香港の歳時記
(
ツーリズム関連のレポート・エッセイ集 19)
香港の歳時記
『香港駐在生活・こぼれた話こぼれなかった話』
(中嶋邦弘)より
2002.2.1 神戸新聞総合出版センター 発行
春節(旧正月)
香港のお正月は中国同様、旧暦で祝う。その年(1990年)は1月27日、日本の1月1日と比べるとまだ先である。
ここでの1月1日は、カレンダーの差し替えをする単なる休日といったところで、クリスマス連続休暇のあと、香港の人達は、生活も仕事も平常に戻る。
しかし、この時期日本より暖かく、日本から4時間足らずでやって来れる香港の街は、毎日1万人以上の日本人観光客で溢れかえり、有名ブランドの店頭に行列を作っている。
香港のお正月(旧暦)の挨拶の代表的なものは、「恭喜發財、萬事如意(くんへい ふぁっちょい、まんし ゆーいー)」。これは、「おめでとうございます。財産がどんどん増えますように、万事が思いのままになりますように。」という意味。日本と比べて気取らず、本音を言って、ぐっと迫力がある。
香港の人達のお正月は、一部のお年寄りが初詣をするほかは、家族団らん、親戚や上司への年始で過ごす。そして花を飾る。年の瀬、香港島側では銅鑼湾(とんろうわん)の維多利亜公園(わいたれあこんゆぃん。=ヴィクトリア公園)で花市が開かれ、大晦日から元旦にかけて大賑わいとなって、特にキンカンの花はお金が儲かるとして大人気。お年玉は、赤い小さな袋「紅包(ほんぽう)」に入れ、子供達、友人、会社では上司から部下へ渡します。結婚するまでは貰えるそうだ。そして日頃顔を合すフラットのウォッチマンやお掃除の人などへも忘れずに。
そして、家の入口に「福」の字を書いた紙を逆さまに貼っているのをよく見かける。これは、福が逆さなのは「福が来た」という言葉の発音「福到了(フータオラー)」と同じで縁起が良いからである。
また、クリスマスから引き続いて、急いで模様替えされた春節を祝うイルミネーションがヴィクトリア湾を挟んで九龍側と香港島側のビル街に煌煌と輝くなか、恒例の花火大会が湾内で催される。間近に花火を見るために、観覧船が多く出て、混み合って衝突して何人かが死亡するという事故が起きたりするほど。湾の両側の護岸堤、ホテルや高層マンションのハーバービュー(港の見える)の部屋には友人や近所の人達が集まって、盛大なスペクタクルを楽しむ。
店は、一部の土産物屋やレストランを除いて正月三が日完全休業となる。最近では開店しているところが増えてきているが、それでも普段よりは店が極端に少なく、人通りもまたしかり。しかも中国特有の「ババババババッ」と凄まじい音で弾ける爆竹は香港では禁止されているので、「騒音の街」香港は一転「静寂の街」と化すのである。
バレンタインデー
香港のバレンタインデーは日本の場合と全く逆だ。日本では、女性が馴染みの男性にチョコレートに愛を込めて贈るが、香港では、男性が恋人の女性か妻にバラの花を贈る。恋人には花束、妻には1輪が標準といったところ。
当日の花屋さんでのバラの値段は香港らしく急騰していて、ちょっとしたもの。また、日本の様に義理チョコならぬ義理バラはない。よって、独身女性にとって当日のバラの花は特別の意味を持つ。
その日の夕刻、帰宅する地下鉄にバラの花束を抱えたかなりの若い美人女性が乗り込んできた。その彼女の顔とバラの花束に交互に注がれる車内の他の女性達の視線に、まるで車内で火花を撒き散らすかのようなエネルギーを感じたのは私だけではないであろう。
胸のポケットに入れて我が家に持って帰るバラの花は大丈夫かな。
中秋節
9月中旬、旧暦8月15日の満月の夜、豊作を祝い、遠く離れた家族も集まって、提灯を飾り、皆で名月を鑑賞しながら月餅を食べる、それが中秋節である。
月餅は、卵の黄身がそっくり内臓され、丸い10〜20センチの大判がポピュラーで、親しい人への贈りあう。広東省広州市の店先で幅70センチ、厚さ10センチ以上の超大型を見たこともある。日持ちするように、あんの黄身が塩辛く味付けされていて、日本の甘い月餅と同様に食べると、後で喉が渇くことになる。
日が暮れて月が昇ってくると、色とりどりの動物や魚の形をした提灯を持ってマンション周辺の公園に繰り出し、浴衣姿の日本の子供達も混じって、大勢の人が公園で蝋燭を灯したり、月を愛でる。日本の情緒と共通するものがあり、外国にいることをふっと忘れる瞬間。
ハロウィン
日本にない庶民のお祭り、と言えばハロウィンだ。香港は中国の文化圏にありながら、英国植民地の一つとしてヨーロッパの文化にも馴染んでいる。
10月31日、この祭りの主役は勿論子供達である。娘の環も嬉々として数日前から我が家に集まっていた4、5人の友達と、何やら工作に精を出していた。
当日の夕方、皆で工作していた装束を身に着ける。魔法使いのお婆さんあり、西洋の仔悪魔あり、果物のおばけ、髭面のお面にマント、そしてなぜか娘はエンジェルだ。お馴染みのカボチャのお化けはいないが、まるで学芸会の舞台裏。それぞれビニールの買い物袋を手に持ち、作戦会議。
「Aちゃんちは15階、Bちゃんちは東隣の棟の7階、…・・」
「この階の他は香港人とイギリス人。○○マンションに知っている人がいる。…・」
「私は、西隣の棟に友達多くいるよ。…・」
「家のドアのチャイムを鳴らして、家の人が出てきたら『トリ・オ・トリ』って言うんだよ。そしたら、お菓子をくれるから。いいね。」
「それ、行け!」
騒々しく皆飛び出していった。「トリ・オ・トリ」というのは、「トリック・オア・トリート(Trick or treat ?)」のことで、ハロウィンの夜にお化け達が家々を回って「いたずらがいいか、でなければ、おもてなしか?」と聞き、おもてなしの方にありつくということに因んでいる。ただ、娘達の中には「トリ・オ・トリ」の意味を知っている子は誰もいなかったのだが。
2時間ほどして、娘がキャンディやお菓子で一杯の袋を引きずるように帰ってきた。主に友達の家や誰かが知っている家を中心に回ったが、時々、間違って他人の家のチャイムを鳴らして、出てきた知らないインドやイギリスの人にびっくりしながらも、あの呪文を唱えるとお菓子をくれたそうだ。
我が家でもそうだが、大体襲われそうな家ではハロウィンの夜には配るお菓子を沢山用意しておくことになっている。娘達がよそで駆けづり回っている間に、我が家も何組もの子供達の別働隊に襲われていたのである。
当時はこんなものと軽く考えていたが、ついこの間、アメリカで、日本人の子供がハロウィンの装束で間違った家を訪問し、「フリーズ!」(動くな!)の意味が判らず射殺された事件が起きたが、今思うと、よくまあ無事でよかった。
クリスマス
香港におけるクリスマスとは宗教色より商業色の強い街を挙げてのお祭りである。主だったショッピング・モールにはキリスト生誕や、香港では珍しい雪景色をバックにサンタクロース関係のデコレーションが大々的に飾り付けられる。そして、商業ビルだけでなくオフィス・ビルも競って外壁に大型のクリスマス・イルミネーションで演出する。
各地の繁華街は大型ショッピングセンターを中心に、また、ヴィクトリア湾を挟んで九龍側と香港島側のホテルやオフィス・ビルでは、11月あたりからボツボツと毎年趣向を凝らしたデコレーションが取付けられ、日々、どこそこの物凄い飾りの新作がどうのと、歳末の話題の中心となってくる。シンガポールのオーチャード通りとアジア一、いや世界一を競っており、正に「世界的」催し。
年末の大売り出しもあって、香港に住む人、観光でやってくる人、日に日に混雑度を増し、プロ、アマチュアのカメラマン達、見物の人の群れは夜遅くまで界隈を賑わせる。
12月24日のクリスマス・イブには、豪華な晩餐の後、九龍側の尖沙咀(ちむさーつい)周辺のイルミネーションの中心地へ見物に出かける。このあたりでの食事は、大分前からの予約でないと無理。人々は、ヴィクトリア湾のシーサイドの通り、昼と紛う通りを照らすビル郡の中を、ハンド・イルミネーションの玩具やアイスクリームなどを売る屋台(縁日のよう)の中を何万人の人込みに押し流されるように歩く。地下鉄やバスなどは終日運転となっていることもあり、時の経つのを忘れる宵となるでしょう。
(香港1990年当時)
香港では、各ビルが外壁にクリスマスに続き、旧正月向けのイルミネーションを豪華に飾る
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