ひょうご平家落人の里・落人伝説の地
(郷土史の談話34)
ひょうご平家落人の里・落人伝説の地
保元(1156年)、平治(1159年)の乱で力をつけた平清盛は、西国のほか宋との貿易などの拠点として、大輪田の泊を修築して瀬戸内海の一大流通港湾に仕立て上げ、1180年(治承4)には福原に都を移す。その後、貴族や寺社の反発、源氏の挙兵もあって、都は京に戻され、1181年に平清盛が亡くなった後、源氏と平家はいわゆる「源平合戦」(治承、寿永の乱)が繰り広げられました。
一の谷、屋島と敗走した平家は壇ノ浦の決戦で破れ、安徳天皇とともに平家一門の主だった者たちは滅びの道を辿ることになりました。平家の残党たちは落武者、落人(いわば難民)となって九州、四国、山陰地方などへ流れ潜んだと言われています。
奥深い山間部や谷間筋、離れ孤島などの人里離れた地に外部の人々に気付かれることの少ない所に、平家の落人伝説を窺わせる地名や姓が残されていたりする集落が形成されています。これらの平家の落人たちが隠れ住んだ所を平家の「落人の里(隠れ里)」などと呼ばれています。落人故に、その存在、歴史がその後もずっと隠され続けて、その存在は、口伝によるものがほとんどで、客観的な検証史料等で残されることは多く有りません。
全国には、栃木の湯西川温泉(日光市湯西川)、富山の五箇山(東砺波郡平村・利賀村・上平村=現、南砺市)、徳島の祖谷(三好市東祖谷阿佐)、熊本の五木(球磨郡五木村)、宮城の椎葉(東臼杵郡椎葉村)など300以上あるとされています。
兵庫県内には、福原の都、大輪田の泊、一の谷の戦いなど平家に纏わる場所柄、そのエピソード・伝承は多い。しかし、主に壇ノ浦の戦いの後の「落人」たちは、京や福原・源平合戦地周辺は避けてちりぢりに隠棲したと思われ、県内では山陰海岸や但馬・瀬戸内の奥地などに足跡を残しています。
● 平家落人の里「御崎」
兵庫県内では、香美町香住区余部の御崎が、「落人の里」を一番彷彿させてくれる地区です。壇ノ浦の敗戦から落ちのびた平教盛(門脇の宰相中納言)や伊賀、矢引らが土着、隠棲したと伝わっています。地区内の平内神社には、平教盛の供養塔、小宰相・平通家らの供養塔が建てられており、毎年1月28日には3人の武将(門脇・伊賀・矢引)に扮した3人の少年が、源氏報復、平家の再興、武芸の上達を願って101本の矢を射る「百手(ももて)の儀式」が行われています。また、平家の守り神で「小麦まつり」を伝える日吉神社があります。
余部から御崎地区に入る崖淵の道が続く
「御崎」の平家村の碑
御崎の平家伝説の大きな説明板
隠れ里「御崎」の風景
平内神社、「百手の儀式」が伝わる
平内神社の本殿
平内神社
平家村を彷彿させる地蔵尊など
● 兵庫県内の主な「落人の里・落人伝説の地」
地域
市町
地区
落人の里・落人伝説の地
豊岡市
豊岡市
伊賀谷(1)、気比(けひ)(2)、市谷、森尾、津居山
城崎町
湯島(弁天山)(3)
竹野町
宇日(うい)(4)、田久比(たくい)(4)、鬼神谷、三原、川南谷(かなんだに)、須井、神原、奥佐津
香美町
香住区
御崎(5)、上計(あげ)(6)、無南垣(むながい)(7)、畑(8)、土生(はぶ)(9)、鎧(よろい)(10)、余部(11)、本見塚(12)
美方区
小長辿(こながたわ)(13)、実山(14)、野間谷
新温泉町
村岡
大味(おおみ)(15)、神坂(みさか)、丸味
温泉
湯村、三尾(みお)
養父市
八鹿町
妙見山
養父町
三谷(16)
大屋町
横行(17)
朝来市
生野町
黒川
宍粟市
波賀町
引原(18)
山崎町
母栖(19)
安富町
関、平家馬場
神河町
大河内
川上
佐用町
三日月
大畑(20)
たつの市
新宮町
奥小屋神保
上郡町
上郡
小野豆(21)
相生市
相生
野瀬(22)、壷根(23)
篠山市
城東町
後川新田(しつかわしんでん)(篭坊温泉)(24)
丹波市
山南町
谷川山田(25)
南あわじ市
西淡町
伊加利(26)
南淡町
福良(煙島)(27)
淡路市
淡路町
楠本(28)
洲本市
洲本
上灘(29)
神戸市
北区
山田町福地(30)
(1) 伊賀谷:平家一門の伊賀氏の郎党(橋本・滝本・武田・中西・平田ら)が隠棲。
(2) 気比(けひ):平家の侍大将越中次郎兵衛盛嗣(継)が残党狩りを逃れて潜伏するも、捕らえられて鎌倉にて処刑された。白山神社に宝篋印塔。
(3) 湯島:平家の侍大将越中次郎兵衛盛嗣(継)を供養する宝篋印塔。
(4) 宇日(うい)、田久日(たくい):越中次郎兵衛盛嗣(継)や悪七兵衛景清らが隠棲した平家部落。兵器庫跡か坊主平(ぼうずなる)の石窟、舟隠し岩、供養塔跡碑など。
(5) 御崎:平教盛や伊賀、矢引らが落ちのび隠棲。兵内神社と「百手の儀式」、日吉神社と「小麦まつり」、独特の野菜「平家蕪(かぶら)」など。
越中次郎兵衛盛嗣(継)を供養する宝篋印塔
(6) 上計(あげ):飛騨四郎兵衛景経の子経忠らが隠れ住んだ平家谷。古い五輪塔など。
(7) 無南垣(むながい):平経正、刑部四郎左衛門尉行秀の妻らを隠し洞窟に匿った。嬢が岩など。
(8) 畑:平家の隠れ部落「平家平」。馬冷やし泉跡、馬場跡、矢立松、烏帽子岩など。
(9) 土生(はぶ):畑の隣の谷の部落。平家の残党、尾崎、久保井、田口らが潜んだ。
(10)鎧(よろい):越中次郎兵衛盛嗣(継)と上総五郎忠光が住み着く。十二社神社など。
(11)余部(あまるべ):門脇宰相教盛を先祖とする門脇家の供養塔。
(12)本見塚:門脇宰相教盛を供養する五輪山の五輪塔。
(13)小長辿(こながたわ):平家落人の里と伝わる。現在、廃村。
(14)実山:落人の朝倉高清が隠棲。門倉山の洞窟。
(15)大味(おおみ):平通盛の妻、小宰相の局(鳥羽天皇の第二皇女、上西門院)が隠れ住んだ。
(16)三谷:平家の残党の隠れ里。建屋谷入り口の大坪部落と船谷部落の間。
(17)横行:平家の姫君と6人の武将が落ちて隠棲。落人たちの城「平家ケ城」跡、六軒屋敷跡、姫が身投げした「姫ケ淵」など。
横行の平家ケ城跡の説明板
(18)引原:鹿伏(名色)の村の「平さん」たち。
(19)母栖:落武者伝説がある。
(20)大畑:平知盛(清盛の子)や家臣たちが隠棲したという落人伝説。平知盛塚など。
大畑の平知盛塚
(21)小野豆:落人の村。平敦盛の墓か「平家塚」、隠住したというジャンジャン「洞穴」など。
(22)野瀬:平盛高の妻や遺児、武将4人、下僕3人たちが隠住したという落人伝説のある五六見山(ころみやま)。
(23)壷根:平経盛の妻(相生の局)は、敗戦の城を逃れてこの地で亡くなった。「局(つぼね)」が「壷根(つぼね)」の語源か。
(24)後川新田(しつかわしんでん):落武者の隠れ里。篭坊温泉に供養の五輪塔。
小野豆の平家塚
(25)谷川山田:京を逃れた平家一門の公卿や姫君たちが隠棲したが、捕らえられて処刑された。弔いの碑「首切地蔵尊」。
(26)伊加利:平通盛の妻、小宰相の局が海に身を投げたと伝わる。供養塔「御局塚」。
(27)福良(煙島):平敦盛を荼毘に付した時の煙が由来。石龕が敦盛の首塚と伝わる。
(28)楠本:あわじ花さじき周辺に平家落武者伝説。平家一門の供養碑「みちもりさん」。
(29)上灘:平家落人伝説。供養の五輪塔、ゆかりの八坂神社など。
(30)山田町福地:平家方武将の斎藤実盛を祀る「サネモリ塚」。
伊加利の御局塚
平家の落人伝説は、「平家物語」からも汲み取れる栄枯盛衰・諸行無常の観念と、史実としての謎、隠棲の歴史など、まさに歴史のロマンとして注目を集めているのです。(2012年2月〜、2020年10月)
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