはどこか。そのヒロインを巡って、周りの人たちの間で次々と起る殺人事件と逃避行・・・・・。
 三つ首塔のある黄昏村は、一般的には岡山県備前市吉永町加賀美の八塔寺あたりではないかと、近隣に「鷺の湯」と呼ばれた湯の郷温泉、三星城址もあって想定されています。しかし、ここでは本文にもある次の記述条件(下記)にその位置設定が適合しません。(播州平野内ではない。JRから車で10〜20分)
 それで、その条件を素直に解釈すると、三つ首塔があるのは兵庫県内で、宍粟市波賀町上野から峠を越えて入る波賀城跡近くの地点(東山メイプルプラザ周辺)が想定されます。
(事件に登場するひょうご)
(1)三つ首塔のある黄昏村のロケイションの条件は、@播州平野のはずれ(兵庫県西内陸部)、A支線(JR姫新線)のどの駅からも自動車で1時間以上(どの駅からも20q〜40q北方へ)、B近くに元城下町がある、C半里に湯治場がある、としている。
「さいわい、三つ首塔のある黄昏村から半里ほどはなれたところに、鷺の湯という温泉場・・・と、いうよりひなびた湯治場があった。そこはあたかも播州平野のはずれにあたっており、山陽線からはもちろんのこと、姫路から津山へぬける支線からもとおくはなれて、どの駅から自動車をとばしても、1時間以上もかかるというへんぴな山奥の一部落だった。」
「・・・昔、あそこ(蓮華供養塔:三つ首塔)お仕置き場だしたンやそうな。そら、このむこうに川崎ちゅう小ちゃな町がおますやろ。・・・昔はあれが御城下町で、相当さかったもンやそうだす。」
JR線から遠く、車で1時間以上の播磨平野の端にある元城下町、城跡は、この「波賀城跡」しかない。また、近くに東山温泉もある。
●『悪霊島』
 昔、なさぬ恋仲を裂かれて島を追い出された成功者から依頼を受けた金田一耕助は、昭和42年、なじみの岡山県警の警部さんと岡山県倉敷市の南方、鷲羽山のふもと下津井の港から刑部島へ渡る。次々と起る殺人事件。島に一緒に渡った不思議な青年が絡む。ダイイングメッセージには、「・・・あの島には悪霊がついている。・・・」
 この依頼者と恋仲が昔逃避した温泉宿が播州山崎、また青年の出自が神戸、昔行方不明になった人形遣い(淡路の人形浄瑠璃)は淡路(兵庫県南あわじ市)からと設定されている。
(事件に登場するひょうご)
(1)謎の青年のことについて。
警部「ときにきみは神戸から来た風来坊だそうだが、神戸のどこだね、きみの家は・・・?」
青年「・・・いっときましょう。神戸市垂水区瑞が丘・・・」・・・。
警部補「・・・それからきみのお父さんが社長をやっていた三新証券はおなじ神戸の生田区海岸通・・・」・・・。
金田一「あっなるほど、それできみはどこの生まれなの?」
青年「兵庫県の山崎です。正確にいうと宍粟郡山崎。・・・」

播州山崎にほどちかくの生谷川の温泉近くにある大歳神社の千年藤(天然記念物)。
(2)淡路の人形遣いのことについて
「・・・いまから7年か8年まえのことじゃった。淡路から人形遣いが1人島へ来て・・・あの人行方不明になってしもうた。・・・」
「・・・あちこちの島や村を巡ったあと、いったん、淡路島の自分の家へお帰りンさったのじゃそうじゃけど・・・」
「・・・そいで淡路の警察から岡山の警察へ照会があって・・・」

(3)依頼者と恋仲が昔逃避した温泉宿(兵庫県宍粟市山崎町生谷)について
「・・・(白骨の双生児は)播州山崎のほどちかく、生谷川の温泉宿で生まれたんじゃ。・・・」
 この様に、兵庫県内に多くの舞台設定がされています。是非、横溝正史の金田一耕助シリーズを携えて、ゆかりの地を巡ってみてはいかがでしょう。(2009年10月、2011年8月)
郷土史の談話室
(12)横溝正史と神戸

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