(事件に登場するひょうご) (1)事件後に主人公が落ち着いた家の新しい書斎にて、事件の回想から物語は始まる。 「八つ墓村からかえって八ヶ月・・・。いまこうして神戸西郊の小高い丘のうえにある、この新しい書斎に坐って、絵のように美しい淡路島を目のまえに見ながら、・・・よくまあ無事に生きのびられたものだと、・・・」 (2)主人公寺田辰弥(田治見辰弥、大正11年9月6日生まれ)のこと。 「物心ついてから、ずっと神戸でそだった私は、田舎などに少しも・・・」 (3)主人公の養父のこと。 「私の養父という人は、寺田虎造といって神戸の造船所の職工長だった。・・・」(川崎造船所がモデル) (4)辰弥の捜索を依頼されていた諏訪法律事務所の一室(昭和2×年5月25日)。 「北長狭通3丁目、日東ビル4階にある、諏訪法律事務所の一室で、諏訪弁護士と向かいあったのは・・・」 (5)諏訪弁護士の自宅(上筒井)。 「諏訪弁護士にまねかれて上筒井にある弁護士の自宅へとおもむいた私は、そこで世にも意外なひとに・・・」 (6)八つ墓村へ出発した三ノ宮駅。 「六月二十五日、われわれが八つ墓村へ出発する日は、雨催いのうっとうしい・・・三宮駅で発車の時刻を待っているあいだ・・・」
●『悪魔の手毬歌』 昭和30年7月、金田一耕助が岡山県警磯川警部から誘われて、23年前の迷宮入り事件の回顧に温泉静養をさそわれた地は兵庫県と岡山県の県境にある鬼首(おにこべ)村。そこで村に伝承している手毬唄をなぞった連続殺人事件が起る。事件の鍵を握る人物が、映画繁華街新開地の人気弁士ほか、神戸ゆかりの地に設定されている。 また、舞台となる鬼首村も、「瀬戸内海の海岸線からわずか七里たらず(約25キロ)の距離だけれど、・・・ 四方を山にかこまれて、・・・当然、兵庫県に編入されてしかるべきもののように思われる。」とあり、距離的に見ると岡山県美作市白水あたりですが、同県備前市吉永町多麻か加賀美あたりも想定されます。
(事件に登場するひょうご) (1)金田一耕助が県境の峠で遭遇した村の元庄屋多々羅放庵さんの五番目の妻りんのこと。 「おりんさんの 手紙の封筒の裏返して、神戸市兵庫区西柳原町2-36 町田様方、栗林りん殿・・・」 「その夕方、金田一耕助は用事があって仙人峠をむこうへ越えた。峠を越えると兵庫県で、そこに総社をいう小さな町がある。・・・ちょうど峠のてっぺんあたりで、金田一耕助はひとりの老婆とすれちがった。」 (岡山県作東町と兵庫県佐用町上月との県境峠) 「栗林りんはたしかに死亡しているのである。ことしの四月二十七日に神戸市兵庫区西柳原二の三六、紅屋料理店こと町田幸太郎かたで、最後の息をひきとっている。・・・」(阪神高速道路の北側、福海寺周辺) (2)神戸に住んでいて、放庵も逗留したことがある甥のこと。 「お庄屋さんには神戸に甥ごさんがおいでんさりまして、・・・お名前はたしか吉田順吉さんと・・・このなかに吉田順吉の署名のある手紙が数通まじっている。住所は神戸市須磨寺町2丁目とあり、電話もついている・・・」(須磨寺商店街東側) (3)23年前の迷宮入り事件の被害者の可能性を窺わせる人物、映画館のこと。 「青柳史郎ちゅうてな、神戸の新開地でもひところは、飛ぶ鳥おとす人気弁士じゃったちゅう話じゃ」 「“モロッコ”という映画を・・・スタンバーグの監督で、ゲーリー・クーパーとデートリッヒの・・・あの映画が神戸で封切られたのか昭和6年ですけんど、・・・」
(事件に登場するひょうご) (1)金田一耕助と出川刑事の神戸での宿舎。 「東海道線が2時間以上もおくれて 神戸に着いたので、そこから省線で兵庫までのし、そこからさらに山陽電鉄で須磨までいって、須磨寺の池の近所にある三春園という旅館へ、・・・」 「三春園から少しはなれると、道は坂の途中にさしかかったが、なるほどそこから浜辺へかけて・・・いかにすさまじい戦災をうけた・・・山陽本線や電鉄の沿線には、バラックが建ちならんでいたけれど、耕助が歩いていく道の両側は、まだほとんど、戦災をうけた当時のままだった。」(昭和22年当時の寿楼がモデル) (2)事件の動機となった出来事が起きた玉虫伯爵の別荘跡地。 「いまはもう跡方ものう焼けてしまいましたけどなあ。・・・ このさきに月見山ということろがおますやろ。あそこに伯爵様の別荘がおました・・・」 「板宿・・・月見山のもひとつさきだすが、・・・」(関係人物の植辰が別荘近くから引っ越した先) 「村雨堂のちょっと手前に、大阪の葛城はんの別荘(元玉虫伯爵別荘)があったん知ってるやろ。・・・」(離宮前町1丁目か2丁目) (3)事情を知る植辰のお妾さんのおたまさんのこと。 「神戸の新開地でばったりおたまに会ったというんです。・・・新開地の近所のアベック専門の旅館、・・・そういうところの女中として住みこんでいるらしい。・・・新開地というのは、まるで浅草の六区みたいなところですな。おまけにすぐそばに、吉原に相当する福原という遊郭がある。まあ、たいへんなところですな。・・・」 (4)淡路に渡る明石の港。 「立派な船が1日に5度も6度も、明石と岩屋の間を往復してます。」 「明石の港は巾着の口をなかば開いて、南へむかっておいたような形をしており、・・・岩屋通いの播淡汽船と、淡路周遊の丸正汽船が、それぞれその桟橋を使っているのである。」 (5)淡路島、岩屋バス停から尼寺へ。 「長浜から岩屋まで歩いて20分、岩屋でバスを待つ時間を20分と見て、岩屋から小井まで40分だすさかいに、だいたい1時間と20分・・・」 「岩屋の桟橋のすぐ右手に、兵庫県国家警察岩屋署と看板のかかった建物がある。」 「釜口村・・・そこからひとつ手前に仮屋という町があります。」 「小井というのはありふれた半農半漁の小部落で、街道に沿って、十軒足らずの人家がならんで・・・」(淡路市東浦町釜口) (6)妙海という尼さんの寺。 「爪先のぼりの坂になっており、・・・問題の尼寺は、その朝霧山の山ふところに抱かれでいるのである。」 「小井バス停から歩くこと約20分。一行はやっと尼寺のほとりにたどりついた。そこは部落からはるか離れた山の中腹になっており、・・・」(妙勝寺がモデル) 「その日、妙海尼はおたまをたずねて、わざわざ神戸(新開地)のミナト・ハウスまで出向いているのだ。・・・」 (10)妙海尼を世話して尼寺に住まわせた隣村の法乗寺のお住持のこと。 「慈道さんというんです。・・・・慈道さんはもと阪神間の住吉にある、大きな真言宗の住持だったが・・・故郷の淡路へ隠居した・・・」
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