執筆活動
 自著紹介『遣唐大使〜平城の華、長安の夢〜』
自著紹介『遣唐大使〜平城の華、長安の夢〜』(中嶋邦弘)
2010.9.3 発行 奈良新聞社(1,890円税込み)
「日本図書館協会選定図書」に選ばれました。
「平城遷都1300年」に贈る歴史浪漫小説

荒海を越えた身代わり大使。宝亀・延暦の遣唐使を大胆に推測!?
山部親王の密命で皇族大使となった藤原葛野麻呂。
唐・代宗皇帝の姫との婚約。新羅の皇子との友情。
25年後の再訪で見た、海を越えた3国(日本、唐、新羅)のきずな。

国家的大事業に翻弄された人を活写。
先進文化を学ぶため命をかけた日々。
日中韓の交流の広がりへ祈りを込めた珠玉の1冊!
●本書「はじめに」より
 大きな使命を得て先進文化の中心であった唐の都に赴いた遣唐使たち。隋の時代から引き続いて、630年に犬上三田耜らが初めて唐に赴き、以来894年に唐国内の混乱と吸収すべき文化の魅力逓減を背景に、任命を受けた大使菅原道真の上奏により停止されるまで、20度派遣された。数々の艱難辛苦をくぐり抜け無事使命を達成できたもの、渡海での遭難、道中や在唐中の事故や病気で挫折したもの、あるいは種々の事情により派遣が中止されたもの、遣唐使一行に加わった者たちや彼らの帰国後の消息なども、その全容については記録も断片的である。帰国者の報告あるいは中国での記録なども多くは伝わっていない。
「平城遷都1300年記念祭」平城宮跡に再建された遣唐使船

平城宮跡に再建された大極殿(第1次)
 特に、宝亀年代(775〜779年)に派遣された遣唐使一行(第16次)については謎が多い。
朝廷内の政治紛争、恵美押勝の乱に続く道鏡と宇佐八幡神託事件などが落ち着き、久方ぶりに遣唐使を送り出したのだが、佐伯大使の突然の単独途中帰京と辞任、大使不在の持節副使による派遣、主たる任務の朝賀の儀へも不参列となるなど、遣唐使としては前代未聞のことが起きている。また、当時、幽閉され死亡したとされる元皇太子の他戸皇子のことやその詐称事件、元遣唐使一行の留学僧の混血児の曾孫で当時の実力者の一人であった藤原種継を宝亀の遣唐判官であった大伴継人が射殺する事件なども勃発している。
唐から宝亀の遣唐使一行と一緒に帰国した天平勝宝年代の遣唐大使藤原清河の混血の娘、喜娘の消息なども伝わっていない。加えて、阿倍仲麻呂や下道真備(後の吉備真備)と同年代で入唐し、唐にて無念の客死をした留学生で、最近に墓誌が発掘された井眞成の消息がなぜ日本に伝わらなかったのか。
 この宝亀年代の遣唐使とは一体どのような使命を帯びていたのであろうか、また現在に伝わっている事柄以外の秘された理由故の意外な流れ、その歴史に隠された展開を、大胆に推測してみた。
 舞台は、平城京の小野邸「唐塾」から始まる。
右写真:鑑真和上の招請に命をかけた留学僧栄叡大師の記念碑(中国広東省肇慶市鼎湖山慶雲寺)
宝亀及び延暦の遣唐使一行の行程図
●本書「目次」より

主な登場人物・ 略図

小野唐塾
大使拝命
難波津出航
大宰府到着
天平勝宝の席次争い
渡唐南路
唐の大地を踏む
洛陽郊外の白馬寺
車中対談

長安、朝賀の儀
美姫、杜蘭豆公主
羽栗翔との再会
清河、仲麻呂の墓参
藤原清河の忘れ形見、喜娘
良成の祖父、井眞成
長安から揚州へ
蘭豆公主たちとの別れ
日本へ
台風襲来
遭難の後
大宰府にて
一件落着
他戸皇子詐称事件と隠蔽工作
移りゆく時
延歴、葛野麻呂大使
宰相の館
邂逅の席
過去から未来へ

遣唐使関連年表
あとがき
●発行「奈良新聞社」へご案内
 奈良新聞社「ご案内・出版物」 http://www.nara-np.co.jp/book/index.html
 (書名『遣唐大使』をクリックすると本の解説がでます。)

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