○帰路・同年6月14日 「正午に我等大阪を去り、舟にて淀河を尼崎へ行く。」安治川の岸に沿い航行して、途中に往来する肥料船にびっくり。「尼崎の手前にて舟を捨て、徒歩にて、勤勉に耕作せる平地の穿ちて、西宮に至り。我等はそこに一泊す。」西宮泊。 ○6月15日 「我等は西宮を発し、・・・今日は華氏八十八度乃至九十度の壓する如き炎暑にして、所々肥料の臭に汚れたる空気は猶もそれを堪え難うす。」と、特記している。「正午に近く兵庫に到る。」兵庫泊。
○6月16日より18日 荷物を載せた方の船が大阪から到着せず、滞在が長引く。「我等は此間を利用して此小市を散歩す。兵庫には十六の町あり。人口は一萬六千。傍に港あるために極めて繁華なり。・・・」その後、下関まで乗船する予定の船の見学に行く。兵庫連泊。 ○6月19日 「午後に船に上る。晩に幸東北の風なるに碇を掲げ、明石と淡路島との間の海峡を駛せたり。・・・」その日は船中泊。
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