弥生時代後期〜邪馬台国の鉄器生産基地「五斗長垣内遺跡」
  (郷土史にかかる談話 24)
弥生時代後期〜邪馬台国の鉄器生産基地「五斗長垣内遺跡」
 淡路島の北部、淡路市黒谷五斗長(ごっさ)地区のほ場整備(農業生産法人等育成緊急整備事業)に伴って2007年から実施されてきた発掘調査の結果、弥生時代後期(1世紀半ばから3世紀初め)の建物跡、しかも建物内に炉跡があり、鉄製品や素材、鉄器づくり用石製道具類などが出土しました。
 これらにより、この遺跡は一般集落ではなく、鉄器生産に特化した工房跡で、いわば、「ムラの鍛冶屋」ならぬ「鍛冶屋のムラ」であったと思われます。

(左写真:五斗長垣内遺跡の一部復元された風景)
 五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡は、播磨灘を見下ろす標高200mの津名丘陵の西側、海岸から3qにあって、東西500m、南北100mの発掘された区域から発見されました。
(1)調査の結果、検出された遺構(弥生時代)
@竪穴式建物が23棟、うち炉跡を有するもの12棟。形状は、円形16棟で、うち張出を有するもの1棟、方形または長方形が2棟、隅丸長方形が5棟。
A掘立柱建物跡
B溝、土杭など
C炉跡の構造は、掘り込みを行わず、床面をそのまま炉底とした構造で、赤く焼けた中に黄色から白色の固く焼け締まった部分が存在する。
 

(五斗長垣内遺跡の位置する丘陵地から播磨灘を見下ろす)
五斗長垣内遺跡発掘地区の平面図(淡路市教育委員会)
(2)出土遺物の特徴
@鉄製品
 出土鉄器の総数は約130点を超える。うち弥生時代のものとみられる鉄器は約80点。板状鉄斧(全長17.9cm、刃部幅4.9cm、基部幅3.0cm、最大厚1.3cm、重さ263.2g)、鉄鏃、板状鉄片、棒状鉄片、微小鉄片など。
A石器
叩石(石槌)として、石英、ハンレイ岩、結晶片岩、砂岩など。台石として、花崗岩、花崗斑岩。砥石として、凝灰岩、砂岩など。
B弥生土器
壺、甕、鉢、高杯、器台など、一般的な器種が出土。小型土器、絵画土器などが出土。
(3)鍛冶復元実験
  炭の材質の特定、炭の温度を上げる送風革袋に取り付けた送風管の材質、たきぎ燃焼による米炊き跡と鉄器製造炉跡の比較を検証。
 この実験により、クヌギやコナラなどを焼いて作った少量の炭を積み重ねて燃やし、革袋で送風して鉄を溶かし(わずか20分で鍛冶が可能となる800度を超えて1,100度に達した)、周辺で集めた石でこしらえた工具で加工していたものと思われます。
※ 以上の(1)〜(3)は、淡路市教育委員会報告より

 現在、五斗長垣内遺跡の活用に向けて、鍛冶工房建物の復元実験が進められています。兵庫県ヘリテージマネージャや県立考古博物館の指導やノウハウを生かして、県や市、五斗長まちづくり協議会など多くの地元住民の参画によって、材料の収集や確保、柱の組立、屋根葺きなどが行われました。古代の鍛冶工房の大型建物「ごっさ鉄器工房」(直径約11m、高さ約7mの円錐形。外装は茅葺で、内部は火を使って鍛冶体験が可能)も復元され、見学や校外学習の場として活用されます。
 当時は、日本での鉄器製造は弥生時代の中期に中国や朝鮮半島から九州へ伝わったとされています。しかし、国内では鉄の素材は自給することができず、主に輸入した材料を加工していたのでないかとも言われています。また、九州から畿内へと政力図が変化して行き、邪馬台国の存在や比定の論議の的になっている時期でもあります。
(左写真:復元された遺跡内最大円形工房、「ごっさ鉄器工房」)

 弥生時代後期の鉄器といえば、日本の国家形成の重要なポイントになっています。昔の中国の数々の書にあるように、2世紀の後半には倭国(日本)において小国が争う「倭国大乱」が起きていた(177年〜187年頃?)。その一つ、『魏志倭人伝』にも、「其の国、もと亦男子を以って王と為し、住(とど)まること七、八十年、倭国乱れ、相攻伐すること暦年、及ち一女子を立て王と為す。名づけて卑弥呼と曰う」とあり、ちょうどこの時期に五斗長垣内遺跡(1世紀後半〜3世紀前半)での活動が窺えるのです。
 邪馬台国の所在は畿内説、九州説とありますが、畿内には九州や山陰地方に多く見つかっている鉄器工房跡がほとんど確認されていませんでした。しかし、ここ五斗長垣内遺跡の発掘により淡路島にその存在が証明されました。学界においても、播磨から河内にかけた大阪湾沿岸、奈良盆地周辺の有力者たちが連合し、鉄を中心とした物資の流通を統括し、その拠点を沖合の要衝地である淡路島に築いたのではないか、と見られています。
 また、本遺跡は海岸線から約3q内陸の標高200mの地にあり、弥生時代後期の「高地性集落」を思わせますが、山城・周壕などの軍事的なものは見当たらず、比較的平穏な村であったようです。
 2012年9月には国史跡に指定されました。邪馬台国との関係が窺えるこの遺跡、今後の調査研究が楽しみです。
(2011年2月、2013年9月)
 平成27年度から再開されていた近隣(約6km北東)の「舟木遺跡」から、同じく鉄器生産工房と思われる遺跡が発見され、淡路島が弥生時代後期における近畿圏の鉄器生産ゾーンであったことが伺え、今後、「五斗長垣内遺跡」と「舟木遺跡」の発掘・研究が進むことを期待します。
(2017年2月)

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(70)淡路島の大規模鉄器生産基地をうかがわせる「舟木遺跡」

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