発展する中国広東省(訪問国)〜大学洋上セミナー講義概要
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ツーリズム関連のレポート・エッセイ集 4)
発展する中国広東省(訪問国)〜大学洋上セミナー講義概要
1991年8月 大学洋上セミナーひょうご‘91での講義概要(講師:中嶋 邦弘)
1991.8.12(月)〜9月10日(火) 客船「おりえんと びいなす」 参加学生:507名
訪問先:広州(中国)、香港、ジャカルタ(インドネシア)、パース(オーストラリア)、シンガポール
鑑真和尚に日本渡来を懇請し、和尚と共に密航の途中、難破して海南島(中国海南省)に漂着した日本人留学僧「栄叡大師」は、揚州への帰路、広東省肇慶市の龍興寺で病没しました。日中国際交流の歴史の中で知られることの少なかった大師が、広東省との交流の礎えとなっています。
以後1200余年の今日、不幸な時期を越えて日中友好回復、中国の対外開放政策により、各分野での日中交流が行われています。
兵軍県が友好提携を結んで9年目(1991年当時)の広東省は、1997年中国に返遭される香港と密接に連携しながら、中国経済を支える華南経済團の中心として成長、発展しています。
特に、対外経済開放の中国初の実験区(経済持区)として、香港に隣接した広東省深せん市は、新興住宅団地や工業団地が造成され、この10年間で人口3万人の小さな村から200万人の巨大都市へと急成長しました。
経済特区は、中国の主権の下で、広く外国から資本・技術・管理のノウハウを吸収する役割を持ち、製造業を中心に内外企業を誘致し、輸出志向型産業構造の確立をめざしています。経済特区の成功は、中国にとって、世界の経済社会の一員として、もう後戻りのできない表舞台に上がったことを意味しています。今や、広大な中国の全ての沿岸地域を核として、豊富な労働力や資源を背景に、外国の資本と技術を導入して産業開発、経済発展が進んでおり、中国国民の所得も着実に伸び、暮らし向きも目に見えて良くなっています。
しかしながら、これだけ急激な改革は、杜会の各分野で好ましからざる現象ももたらしています。豊かな沿岸部の都市(持に広東省広州市など)へ、職を求めて、経済発展の遅れている内陸部の人々が大挙押し寄せる“盲流”。さらには、洽安の悪化、拝金主義の横行、産業開発に追いつかない環境保全対策なども問題視されています。
そもそも、中国の国土は広いが、沿岸省市に人ロの40%が集中し、耕作面積も人口の割に少ない。森林面積も国土全体の13%(日本は67%)、一人当たりの面積では世界の120位程度。産業開発に伴って、この残された耕地も森林も急速に面積を滅らしていっています。広東省も例外ではありません。
しかしながら、皆さんが訪問する広東省広州市は、昔から「食在広州:食は広州にあり」と言われ、本当に美味しい広東料理などのレストランが多いところであり、また、最近発掘され溥物館として公聞されている2000年以上前の「西漢南越王墓」もすばらしい。
観光に、グルメに、活気に溢れた広東の若者達との交流の成果を期待しています。
※大学洋上セミナー‘91報告書『波涛を越えアジア・太平洋を行く』より
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