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太平洋戦争の末期、昭和20(1945)年1月、沖縄県知事の任命(当時は内務省による官選知事)を受け、敢然と赴いた島田叡さん。 | ||||||
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戦時下というより昼夜にわたる艦砲射撃、空爆が相次ぐ「戦闘下」の沖縄で、県民生活の安全や食糧確保、また県民の本土疎開・避難などに尽くし、島田知事の善政、行動、人となりは、今もなお「沖縄の父」として親しみと尊敬を持って見られました。 4月に入って大量の米軍が沖縄本島に上陸し、各地で戦闘は激しく、軍も島民にも多くの犠牲者が出ました。軍は言うに及ばす県庁等の役所も、島民と同様に洞窟から洞窟へ避難して渡り歩く中での執務状態で頑張ったが、6月には南部の摩文仁が丘に追い詰められました。遂に県庁組織の解散を宣し、共に死ぬと退去を拒む部下たちを 「生きのびて沖縄のために尽くしなさい」 と無理矢理追い出し、県民の保護に専心されていた荒井退造警察部長と共に濠に留まり、壮絶な最期を遂げられました(行方不明)。島田叡さん、その時45歳(享年)。 |
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島田叡さんは、明治34(1902)年、医師の7人姉弟の長男として神戸市須磨区須磨寺町に生まれました。市立西須磨小学校(現在)、県立神戸二中(現、兵庫高校。7回生、大正8年卒)、第三高等学校(現、京大教養学部)、東京帝国大学法学部を卒業し官界に身を投じられました。 文武両道で、神戸二中から東京帝大まで野球部で活躍。当時の日本では学生野球がトップスラスで、いわばそのスター選手だったわけです。神戸二中は第1回全国中等学校野球大会(現、全国高等学校野球選手権大会)に県代表として出場しましたが、島田叡さんは未だ新入生でもあり、参加メンバー内で名は残っていません。 |
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(1)昭和39(1964)年、神戸二中の後輩、竹中郁さんの詩をもって、沖縄を向いて手を合わせたような形の「合掌の碑」が兵庫高校に、また昭和46年には三高野球部有志や同期生により摩文仁が丘に鎮魂碑が建立されました。 | ||||||
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● 鎮魂碑(第三高等学校野球部有志。短歌、山根斎・三高同期。俳句、山口誓子・三高同期。昭和46年 沖縄県糸満市摩文仁が丘) |
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なお、(財)島守の会によって、行方不明であった島田叡さんの終焉の地の調査が進み、2012年末には批定できる見込みとの報告が田村氏より披露され、みんなの期待が一段と高まってきました。 (6) そして、2013年3月22日、23日、捜索活動の中心となっていただいていた那覇市の(財)島守の会の方々に兵庫高校OBの武陽会メンバーが加わり、島田さんが消息を絶った地点、糸満市の摩文仁に立つ県立平和祈念公園の裏手に広がる密林に踏み入り、草木の生い茂る山道、一歩でも踏み外すと海に転落する崖縁の道を辿り、濠の中などを捜索しましたが、遺骨や遺留品などは見つかりませんでした。(2013年3月) |
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(7)2013年6月5日に武陽会が「武陽人100年の集い」を母校で開催、第14 代最高裁判所長官山口繁氏(38 陽会)が「至誠の人−戦前最後の沖縄県知事島田叡」と題して記念講演をいただきました。沖縄県立那覇高校(沖縄二中)の城岳同窓会と、兵庫高校の武陽会と、「城岳・武陽至誠友好交流協定」も結ばれました。(2013年6月) | ||||||
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(9)2014年2月にも、「島守の会」のみなさんと「武陽会」が協力して有志約20名が参加。糸満市の摩文仁に立つ県立平和祈念公園の「平和の礎」裏手の密林内を、数班に分かれて島田さんの遺骨を捜しました。今回も残念ながら見つけることはできませんでした。困難な捜索活動ですが、捜索を続けることで兵庫と沖縄が手を取り合って島田知事の功績が広く伝わることに繋がることが期待されます。
また、島田知事の功績をたたえて、顕彰碑と、旧制中学校の全国大会でも活躍された「少年野球」のために野球場(「島田球場」)を那覇の県営奥武山公園に整備しようという活動もスタート(KOBE三宮・ひと街創り協議会」と「ザ・ファースト」)しています。(2014年2月) |
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(11)同じく8月には、このドラマの取材班が島田叡知事のことを本にまとめられました。なお、これまで島田叡知事の主な関係図書は次のとおりです。
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(12)県立兵庫高校は、2015年の修学旅行で、沖縄を訪問することにした。島田叡知事没後70年(戦後70年)を機会に、偉大なる先輩の足跡を辿って当時の沖縄での戦争とはどのようであったか何があったのかを学ぶ。資料館や、終焉の地摩文仁の丘などを訪れ、島田叡知事のことなどを当時のことを知る方たちから話を聞く。 |
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(20)荒井退蔵警察部長の出身地栃木県宇都宮市の生家前の顕彰碑の近くに、島田叡さんの出身地兵庫県から送られた兵庫県花「ノジギク」を植える式典が開催された。兵庫高校同窓会「武陽会」のメンバーが参列、あいさつした。(2017年5月) (21)「島田叡氏事績顕彰期成会」は2017年6月、島田さんの足跡を伝え平和への願いを発信する「島守忌」を季語に俳句大会を城岳同窓会館で開催した。また、2018年6月には本大会として、第1回俳句大会を開催した。一般、高校生の部に分けた部門に多くの応募者があり、6月17日の本大会で入選作が発表される。(2018年6月) (22)荒井退蔵警察部長の出身栃木県立宇都宮高校の野球部と、兵庫高校の野球部との親善試合が3月23日、兵庫高校で行われた。宇都宮高校からは、校長先生や荒井氏の検証活動に関わる方をはじめ野球部OBたちが観戦した。(2019年3月) (23)県教育委員会、島田叡さんの功績などを紹介している『心かがやく』を道徳の副読本として全校に配布している。また、県内の中学校で、沖縄戦を題材にした平和教育が普及はじめている。現在では年間100校以上が修学旅行で沖縄を訪問している。(2019年4月) (24)毎年沖縄で開催される第2回「島守忌俳句大会」で、高校生以下の部に応募した兵庫高校の生徒2名が1位沖縄県知事賞、2位に入賞した。(2019年7月) |
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(36)「島守忌俳句大会」がNPOで菜の花の街荒井退造顕彰事業実行委員会が栃木県で2023年6月に再開される。 また、 神戸市立井吹台中学校で、5月の修学旅行で現地を訪ねる生徒たちの事前学習の一環として、映画「島守の塔」の上映会が開かれた。 (2023年4月) (37)島田さん母校の県立兵庫高校の野球部が、2023年3月に来県された荒井さんの母校県立宇都宮高校野球部と交流試合を実施。次いで、2023年7月に沖縄に遠征し、県立那覇高校などと交流試合を行った。(2023年7月) |
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(38)島田叡さんの足跡を紹介する動画を、県立兵庫高校と県立那覇高校の生徒が共同制作した。この映画『〜過去から未来へ〜あなたは島田叡さんを知っていますか』は、兵庫・沖縄友愛提携50周年を記念に提案され、兵庫高校がナレーションを、那覇高校が沖縄での映像を撮影し、両校で編集されたものです。兵庫県のインターネット放送局「ひょうごチャンネル」で公開されています。(2024年2月) (39)島田叡さんをしのんで、令和6年3月、須磨寺前の「島守の広場」にて追悼式が開催されました。須磨島守の会会長の須磨寺の小池貫主の読経、斎藤兵庫県知事ほか参加者がご焼香しました。(2024年3月) |
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