懐かしの歌・童謡・唱歌ゆかりの地(兵庫県内)
  (郷土史にかかる談話 39)
懐かしの歌・童謡・唱歌ゆかりの地(兵庫県内) 
 歌のテーマや題名・歌詞に地元のことが取り入れられている曲は、その地域にとって大変馴染みのあるものです。昔は、出身地や故郷を郷愁をもって歌うもの、憧れの地としての都会を望むものが主流でしたが、最近では、特定の地域、地元紹介の意味合いで歌われることも多くなってきました。

(須磨寺の「青葉の笛」の歌碑)
 これらを「ご当地ソング」と称するが、そもそも、唱歌、童謡、民謡に加えて、田舎と都会の人口流動が社会事象に現れてくる頃には、故郷望郷・郷愁を歌う演歌、都会生活への期待感を込めた歌謡曲が多く広まったのです。
 特に最近では、歌に寄せて地元のPRに活用して地域活性化に役立てようとしたり、災害などの社会的な激変に向き合うことを支援する応援歌となる傾向もあります。
 こうして、みんなに親しまれた「ご当地ソング」は昔は、長崎、京都、東京、大阪が中心でしたが、今では結構、日本全国各地をテーマにしたり、歌詞の一部に取り込んだりされてきています。
 神戸・兵庫は、昔からトップクラスではありませんが、よくテーマに取上げられています。どのような地域がどのように歌われてきたか、兵庫県内で、明治以降の主な「懐かしの歌・童謡・唱歌のゆかりの地」を紹介します。
●唱歌・童謡
「鉄道唱歌(東海道篇)」
大和田建樹 作詞、多梅 雅・上 眞行 作曲。 明治33年

 「汽笛一声新橋を 早我が汽車は離れたり・・・」で始まるこの歌は、元々は、子どもの国土地理教育のために作られた曲で、広く一般に人気を博した。沿線の地理や歴史、民俗や伝統、名所や名産品などを次々と紹介している。「東海道篇」の兵庫県内のところは61番から66番まであって、東から神埼(尼崎)、有馬山、伊丹、神戸港、和田岬、布引の滝、楠公、湊川、神戸駅の終点に至る。「・・・神戸の夜に身を置くも 人の翼に汽車の恩」。
(布引の滝)
「鉄道唱歌(山陽・九州篇)」
大和田建樹 作詞、多梅 雅・上 眞行 作曲。 明治33年

 「東海道篇」に続き、「山陽・九州篇」が出された。神戸駅を出発して九州方面へ、1番から9番までが兵庫県内を歌う。取上げられた地点は、布引の滝、兵庫、鷹取、須磨の浦、敦盛、青葉の笛、須磨寺、鵯越(義経、一の谷古戦場)、舞子の松、淡路島、岩屋の灯台、明石の浦、柿本人磨神社、加古川、高砂、尾上寺(高砂の松)、阿弥陀、姫路(城)、生野、那波(相生)、赤穂(浅野内匠の城)と多彩。「・・・四十七士が仕えたる 浅野内匠の城のあと」。
 この後、続々と奥州・磐城、北陸、関西・参宮・南海、北海道と出され、全6篇の国民的ご当地ソングとなった。
(一の谷古戦場)
「青葉の笛」
詞 大和田建樹、曲 田村虎蔵。 明治39年

 一の谷の合戦で、敗走する平家に追いついた熊谷次郎直実に討たれた平敦盛が、今わの際まで持っていた「行き暮れて 木下蔭を 宿とせば 花や今宵の あるじならまし」の詩と青葉の笛。須磨寺に伝わる。「一の谷の いくさ破れ・・・持ちし箙(えびら)に 残れるは 花や今宵の歌」。

(青葉の笛(須磨寺))
「デカンショ節」
民謡。 明治40年

 元は篠山地方の盆踊り歌「みつ節」で、明治中期に千葉に遊学していた篠山の若者たちが歌っていたのを、旧制一高生が聞きとめて、「デカンショ節」として伝わり、それが全国に広がった。その際の「デカンショ」の由来は、学生らしく、デカルト、カント、ショーペンハウエルの略であるといわれたが、実際には、灘の酒造りに篠山地方から出稼ぎに行っていた杜氏(とうじ)のことを「出稼ぎしよう・・・」と歌ったもの。「デカンショ デカンショで 半年暮らす ヨイヨイ・・・」「丹波篠山 山家の猿が・・・」「猪がとびこむ牡丹鍋」「おらが自慢の丹波杜氏」。
(デンカショ踊り(篠山市役所前))
「村の鍛冶屋」
文部省唱歌、作詞作曲不詳。 大正元年

 「トンテンカン!」と心地よい響きが伝わってくるようなリズミカルな曲である。昔ながらの鍛冶場の作業風景が歌われています。金物のまち三木を象徴するようです。「しばしも休まず 槌打つ響・・・」。三木金物資料館前に歌碑が建てられています。
(三木金物資料館前の歌碑)
「月の沙漠」
柳井はるみ歌、加藤まさを作詞、佐々木英(すぐる)作曲。大正12年
 「月の沙漠を はるばると 旅のラクダが 行きました・・・・」 この歌のイメージは、作詞家加藤が静養した千葉県の御宿海岸とされ、現在、そこには月の沙漠記念館や王子と姫のラクダ姿の像が立つ。メルヘンチックな情景を醸し出すメロディーに、大人気となりました。作曲した佐々木英は、明治25年、高砂市阿弥陀町魚橋(正連寺境内)に生まれ、「お山の杉の子」など、生涯2000曲以上の童謡を作曲しました。ちなみに、「砂漠」ではなく、「沙漠(すなはまを意味する)」です。
(左は、高砂の正連寺にある佐々木英の顕彰碑。右は、その碑版に描かれた月の沙漠のイメージ)
「赤蜻蛉」
三木露風作詞、山田耕作作曲。 昭和2年

 龍野で子ども時代を過ごした露風が、北海道で文学講師をしていた時に、望郷の思いと子守の姐やを通した母への思慕が込められている。「夕焼け小焼けの 赤蜻蛉 負われて見たのは 何時の日か・・・」。日本人が一番好きな童謡である。露風の生まれ育った裏山の龍野公園にレリーフと赤とんぼの歌碑がある。
(龍野公園の赤とんぼの歌碑)
「一番星みつけた」
文部省唱歌 生沼勝作詞、信時潔作曲。 昭和7年

 夕焼け空が暗さを増す頃、天空に一つ、二つ、三つと次々と星が輝き始める。「一番星みつけた あれあの・・・」。日本標準時の子午線が通る地、今は天文台もあって星が綺麗なところ。当時、明石高等女学校(今の県立明石南高校)の校長先生が作曲した。
(明石市立天文科学館)
「牧場の朝」
文部省唱歌 杉村楚人冠作詞(定説)、船橋栄吉作曲。 昭和7年

 「ただ一面に立ちこめた 牧場の朝の霧の海 ポプラ並木の・・・」 作詞家がイメージしたのは、福島県岩瀬郡鏡石町の岩瀬牧場とされています。作曲家船橋栄吉(声楽家)は、明治22年、明石市に生まれ、ドイツ留学から東京音楽学校声楽科主任教授を勤め、教科書編集、全国での教師講演会など多忙で、43歳の円熟期に惜しまれつつ亡くなられました(過労死とのこと)。日本人によるベートーベン「第9」の初演でバリトン独唱は有名。船橋栄吉顕彰碑・歌碑は、出身地の明石市の善楽寺戒光院(紫式部『源氏物語』に登場する明石入道の「濱の館」とされている)に建てられています。
(明石市の善楽寺戒光院の歌碑)
「春の唄」
作詞:喜志邦三、作曲:内田 元。 昭和12年

 NHK大阪ラヂオ局が「国民歌謡」として放送。「ラ、ラ、ラ 赤い花束車に積んで 春が来た来た 丘から町へ・・・」と唄ったのは、阪急「西宮北口駅」近くの北口市場の風景を描いた、とされる。新婚の作詞者の妻が市場に買物に行くのが登場する。北口市場は、阪神淡路大震災で壊滅的被害を受け、その後、住宅や行政機関、商業などの複合施設「アクタ西宮」に生まれ変わり、県立芸術文化センターなど、素晴らしい街に復興した。
(アクタ西宮前の「春の唄記念碑」)
「花の街」
作詞:江間章子、作曲:團伊玖磨。 昭和22年

 神戸が歌詞のモチーフである。戦後の焦土、瓦礫の残る風景を目の当たりにする毎日であった頃、「たくさんの人に夢を与えるような詩」を頼まれて、「乙女心に憧れていた、未だ見たことの無い憧れの神戸は、さぞかし、お花の咲き乱れている美しい街だろう、と想像した」との作詞者の弁。この歌に、多くの日本人が復興への目標としたことであろう。「七色の谷を越えて・・・春よ春よと 駈けて行ったよ・・・」。
(諏訪山のフラワー会館)
●昭和初期
「すみれの花咲く頃」
作詞:白井鐵造、作曲:F・デーレ。 昭和5年

 当時、パリに留学してこの曲を聴いていた白井が、帰国後に宝塚少女歌劇「パリゼット」の演出に携わった時に、日本語訳歌詞を付けで主題歌とした。「すみれのは〜な〜咲く頃〜 初めてき〜み〜を知りぬ〜 忘れなき〜み〜・・・」。天津乙女、門田芦子ほか宝塚歌劇団生徒達が歌い、清純な乙女の純愛と憧れをイメージして、大人気となった。 
(宝塚歌劇場を背景に、「ヴェルサイユのばら」のオスカルとアンドレの像)
「おお、宝塚」
作詞:白井鐵造、作曲:H・カールトン。 昭和5年

 「すみれの花咲く頃」と同じくして、宝塚少女歌劇を賛美し、行進曲風に「憧れの美の郷」宝塚を高らかに歌う。宝塚歌劇団の団歌と言ってもよい曲である。「小さな湯の町宝塚に・・・おお宝塚 我が憧れの美の郷」。
(宝塚歌劇場入り口周辺の花の道)
「みなと音頭」
作詞:西条八十、作曲:佐々紅華。 昭和8年

 神戸みなとの祭りの第1回開催の際、テーマソングとして作られた。祭りのパレードに、浴衣姿で阿波踊りの連のように自治会単位でまとまって踊り歩いたものである。当時は秋に開催されていたこともあり、直前の盆踊りでも愛唱された。「こう〜べみなと〜は、まちからまちへ、ヨイヤサ・・・みなと祭りの灯が続く」と、通りをずっと連なるみなと祭の灯、扇の港、須磨の桜、進水式、元ブラ、波止場、新開地などが出てくる。
(神戸港)
「六甲おろし」
作詞:佐藤惣之助、作曲:古関裕而。 昭和11年

 プロ野球チームの阪神タイガース(作曲当時は大阪タイガース)の球団歌で、通称「六甲おろし」、昭和36年に球団名と同時に改題された日本最古の球団歌である。「六甲おろしに 颯爽と 蒼天駈ける 日輪の・・・」。70年代(昭和45年頃)に朝日放送のパーソナリティ中村鋭一が「六甲おろし」を歌い、全国に広めた。

(甲子園球場)
「別れのブルース」
歌:淡谷のり子、作詞:藤浦 洸、作曲:服部良一。 昭和12年

 外国航路もあるメリケン波止場を舞台に、ぶらりと立ち寄り、闊歩するマドロスとのはかない恋を歌う。港の旅情を代表したブルース調の歌である。ソプラノの淡谷が低音域の曲を見事に歌い、ブルースの女王と称せられた。「窓を開ければ、港が見える メリケン波止場の 灯が見える・・・」
 しかし残念ながら、どうやらこのメリケン波止場は、作曲家が作詞者に、横浜の夜をイメージして依頼した模様で、横浜のメリケン波止場(大桟橋)が本命とのことですが。
(メリケン波止場)
「港が見える丘」
作詞作曲の東辰三。 昭和22年

 横浜に同名の丘公園ができて、もっぱら横浜を歌っているとされているが、本当は神戸の港のことである。作詞者の東は、大正末期、青春時代を神戸の山手、葺合の筒井村(現在の神戸海星女子学園や市立葺合高校がある丘)にあった神戸高商(現在の神戸大学。設立当時は、葺合区筒井村)に通い、そこから何時も眼前に広がる神戸の港を見ており、モチーフであるとしている。よって、「港の見える丘」は神戸なのです。「あなたと二人で来た丘は 港が見える丘・・・春の午後でした」。
(港が見える丘にある神戸海星女子大学)
「青い山脈」
作詞:西条八十、作曲:服部良一。 昭和24年

 戦後の復興、新生活への意気込みを歌って、当時の国民に熱狂的に受け入れられた。この曲は、作曲家の服部が、梅田から京都への満員電車から西に霞む六甲連山を見て、急に思いついたメロディを、立錐の余地のない車内でハーモニカなどによく使う数字音符(6032,3342,64322,3000〜=ラーミレ、ミミファレ、ラファミレレ、ミーーー)でメモって、京都に到着した時は完成していたという。「若く明るい歌声に 雪崩は消えぬ 花も咲く 青い山脈・・・」。
(六甲山の嶺々(尼崎から))
「栄冠は君に輝く」
歌:伊藤久男 作詞:加賀大介、作曲:古関裕而。 昭和24年

 全国高校野球選手権大会歌として開会式、閉会式で演奏・歌われる。大会行進曲は別にある。戦後の新制高校に改まった年に、全国から歌詞を公募し当選したものを採用した。試合中の怪我で野球を断念した作詞者の熱い思いが凝縮されたような歌で、全国の高校生球児たちに愛唱されている。「雲は湧き 光溢れて 天高く 純白の球 今日も飛ぶ・・・ああ栄冠は君に輝く」。
(全国高等学校野球大会の碑(甲子園球場))
●昭和後期
「鉄人28号」
歌:デューク・エイセス、作詞:三木鶏郎、作曲:三木鶏郎。 昭和34年

 大戦中に兵器として秘密開発されたロボット鉄人28号は、リモコンを操る人の意思で正義にも悪にもなる。原作の漫画は昭和31年から子供向け月刊誌『少年』に連載された。 昭和34年ラジオ、昭和35年からTVドラマ化。漫画の作者の横山光輝氏は神戸市須磨区の生まれ。阪神淡路大震災ほ被害の大きかった長田の復興に、2009年に新長田駅前の若松公園に高さ15.6mの実物大の鉄人28号像が完成。地元は横山光輝さんの作品「鉄人28号」のほか「三国志」をテーマにまちおこしに取り組む。「ビルのまちに ガオー、・・・ビューンと飛んでく鉄人28号」
(新長田駅前の若松公園に立つ、等身大の鉄人28号像)
「鉄腕アトム」
歌:TVアニメ主題歌、作詞:谷川俊太郎、作曲:高井達郎。 昭和38年

 世界で初めてヒューマンチックで人間を支援し、共存できる存在として、兵庫県宝塚市出身の漫画家手塚治虫氏の描いたロボット「鉄腕アトム」は、子供たちのみならず、世界中の人々、将来のロボット開発を目指す学生、研究者を魅了してやまない。昭和26年から始まった鉄腕アトムは、昭和38年にTVアニメ化。初期のモデル設定の10万馬力・七つの威力は、ゆくゆく新しい威力を多数付け加え、百万馬力になった。「空をこえて ラララ星のかなた・・・心やさし ラララ科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム」
(鉄腕アトムの像)
「白鷺(しらさぎ)の城」
歌:村田英雄、作詞:星野哲郎、作曲:市川昭介。 昭和40年

 世界遺産の姫路城は、白漆喰塗りの城壁が照り、白い鷺が翼を広げた姿を彷彿させるとして、「白鷺の城」と呼ばれている。村田の浪曲風の演歌で、重厚な城構えと景観、歴史を歌い込んで、地元の誇りであり愛唱歌となっている。歌中に、漢詩「五畳城楼・・・」が吟詠される。「花の霞を 翼にだいて・・・はるか見晴らす 白鷺の城」。
(姫路城)
「ゲゲゲの鬼太郎」
歌:熊倉一雄、作詞:水木しげる、作曲:いずみたく。 昭和43年

 日本古来の妖怪をテーマにした漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげる氏は、大阪生まれで鳥取県境港市で育った。招集で従軍。戦後復員して美術学校を中退して神戸に転居。神戸市兵庫区水木通にてアパート「水木荘」を経営しながら紙芝居・貸本漫画作家として活動。その頃から呼び名は本名ではなく「水木さん」だったのでペンネームにしたそうです。昭和28年に西宮へ、昭和32年に上京。その後、昭和40年から「鬼太郎」シリーズがはじまる。TVアニメ化は昭和43年。「ゲッ、ゲッ、ゲゲゲのゲー 朝は寝床でグーグーグー・・・おばけにゃ学校も試験も何にも無い・・・」とは子供たちにとって理想郷。
(境港市の鬼太郎像)
「恋人もいないのに」
歌:シモンズ(田中ユミ、玉井タエ)、作詞:落合武司、作曲:西岡たかし。 昭和46年

 女性デュオで、恋への決別(失恋)に訪れた海、「薔薇の花束抱いて、いそいそ出かける 想い出の海・・・」は、少女時代によく行った須磨・明石の海である。ちなみに、シモンズのデュオ名は、サイモンとガーファンクルのサイモン+ズ(2人複数)の直読みとのこと。
(須磨の海岸)
「そして、神戸」
歌:内山田洋とクールファイブ、作詞:千家和也、作曲:沢 圭介。 昭和47年

 阪神・淡路大震災のあった95年暮れの第46回NHK紅白歌合戦において、被災地からの復興応援歌としてリクエストが集まり、「神戸、泣いてどうなるのか・・・」、「ひとつが終わり ひとつが生まれる・・・」と激励。被災地にとって、単なる男女の愛憎の歌ではなく、復興への決意の歌となりました。
(南京街)
「昔の名前で出ています」
作詞:星野哲郎、作曲:叶 玄大。 昭和50年

 愛しい人が立ち寄ってくれる可能性の高い京都、神戸、横浜へと流れた女の最後のとまり木はどこでしょう。「神戸じゃ“渚(なぎさ)”と名乗ったの・・・」は、夜の酒場で名乗る源氏名。
(神戸の酒場の広告マッチラベル)
「港、坂道、異人館」
歌:いしだあゆみ、作詞:喜多條忠、作曲:大野克夫。 昭和52年

 別れた愛しい人を想い出しながら歩く神戸港が見えるテラス、青いガラス絵の異人館、港と結ぶ北野坂・・・。「帰らぬ人でも 待つように・・・今は風の中」。歌詞中に「外人墓地から 鐘が鳴る・・・」とあるが、横浜なら異人館と外人墓地は近いが、神戸では異人館街から裏山奥にある再度公園内外国人墓地の礼拝堂の鐘の音が聴こえるというのは、ちょっと無理な話。
(北野の異人館)
「ダンシング・オールナイト」
歌:もんた&ブラザーズ、作詞:水谷啓二、作曲:もんたよしのり。 昭和55年

 ハスキーな声を張上げ、キャンドルが揺れる一夜の煌き、夜のムードを高める。「甘い時はずむ心・・・無邪気に踊ってみせる・・・ダンシング・オールナイト 瞳を閉じて」と、芦屋のボン、もんたよしのりが歌った舞台は神戸三宮のダンスホール「宝石」。
(三宮の歓楽街(東門筋))
「神戸で死ねたら」
歌:西田佐知子。橋本淳作詞、三木たかし作曲。 昭和55年

 自ら身を引いて別れを決意する神戸。「再びあなたと くちづけさえも・・・女になるでしょう」。メリケン波止場や外人墓地など、神戸の街や港は悲恋の格好の舞台か。
(メリケン波止場)
「ポートピア」
歌:ゴダイゴ。奈良橋陽子・伊藤アキラ・百田直裕作詞、タケカワユキ作曲。 ミッキー吉川編曲。昭和55年

 「新しい“海の文化都市”の創造」をメインテーマに、神戸ポートアイランドの完成に併せ開催された「ポートピア(PORTOPIA)’81」のキャンペーン・ソング。多くのパビリオンや外国等の展示館・ブース、レジャー施設などで、1981年の3月20日から9月15日の180日間で来場者1610万人と大人気を博した。80年代の地方博覧会ブームの先駆けとなった。自動運転の新交通システム「ポートライナー」も稼働、無人故のびっくりの余り「お猿の電車」とも揶揄。「君が生きる未来・・・ぼくと暮らす未来 光と波の都市・・・Portpia, the city of light and waves・・・」
(ポートピア81のポスター)
「タワー・サイド・メモリー」
歌・作詞・作曲:松任谷由美。 昭和56年

 ポートピア博覧会に併せて1981年に発表された「昨晩お会いしましょう」のアルバムに掲載された。「霧雨に誘われてタワーサイドに・・・」とあるタワーは、もちろん「神戸ポートタワー」のこと。ポートピア博覧会の喧騒が去った静けさに併せて、別れた彼の思い出に身を苛むkobe girl(神戸ガール)の切ない想い。「あの時さらってくれたらいいのに・・・」
(神戸ポートタワー)
●最近(平成年代)
「三都物語」
歌:谷村新司、作詞:多夢星人、作曲:谷村新司。 平成4年

 京都、大阪、神戸の3都市をJR西日本が「三都物語」で売り出した際に、「いい日旅立ち」を作った谷村を起用して作った観光キャンペーンソング。「胸騒ぎの旅は 今始まって・・・誰に告げましょう」。従来の田舎・郊外の観光地中心のキャンペーンが多かった中で、都市圏への観光客動員を狙ったもので、都市の魅力を再確認させた。
(諏訪山ビーナスブリッジからの神戸市街の展望)
「しあわせ運べるように」
作詞作曲:臼井真。 平成7年
  
 阪神・淡路大震災の1ヶ月後に、避難所になっていた市立吾妻小学校で、作詞作曲した臼井先生・児童たちが、避難者たちも児童たちに披露。その後小学校を中心に、追悼式や光の祭典「神戸ルミナリエ」点灯式などで歌われて瞬く間に広がって行った。壊れた神戸の街を前に、子どもたちの歌声が復旧・復興への原動力となったのです。「地震にも負けない 強い心を持って・・・届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように」。特に、歌のクライマックスの、「響き渡れ僕たちの歌・・・」のところでは、図らずも涙がこぼれそうです。神戸バージョンから一般のふるさとバージョンもあって、東日本大震災でも「復興の歌」「心の歌」として歌われることを祈る。
(東遊園地公園にある1.17希望の灯)
「美し都、がんばろや、We love KOBE」
歌:平松愛理と、コーラスで島倉千代子、岡村孝子、大江千里が参加。作詞:阿久 悠、作曲:平松愛理。 平成7年

 阪神・淡路大震災が起り、「三都物語」に代わって、神戸など被災地の復興チャリティソングとして売り出された。バックコーラスに有名歌手たちも参加。神戸復興「がんばろや We love KOBE」のキャンペーンソング。「美(うま)し都で、また逢いましょう・・・」
(新長田の鉄人28号像)
「鳴門海峡」
歌:伍代夏子、作詞:吉岡 治、作曲:水森英夫。 平成8年

  潮が渦巻き、激しい風と雨の鳴門海峡にたたずみ、逝ってしまった恋人を想う、主人公の心の内を現した情景はすさまじい。「髪が乱れる 喪裾が濡れる・・・鳴門海峡 船がゆく」。南あわじ市福良、鳴門海峡を望む大橋のたもとにある道の駅「うずしお」に歌碑が最近建てられている。
(道の駅「うずしお」の歌碑)
「夢日記」
歌:大月みやこ、作詞:早坂 暁、作曲:大沢淨ニ。 平成8年

 NHKのテレビドラマ「夢千代日記」の舞台にしたのは湯村温泉。原爆症で余命を限られた芸者、夢千代の日記を題材にしてドラマ化。その後、映画に演劇になって、一躍湯村温泉は「夢千代の里」として脚光を浴びてきた。「なにが欲しいと 聞かれたら・・・小さな愛が 似合います」。ドラマで夢千代を演じた吉永小百合さんをモデルにして、温泉街の中心「荒湯」を見下ろす高台に「夢千代の像」が立つ。
(湯村温泉の夢千代銅像)
(2012年11月〜、2017年1月)

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