お菓子の神様田道間守命(たじまもりのみこと)を祀る中嶋神社
  (郷土史にかかる談話 73)

お菓子の神様田道間守命(たじまもりのみこと)を祀る中嶋神社  

 兵庫県豊岡市の「中嶋神社」は、全国に分社を持ち、菓子業者の信仰を集める菓祖神(お菓子の神様)を祀る珍しくも由緒ある神社で、近年の和菓子、洋菓子、お茶の文化興隆ブームが急速に進むなか、今注目を集めています。
 毎年4月の第3日曜日(従来は19日)に「橘菓祭(菓子祭)」を斎行し、全国から菓子業者やお菓子に携わる方々の参集のもと、神恩に感謝の誠を捧げ、菓業の発展を祈るとともに、各位の健康と福祉が祈願されます。(お菓子の元祖は「橘」)



(左写真:中嶋神社本殿、重要文化財)
 2011年から菓子祭の前日には、豊岡市内のJR豊岡駅前から市役所本庁舎前を通るメインストリート大開通で、「菓子祭前日祭」が開催されます。兵庫県内だけでなく全国から多くの菓子店が参加して、名物や主力のお菓子を販売しますので、市役所前広場や近代化遺産ビルを活用したオーベルジュなど、通りには市民のほか観光客など、ファミリーも楽しみます。お菓子のコンテストもあり、県内外からの約3万人(最近急増中)が来場してお菓子の食べ歩きやスタンプラリーなどを楽しみます。

大鳥居

参道

  また、中嶋神社(豊岡市)を起点とし、菓子文化の中心京都や近畿一円を結ぶ観光ルート「橘街道」を創出し、 地域の農産物とパティシェ・菓子職人を結びつけ、「菓子」と「茶」、その背景にある文化を媒体として、地域の農産物とパティシェ、菓子職人をマッチングさせ新たなスィーツの開発を進め、日本食や日本菓子(和菓子など)に興味を持つインバウンドの主力FIT(外国人個人旅行者)を、菓子(スィーツ)をテーマに結ぶ地域(橘街道)へ誘客するという目的で、NPO法人ツーリズム研究機構で国の助成金を受けて地方創生事業を企画実行しました。(平成25年度〜27年度)

(左写真:橘街道計画の打ち合わせ会)
 正に中嶋神社は、お菓子の食文化の中心として、これからも関係業界のみならずお菓子を楽しむ人々の重大な拠点とし大切にされ祀られていくことでしょう。(2019年6月)
菓祖神 田道間守命と中嶋神社の由来
1.鎮座地  兵庫県豊岡市三宅1番地
2.御祭神  田道間守命(たじまもりのみこと)
3.由緒

 田道間守命は、第11代垂仁天皇の御代、神社鎮座地の付近に居所を定め、養蚕の業を奨励し民生の安定につとめられました。『日本書紀』によると、垂仁天皇の御代に、天皇の命を受けて海を越えて神仙秘境である「常世(とこよ)の国」に行って、「非時香菓(ときじくのかぐのみ)」を持ち帰られましたが、その時は、出発してより10年の3月で、天皇は、既に崩御されていました。命は、悲しみのあまり、大和の西ノ京に近い「尼ヶ辻」につくられた天皇の陵前に「非時香菓」を献じて、
 “帝の神霊(みたまのふゆ)によって、漸く帰って来ることができましたのに、帝はもう、此の世におられません。これから生き長らえても、帝のましまさぬ今、何の益がありましょう”
と、生きた人に申すように延べ、号泣して亡くなられました。

 第12代景行天皇は、命の純忠をあわれんで、先帝の陵側に葬らされました。これが命のお墓で近年、遙拝所も建設されています。
 持ち帰られた「非時香菓」は、『日本書紀』に「今、橘(たちばな)と謂ふは是なり」と記され、「たちばな」は、田道間花(たじまはな)のつまりたるものなりと言う説も古くから行われています。「ときじく」は、時を択ばずの意で、「かぐのみ」は、かほり高い果実の意味で柑橘類の一種で、その果実は勿論、花も香気高く、常磐なす名木として、紫宸殿の御苑に桜と共に植えられていることは、今も昔と変わりがありません。

(左写真:垂仁天皇陵の側にある田道間守命のお墓=中嶋)
  上古では「果」と「菓」の区別はなく、果実をはじめ間食用の物を菓子と言っていたが、「橘は菓子の長上にして人の好む所なり」とあるように、橘は菓子の最上品として珍重され、その儘用いて供饌又は間食とし、後には、果実を木菓子と言い、米麦雑穀等で作った物を作り菓子と区別するようになりました。
 そこで、菓子の最上品たる橘を、遙遠の地より招来されました田道間守命を菓子の祖神、「菓祖神」として崇敬するに至ったのであります。


(右写真:橘の苗)
4.沿革
 中嶋神社の創立は古く、第33代推古天皇の御代に田道間守命の7世の孫にあたる三宅の吉士、中嶋の公(なかしまのきみ)(私の大ご先祖様かも)が、祖先の田道間守命を初めて此所に祀ったのに由来しています。「中嶋」の名は、命の墓が、垂仁天皇の御陵のお池の中の中島のように浮かんでいるところから名づけられたと言われています。
 第41代持統天皇の時代には更に造営が行われたとされており、平安時代の延喜式神名帳にも登載されております。応永年間に火災にあって社蔵の古文書その他を焼失しましたが、時の領主山名宮内少輔の発願によって再建されました。応永31年11月に工を起し、正長元年(西暦1428年)8月に竣工し遷宮を行いました。これが現在の本殿で、二間社流れ造をいう類例の少ない様式を持つ上に、彩色を施し、細部の絵様彫刻の精妙、複雑である点、よく室町時代中期の特長を示しています。

 元禄13年には出石城主松平伊賀守が本殿を修復し、その後城主仙谷久利は、社領34石9斗を寄進しました。明治維新となり社領は返還され、明治6年に村社に、同28年に郷社となり、45年には本殿が国宝に指定されました。
 昭和に入ると、境内を拡張し拝殿社務所を改築し、昭和10年に県社となり、同15年より16年に亘っては、文部省の手により国宝建造物の修理が行われました。同25年「文化財保護法」によって、本殿の「国宝」の名が「重要文化財」と改められました。
 近年菓子業者の信仰により、@福岡県太宰府天満宮境内に菓祖中嶋神社九州分社を始め、A佐賀県伊万里市に佐賀県分社、B愛媛県松山市に四国分社、C徳島市に徳島分社、D京都市に菓祖神社、E愛知県豊橋市に中嶋神社、F岐阜県高山市に久和司神社等の各7分社が建設されました。全国菓子工業組合の主催によってほぼ4年に1度、全国菓子大博覧会が開催されていますが、その開会に先立ち、この菓祖神をまつり博覧会の成功と菓業界の繁栄を祈願しています。
 昭和44年には、境内を拡張し、45年には命の1900年祭が行われました。又、この年には高松宮殿下が御参拝になりました。昭和49年本殿の屋根葺替と塗装をなし、54年には大鳥居並びに参道を建設し、更に平成11年には大鳥居の塗替えを行いました。又、平成17年には本殿屋根の部分補修をしました。

(左写真:高松宮様の御参拝、同記念植樹)
5.祭日
4月第3日曜日 橘菓祭(菓子祭とも言う)
(以上、中嶋神社由来書より)

ゆるキャラ「たちばな」くん

餅まき

唱歌「田道間守」の奉納

直会

中嶋神社菓子祭り記念撮影
(平成31年4月21日)


 (右:唱歌「田道間守」楽譜)

※令和2年には御祭神1950年祭を予定しており、拝殿のお屋根替え・社務所改築・境内整備等数々の事業が予定されています。(2019年5月吉日)

☆菓子祭前日祭
※日時: 第9回 2019年4月20日(土)10:00~15:30
※菓祖神祭: 9:20〜9:50(雨天決行)
※ところ:大開通(歩行者天国・JR豊岡駅すぐ)豊岡市中央町・千代田町

 毎年4月第3日曜日に中嶋神社で行われる“菓子祭例大祭”の前日に開催する“菓子祭前日祭”。第9回目となる今年は県内外から約51の菓子店が参加。各店自慢の菓子の販売や、 タジマモリ菓子コンテスト、たちばなさがしスタンプラリー、お茶席、キッズコーナー、FMジャングル実況生放送、協賛企画として「ふれあい公設市場 わいわいランチ」 他、イベント盛りだくさんでした。
☆全国菓子大博覧会
 全国菓子博は、明治44年(1911)に東京で「第1回帝国飴菓子大品評会」として 開催され、以来約100年の歴史と伝統を有する由緒ある博覧会である。近畿では、大正8年に大阪で、また昭和29年に京都で開催されており、第25回の2008年は兵庫開催で、近畿で実に54年ぶり。
(第25回全国菓子大博覧会・兵庫 )
  兵庫県は五国の特色ある和菓子の集積が見られ、お菓子の神様「田道間守」を祀る菓祖神社の総本社「中嶋神社」を豊岡市に有する一方、神戸・ 阪神間を中心に全国一の規模を誇る洋菓子や神戸中華街の中華菓子など、他府県に類を見ない菓子処を形成している。
 開催地の姫路は、藩主により茶道文化とともに菓子づくりが奨励され、現在約30社の和菓子業者が所在し、お城とともに姫路菓子として発展を遂げてきた。この姫路城が完成400年目、世界文化遺産登録15周年を迎える平成20年に姫路城を借景に当該博覧会が開催される。
開催概要は、次の通り。
○名 称 第25回全国菓子大博覧会・兵庫
○愛 称 「姫路菓子博2008」
○テ ー マ 姫路城で花開く平成の菓子文化
○開催期間 平成20年4月18日〜5月11日(24日間)
○開催時間 9:30〜17:30
○会 場 姫路城周辺 約15ha・・・ 東御屋敷跡公園、姫山駐車場、市立美術館、県立歴史博物館、シロトピア記念公園、市立動物園
○目標入場者数を遙かに超えて倍増。会期間24日中、入場者総数は92万人を超えました。
○主 催 第 回全国菓子大博覧会・兵庫 兵庫県実行委員会 25
[構成団体] 県、姫路市、兵庫県菓子工業組合、兵庫県洋菓子協会、兵庫県商工会議所連合会、姫路商工会議所 他

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