九龍城砦探検(香港)
 
ツーリズム関連のレポート・エッセイ集 17)
九龍城砦探検(香港)
『香港駐在生活・こぼれた話こぼれなかった話』(中嶋邦弘)より
2002.2.1 神戸新聞総合出版センター 発行
『東洋のカスバ』、『悪の巣窟』、『魔窟』。
 香港の玄関、啓徳空港に隣接して、明るい街として都市整備が進む地域にあって、色褪せて薄暗く取り残された一角いや一帯、「九龍城砦」に冠された呼び名である。一度入ったら二度と無事に出てこれない。犯罪者や密入国者が逃げ込んで、警察も手が出せない。アヘン窟もあるそうだ。

(当時の九龍城砦の外観)
 そんな認識しか持ち合わせていなかった。
 アジアに駐在する仲間たちの情報交換会を、私がホスト役となって香港で開催したある日、香港の電子工場など視察した後に少し時間に余裕が出て、どこか名所でも見に行こうかということになった。
 「九龍城砦はどうだ。内まで入って探検してみないか」
  香港の仲間が提案する。
 「ええっ。そんなところ入れるのか。危ないんではないか」皆が反論。
 「いや、最近はかなり治安は良いそうだ。現に、私も先般入って来たところだ」仲間は続ける。
 「この間、九龍城砦に住んでいたことのある香港人のガイドさんに連れていってもらって内を見た。彼が言うことには、内部をメイン道路だけなら比較的安全だそうだ。行った時も、そんなに危ない感じはなかったなあ。僕が案内するから皆でかたまって行こうじゃないか」
 こうなると恐い物見たさの好奇心がムクムクと沸き上がってきて、見渡す顔も雰囲気は同じ。「行こう!行こう!」
  九龍城砦の南側は、『西頭村』という掘建て小屋のバラックが密集するスラム街があったところで、2年前に取り壊し、今は広場のようになっている(1990年当時)。その前に立って、皆揃って九龍城砦を見上げると、香港の暖かさを否定するように黒々と無言の圧力で圧し掛かかり覆い被さってくる。元あったビルとビルとの間に、不法建築のビルを差し込み、屋上に屋上を重ねた、土に埋もれていたかのようなレンガを立体の3Dジグソーのように積み上げた不気味さ、不安定感が入ろうとする足を重くする。
 1階部分は商店が並んで、うち店の無い一角に小さな入口が黒く開いている。意を決して内へ入る。入口付近は外の光で何とか見えていたが、奥に行くにしたがって道に街灯はなく、真暗闇の中を歩く。通りは意外に掃除が行き届いていて塵一つ落ちていない(後に写真で見て)。住んでいる人を刺激してはいけないので懐中電灯は持ってきていない。所々に通りの家が入口の扉を少し開けているところの前だけに光が注してほの明るい。恐る恐るその光の元を狭い扉の隙間から覗いて見る。裸電球の下で男が惣菜の材料の下拵えをやっている。別の家の所では製麺作業中。ちょっとした小間物雑貨を並べた店も入口を少し開けて営業している。横道に入り、人がすれ違える程度の道幅のようだ。しかし、道は暗い。おまけにかなりの人数でかたまって歩いているので、前後の僅かな光も遮られ、漆黒の闇の中を足で探るようにして進む。それでも暗い中を歩いていると目が馴染んでくる。僅かな光にも反応できるようになる。
(左写真:暗い細い城砦内の道辻から上空を見上げると、僅かに光採りの穴が窺える) 
 そのうち上方から水が小雨のように降っている所がある。そして頭に何か重そうなものがあたる。少し明るい所で見ると、何10本いや100本以上のホースやパイプが直径50〜70センチメートルの丸太のように束ねられ、天井から釣り下げられている。そこからポタポタと漏れ落ちて、降りかかってくるのである。水道水なら良いが、排水汚水用もありそうだ。通路に水が溜まっているところもある。鍾乳洞にもぐっている感じで、地底探検と言うほうが適確だ。通り道には時々段差があってびっくりするが、障害物は無くて暗くても歩き易い。道の途中で上方から照明のようだが自然光でぼんやり明るい所がある。上を見ると遥か上方に2メートル四方ぐらいの空間があり、空が見える。

(城砦内の通路。真っ暗闇で、手探りで進むが、つまずいて、階段だったのが判った。フラッシュ写真で後日、納得)
 もっと進むと暗黒都市の中心と思しき所にたどり着く。この一角は自然光で何とか明るい。明るいといっても間接照明のような薄暗さである。ざっと見て、この九龍城砦のコミュニティ・センターのような所だ。「義学大楼」と看板があって、古そうな獅子像がたっている。道の片隅にはこれも古そうな大砲が置いてある。城砦の名残か。
 また奥に進む。暗闇の中、所々ほの明るい通りを前方から誰かやって来る。天秤に何かを提げている様子。胸を締め付けられるような緊張感の中、無言ですれ違う。しばらくして、道が若干登った感じがあったと思うと、前方に小さな四角く明るい点が見える。電灯ではない。外だ。自然に足が小走りになって動く。出口だ。ほとんど駆け出していた。 
 暗闇から一瞬にして飛び出した所は、何と、賑やかな市場、商店街といった所の真ん中。多くの人が通り、買い物をしている。城砦の北側らしい。全員出てきたのを確認して、皆の顔は自然とほころんでいる。光がこんなにありがたいものだとは。また、恐いところに入ってきた緊張感が胡散霧散して気持ちが良い。
 味をしめて、もう一度別の入口から中へ入ることになった。今度は城砦の中でも繁華街といわれる道を通る。他より広く、若干明るい。恐い恐いの気持ちも薄らぎ、足取りも軽い。さっきの商店街でもそうだったが、歯科診療所(牙科)が数軒おきに看板を出していて目につく。歯科医街だ。途中、道端に渦巻線香が多くぶらさがっているお宮さんのような「福徳古廟」があって、お婆さんがお参りをしている。
 道の両側の様子を見ながら、城砦の南側広場に出た。最初に入った位置からかなり東側だ。振り返り見上げる九龍城砦に、冷たく汚く圧迫感があった入る前と比べて、親しみが感じられるのはなぜか。香港で営々と続けられてきた昔からの庶民生活の息吹に、「魔窟」のイメージは吹っ飛んだのである。(香港1990年当時)
 なお、現在は完全に撤去されて公園となっており、昔の面影は微塵も無い。
九龍城砦の街路図(1980年代)
九龍城砦の古写真(1847年〜1980年代)

九龍城砦城門(1847年)

九龍城砦南門(1847年)

西南面の城垣と城外の村屋(1860年代)

城周辺の王宮城垣と濠(1860年代)

魁星閣、当時は臨海浜(1910年代)

九龍大街(大通)、左に3門海に向く大砲(1910年代)

当時の城砦内の街路(1910年代)

龍津義学(学校)の広場(1910年代)

城砦。左に広芸院(後の老人センター)と右に天国救道堂(1914年)

九龍灣。上方は城砦、下方は啓徳機場(飛行場)(1932年)

九龍城砦。城内に菜園多し(1937年)

香港政庁の建築規制を無視した違法建築群。内は迷路(1970年代)

香港政庁未認可の歯科医が城砦内に多く開業(1980年代)

老人街内の豚肉加工場(1980年代)

街路には水道管、汚水管、電線など束になって走る(1980年代)
※地図・古写真の参考資料:『九龍城塞史話』(魯金、著)三聯書店

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