見果てぬ夢、「明石原人」
 (郷土史にかかる談話 15) 
見果てぬ夢、「明石原人」
 日本にも原人あり、とのセンセーショナルな話題を提供し、人類学、考古学など、学界のみならず一般の人々の興味と議論を巻き起こしてきた「明石原人」

 一介のアマチュア考古学者による発見によることからか、詳細な研究がなされないままに人骨化石現物の戦災空襲による焼失。そして戦後の学界における肯定・否定が交わされる評価が変遷し、発見後50年以上経ての本格発掘調査が行われるなど、こんなに長く物議を醸した考古テーマはありません。 
 何としても残念なことは、化石実物の焼失による戦後急速に進歩した鑑定技術による研究ができなかったことです。もし現存していれば、多分に1950〜60年代には決着していたことでしょう。
(左写真:明石原人の腰骨の化石)
明石原人の発見と研究の経緯
(1) 直良信夫(なおら のぶお、29歳)、1931年(昭和6)4月18日、兵庫県明石郡大久保村中八木(現在の明石市大久保町西八木)の海岸で、長さ20センチたらずの人骨の破片を発見。屏風ヶ浦と呼ばれる断崖(7キロ、高さ10〜14メートル)。(直良は当時、明石市大蔵谷山崎2096(明石市東野町)の明石高等女学校新校舎の東側の丘の斜面にたつ一軒家に住んでいた。)直良は、東大人類学教室の松村瞭教授に鑑定を依頼した。
(2) 1931.5.2、大阪朝日新聞紙上に「34万年前の人体の骨盤現る」と報ぜられる。
(左写真:発見地の断崖)
(3) 同年5.10、京大人類学研究会による現地見学会(化石は当時東大で保管中だった)。
(4) 1945年(昭和20)5月25日の東京大空襲で直良宅、化石とも焼失。
(5) 明石人骨の再評価。東大人類学教室の長谷部言人教授65歳が左腰骨の写真4葉と石膏型(調査鑑定を依頼された当時の松村瞭が作成させた)を発見。学名ではなく便宜上の名称として、「ニッポナントロプスアカシエンシス」(明石原人)。1948年7月「人類学雑誌」第60巻第1号の論文で発表した。
(6) 明石西郊含化石層研究特別委員会(委員長、長谷部)が結成され、1948年10月16日明石入り、10月20日から発掘開始。発掘現場は直良の発見地と異なる不思議。
(7) 小説家松本清張が、直良信夫をモデルにした小説『石の骨』を発表。登場人物の名前は変更されフィクション。
(8) 1965年〜66年の護岸工事で、護岸堤と断崖との空間を標高4メートルの高さまで埋め立ててしまった。(左写真)
(9) 明石原人の再検討。1970年代の旧人説。1982年の現代人骨説。但し、西八木崖上には墓地はない。
(10) 国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授が、1984年3月3日、西八木海岸に立つ。発掘地点の確定(1948年より東)。土地所有者は多木肥料。1985年2月29日、ユンボ、ブルドーザーを搬入。3月1日、発掘の開始。
(11) 学生、一般市民のボランティア発掘作業。地元旅館、明石警察署、建設省東播海岸所、兵庫県教育委員会、明石市等の協力。
(12) 直良信夫、1985年11月2日、出雲市今市町の小林病院にて死亡、享年83歳。直良の孫(升水かおり、早大生)の発掘参加。
(13) 明石市西八木海岸発掘調査結果に関する研究会を、1986年3月29日〜30日、国立歴史民俗博物館で開催。
(14) この発掘調査では、人工の板(加工品)柾目の板を発掘していた。
(15) この周辺では、明石海峡では、獣骨化石が見つかっていた。マンモスの大化石なども。1965年8月9日に紀平肇が石器を発掘済み。また、田中良一(当時、同大生)が以前に発掘したとする頭蓋の一片化石(人骨の可能性)について、1970年頃に渡辺直径が東大人類学教室で骨片に関する手紙と拓本、写真を発見したが現存していない(行方不明)。もう一つの明石原人だったのか?

(左写真:マンモスの化石等の発見地)
(16)1997年(平成9年)になって、近くの「藤江川添遺跡」から、明石原人が出土したと伝わる西八木層(12万〜5万年前)から、当時のものと見られる旧石器時代のメノウ製のハンドアックス(握斧)が発見された。
 約50万年前の原人の骨ではないが、85年の発掘調査で見つかった人の手の加わった木器や、この握斧の発見などから、5万年〜12年前の旧石器時代のいわゆる「旧人」だったのではないか、とされている。
【 参考】明石人と旧石器研究の足跡(変遷)
1931年発見、検討少なく、原人説否定。
1948年、長谷部言人による肯定。
1948年秋、発掘調査団による再度否定。
1982年、遠藤、馬場による三度目の否定。
1985年再発掘、人類の存在は肯定。人骨は百々幸雄が四度目の否定。
1997年の藤江川添遺跡の同地層から握斧の発見、旧人説が有力。
 今となっては、直良博士の発見した化石実物の焼失、田中良一の発見した頭蓋骨行方不明が共に残念でなりません。もう一度、西八木海岸から人骨化石が出てこないものなのでしょうか。(2009年11月)

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