日本最古のビリケンさんが祀られている神社
 (郷土史の談話37)
日本最古のビリケンさんが祀られている神社

 明治の末期、海外から来た福の神として日本に伝わって、庶民の間に広がって行った幸福の神様「ビリケンさん」。尖った頭に吊り上がった目、子供の姿をした「幸福の神様」。坐像の前に投げ出した両足の裏を掻いてあげるとご利益があるそうです。
 大正、昭和初期にかけて、国内各地で外国の福の神、マスコット看板などで親しまれていた。その当時のビリケン像は、現在ほとんど残されていません。(今年、通天閣100周年で新ビリケンさんが安置されましたが3代目で、それまで置かれていた像は戦後再生された2代目。)
 ところが、探し求められていた流行当時(大正、昭和初期)のビリケンさんが神戸で祀られていたのです。

ビリケンさんの由来
 そもそもビリケンさんは、1908年、アメリカ・ミズーリ州カンザス市の芸術家フローレンス・プリッツが夢の中で見た神秘的な人物像をモデルにして制作。当時、「ビル」と呼ばれていたアメリカ大統領のウィリアム・タフトから付けたと伝わっていましたが、どうやらプリッツは、カナダの詩人ブリス・カーマンの詩集の登場人物にちなんで命名したものの様です。

 1909年(明治42年)頃に日本に渡来し、早速、1911年(明治44年)に大阪の繊維会社(現在の田村駒梶jが商標登録。商売上のキャラクターとして活用されたそうです。そして、大阪で1903年(明治36年)に開催された「第5回勧業博覧会」の跡地を利用して、1912年(明治45年)に開園した新世界の遊園地「ルナパーク」のホワイトタワー内の設けられたビリケン堂に像が置かれ、祀られて名物となりました。
 しかし、この初代像は、遊園地の閉鎖時に行方不明になりましたが、その後、大正から昭和初期にかけて全国的に受け入れられて広まり、縁起物などとして流行りました。当時、頭の先が尖った豆電球のことを「ビリケン球」と言ったり、大正年間の第18代内閣総理大臣の寺内正毅が、尖ったはげ頭、目が吊り上がって、ビリケンそっくりでしたので、またその寺内内閣が政党からの入閣無しの「非立憲(ひりっけん)内閣」だったことから、寺内首相は「ビリケン宰相」とあだ名を付けられたというエピソードも伝わっています。
 しかし、戦中の混乱のなか、舶来の神様として不遇の扱いを受けたであろうことは充分に想像できます。多分、その頃には全国各地にあったビリケンさんが行方不明となった模様です。戦後の自由思想の浸透に併せ、1979年(昭和54年)に完成した大阪の通天閣に、昔新世界ルナパークで人気であったビリケンさんを復活。また、2012年の通天閣100周年のリニューアルに併せて新しい像(3代目)が、伊丹の安藤新平さんの木彫刻で復元、新調されました。
現在では、発祥の地アメリカの大学構内や、国内各地で公園の一角、集客施設、飲食店頭などに復活しています。
日本最古の神戸のビリケンさん
 当時のビリケン像が祀られている神戸市の2つの神社は、何と、神戸でも歴史の古い「大輪田泊」「兵庫津」に近い、神戸市兵庫区内の松尾稲荷神社と鎮守稲荷神社の2つの神社です。
(1)兵庫区東出町の「松尾稲荷神社」で福の神「松福様」として信仰されています。このビリケンさんは、大阪で祀られた直後の大正の中頃(10年頃、日本最古と思われる)に、神戸元町の洋食屋が客寄せにと造られたものでした。

(兵庫区東出町、JR神戸駅の南、松尾稲荷神社)

(松尾稲荷神社の本殿へ)

(神社本殿の奥に祀られている大正中期10年頃のビリケンさん。日本最古と思われる)
 七福神の大黒様に似た、米俵・打ち出の小槌・宝珠・背中に大判といった、どちらかと言えば和風。余りの大人気で店頭混雑に困った店主が、昭和初期に松尾稲荷神社に奉納されたそうです。
  日本初代の大阪新世界のビリケン像が行方不明になった直後に、神戸の洋食屋が宣伝用に使ったので、ひょっとしたらこれが初代かも、との噂があります。しかし、先日、初代の像の写真が発見されたとかもありましたが、やはりちょっと違うようです。(松福様の方が、初代大阪のより、ちょっと大きい?)
また、最近では、近くの中央区東川崎町の神戸市立摩耶兵庫高校で、「松福様」にあやかって発砲スチロールで生徒たちに手作りされたビリケン像が玄関ホールに鎮座しています。
(2)奇しくも近隣どおしの神社、兵庫区西出町の「鎮守稲荷神社」で最近になって本殿裏に安置されていたのを再発見されました。この神社には、平家ゆかりの「平経俊塚」や江戸末期の豪商高田屋嘉兵衛の献灯籠があります。

(兵庫区西出町、JR神戸駅西すぐの鎮守稲荷神社)

(鎮守稲荷神社の本殿)

(神社本殿内に祭られているピリケンさん。昭和5年のもので、日本最古2番目)
 ただ、この像は「ピリケン菩薩」(「ビ=bi」ではなく「ピ=pi」)と「永政天大 昭和5年10月5日」と記された小石を体蔵していたので、昭和初期のものと思われます。(当時、神戸では「ビリケンさん」ではなく、「ピリケンさん」と呼ばれることが多かったそうです。)
 ともに、大正中期、昭和初期の当時の日本最古と2番目のビリケンさんです。(2012年7月)

※クリックして下さい。
「郷土史にかかる談話室」メニュー へ戻ります。

※クリックして下さい。
「神戸・兵庫の郷土史Web研究館/郷土史探訪ツーリズム研究所」のトップ・メニューへ戻ります。

当研究館のホームページ内で提供しているテキスト、資史料、写真、グラフィックス、データ等の無断使用を禁じます。