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湊川隧道を通り抜けよう |
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旧湊川隧道の内部(見学・通り抜け) |
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●小学生のむかし、冒険心をくすぐった「湊川隧道」の通り抜け 僕たちの子供の頃は、一人前の子供(?)と仲間内で認められるためには、@自転車(補助輪なし)に乗れること、 A高い木に登れること、B夜に墓場(墓園)を通り抜けること、のほかに、湊川沿線の校区にあって湊川隧道の近所の子供たちにはもう一つの条件が加わっていた。 最後の関門とも言えるクリア条件は、湊川隧道を上流側坑門(兵庫区)から入って下流側の吐坑門(長田区)へと通り抜けることであった。小学校低学年は、 上級生の餓鬼大将が付き添ってもらって肝試しに暗いトンネルへ挑戦していた。もちろん流量が少ない渇水時に限られていましたが。 最近、11月22日の「土木の日」に開催された“新湊川ウォーク”〜湊川隧道通り抜け〜に参加することができた。実に60数年ぶりの再体験で、感慨一入(ひとしお)であった。 |
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湊川隧道の平面図* |
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●19世紀末から20世紀初頭にかけて、世界最大級の「湊川隧道」 湊川隧道は、創設時は606mの延長を昭和3年に670mに延伸、 断面は馬蹄形で高さ7.7m、幅7.3m、 隧道内壁は煉瓦覆工で背面には栗石を埋め込み材として充填され、インバート部には煉瓦上に花崗岩の切石を敷いています。また、側壁はイギリス積み、アーチ部は長手積み、天井部の一部に堅積み技法がとられています。 上流側の坑門呑口には「湊川」の下流部の坑門吐口には「天長地久」の扁額が掲げられました。「湊川」扁額は昭和3年の延伸時に埋設され、「天長地久」の扁額は平成7年の阪神淡路大震災で崩落しましたが、平成12年の復興時の新しい両坑門に扁額は元通りに掲げられました。 |
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【参考資料】 「*」:パンフレット『湊川隧道』(湊川隧道保存友の会編、兵庫県神戸県民センター神戸土木事務所発行)より 「**」:説明資料『湊川隧道について』(神戸県民局神戸土木事務所・湊川隧道保存友の会)より 「***」:『水の土木遺産/湊川隧道』(独法・水資源機構広報誌「水とともに」)より |
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(2017年2月) | ||||
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