室津風情〜此の泊風を防ぐこと室の如し
  (郷土史にかかる談話 23)

室津風情〜此の泊風を防ぐこと室の如し

 古来、瀬戸内海の航行の停泊地、避難地として室津の港はありました。遣隋使や遣唐使が往来・利用した奈良時代には、行基菩薩によって定められた「摂津五泊」、すなわち武庫泊(河尻・尼崎)、大和田泊(兵庫沖・神戸)、魚住泊(明石)、韓泊(的形・姫路)、室津(たつの)の一つでした。
 海岸沿いに突出した御崎の間の湾東側奥に位置し、『播磨国風土記』にも「此の泊 風を防ぐこと 室の如し、故に因りて名を為す」とあり、正に「室の如く静かな津」「室の泊」と呼ばれていました。
(左写真:室津漁港)
 中世期には、山陽道の港町として陸上・海上の利便性の高い重要拠点として「室津千軒」と称されるほど繁栄していました。江戸時代には、西国の大名の参勤交代や、江戸参府の長崎出島のオランダ商館長ほか海外からの賓客、特に朝鮮通信使の上京中継地となり、また、6軒の本陣(肥後屋、肥前屋、紀国屋、筑前屋、薩摩屋、一津屋)の本陣をはじめ、多くの旅籠、廻船問屋、海産物卸、港湾施設、漁師、多くの伝説を伝える遊女たちなどが集まり、日本最大の宿場街・流通港湾街を形成していました。特に、明石海峡の難所を避けて、瀬戸内船から室津に上陸し、室津街道を経て西国街道へ陸路を採る拠点でもあったのです。
 室津を利用した歴史上の有名人としては、神武天皇、神攻皇后の伝説のほか、厳島神社参拝の途中に賀茂神社へ参った平清盛、讃岐に配流になった法然上人、楠正成や新田義忠との決戦を控えた足利尊氏、またその孫の室町幕府将軍の足利義満。山部赤人や源俊頼が歌に詠み、万葉集にも室津を取り上げた歌が多く残っています。井原西鶴が『好色一代男』に、近松門左衛門が創作のテーマ・舞台に取り上げ、近年では、谷崎潤一郎が室津の遊女伝説をベースにした『乱菊物語』の舞台に、竹久夢二が地元旅館の女将をモデルに「室の津懐古」を描き、ほか司馬遼太郎や平岩弓枝ら文豪たちが室津を取り上げています。
●室津を彩るエピソードや見所
(1)瀬戸内海の風情
 山部赤人が下京の際、室津沖の辛荷島付近を航行した際に詠んだと伝わる「玉藻刈る 辛荷の島に島廻する 鵜にしもあれや 家思はざらむ」、また読人不知ながら「室の浦の 湍門の崎なる 鳴島の 磯越す波に 濡れにけるかも」など、万葉集に収録されている。
 この風光明媚な瀬戸内海にあって、明治維新時に来日した外国人で、シーボルトは賀茂神社から眺める唐荷島(辛荷島)の風景を讃え、また、ドイツの有名な地理学者のリヒトホーフェンが1860年に瀬戸内海を旅した際に「(瀬戸内海は、)広い区域に亘る優美な景色で、これ以上のものは世界の何処にもないであらう。将来この地方は、世界で最も魅力ある場所のひとつとして高い評価をかち得、沢山の人を引き寄せるであらう。・・・かくも長い間保たれて来たこの状態が今後も長く続かんことを私は祈る」と絶賛したのも、室津あたりから見る瀬戸内海の多島海風景である。

(写真:万葉歌碑の建つ藻振鼻の対面に浮かぶ唐荷島。唐の船が室津沖で難破して、多くの積荷が漂着した島だそうです。)
(2)遊女発祥の地
 摂津五泊として整備される以前より風雨を避ける港として使われていたであろう頃からも、世界最古の職業はあったかとも思われる。1,000年以上前のこと、花漆という遊女長者が室君と呼ばれ、室津の遊女を取り仕切り、唐船の貴人からもらった財宝を天皇に献上し、褒美に頂いた黄金千両で室津に五ヶ寺を創設し、その一つが見性寺といわれる。
 また、木曾義仲の妾だった山吹御前が、義仲討ち死に後に流れ着いて友君の名で遊女となっていた時、讃岐に流刑になる法然上人に教えを乞い、遊女をやめて念仏往生したと伝わる。
 江戸時代、流行作家だった井原西鶴が「好色一代男」で「播州の室津より事起こる」と「遊女発祥の地」として紹介した。

(写真:浄運寺門前に建つ友君のお墓)
(3)朝鮮通信使
 朝鮮通信使は、江戸時代に朝鮮国王が日本の徳川将軍に使いした親善大使でした。朝鮮との交流は、室町時代からあって、秀吉の朝鮮出兵で中断、対馬藩の調整もあって、鎖国政策の中にあって唯一の正式外交関係が続きました。通信使一行は、約500人規模の交流団で、瀬戸内海を大船団で航行し、途中、この海駅室津には必ず寄港、宿泊するなど、往時の国際港湾としての室津の繁栄が窺われます。
(右写真:朝鮮人来朝図、神戸市立博物館蔵)
(4)室津海駅館
 近世から近代に活躍した廻船問屋「嶋屋」が江戸後期に建てたもの。明治初期に一部増築した、切妻平入り本瓦葺き二階建てという室津の町家の特徴をよく表している。たつの市の文化財に指定。
 展示内容は、@嶋屋を中心とした室津の廻船、A多くの大名の上陸・乗船、6軒の本陣を利用した江戸時代の参勤交代、B長崎の出島のオランダ商館長の江戸参府、C正使・副使を中心に500名の朝鮮通信使一行、応接の様子、などです。
(右写真:たつの市立室津海駅館)
(5)室津民族館
 江戸時代、苗字帯刀を許されて姫路藩の御用達も勤めた豪商「魚屋」の遺構。室津における宿駅と商業の中心地に位置した大型町家。吊り上げ式二重戸や隠し階段など一般町家にない仕組みや虫籠窓があり、兵庫県住宅100選や県の文化財にも指定。
 展示には、一本釣り和船の模型、箱階段、登城かごのほか、江戸時代の古地図、魚屋の資料、小五月祭、革細工、漁業関係の資料等が並ぶ。

(6)その他の見所

(写真:たつの市立室津民族館)
(本陣紀伊国屋の跡)

(清十郎生家跡:井原西鶴の「好色五人女」の一人、お夏の恋人清十郎の造り酒屋の生家跡と比定されている)

( 見性寺:室君が建立したといわれる五ヶ精舎のうち現存する唯一の寺)

(本陣肥後屋跡:豪商「魚屋」の向かいの角にあった)

(寂静寺)

(姫路藩御茶屋跡:藩主の室津見回りの休憩所で、朝鮮通信使など賓客の接待に使われた)

(賀茂神社:1180年平清盛が厳島詣での途中に立寄った。社内に日本最北端の蘇鉄の群生があり、天然記念物に指定)

(法然上人の貝掘の井戸)

(浄運寺:法然上人の二十五霊場の一つ。友君という遊女が上人の説法を聞いて得度し、念仏往生をした)

(御旅所)

(木村旅館別館の千年茶屋:室津の遊女伝説を「乱菊物語」に書いた谷崎潤一郎、旅館の女将をモデルに「室の津懐古」(右の写真)を描いた竹久夢二も逗留した)
 永い歴史にあって、重要な場面に色々な人々が往来し舞台として登場してきた室津。往年の繁栄、その旧実を脳裏に思い浮かべ再現しつつ、今なお残った歴史を感じながら港街を歩く。その風情こそが室津の魅力である。(2011年2月)

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