中国名句名言ゆかりの地
 
ツーリズム関連のレポート・エッセイ集 10)
中国名句名言ゆかりの地
『香港駐在生活・こぼれた話こぼれなかった話』(中嶋邦弘)より
2002.2.1 神戸新聞総合出版センター 発行
 中国にも、「大阪の食い倒れ」や「京都の着倒れ」と同じように、土地柄をテーマにした名言がいろいろある。  中国の人の間で昔からよく言われている次もその一つ。
     生在蘇州(スンツァイスーツォウ)
     穿在杭州(ツァンツァイハンツォウ)
     食在広州(スーツァイグァンツォウ)
     死在柳州(スーツァイリュウツォウ)
  即ち、美人の多い蘇州(上海・江蘇省)に生まれて、杭州(淅江省)の名産シルクの服を着て、広州(広東省)で美味しいものを食し、棺桶用の良い楠の木が採れる柳州(広西壮族自治区)で死ぬことが、満ち足りた人生であるということのようだ。
 私たち日本人が経験できることとして、せめてこのうち、上海製のシルクの寝間着を愛用し、広州で広東料理などを大いにグルメしたいものだ。
 最近の中国は1978年の改革経済開放以来、市場経済が浸透し、個体戸すなわち個人で商売して儲けている人達が増えてきている。その人達が目標とするところが、いわゆる万元戸になることです。万元戸とは、都会で月給100元が一般的なところ、年間所得1万元(当時、約35万円)を達成した人を称える呼び名である。
中国の沿海部を中心に経済発展が続くなかで、万元戸が多数実現している近頃では、このような数え歌が流行っている。
     一万元戸不算戸(イーワンユェンフープースワンフー)
     十万元戸剛起歩(シーワンユェンフーカンチープー)
     百万元戸馬々虎々(パイワンユェンフーマーマーフーフー)
     千万元戸才算富(チェンワンユェンフーツァイスワンフー)
 一万元戸は戸のうちに入らない。十万元戸でやっと立って歩けるようになったところ。百万元戸でまあまあか。千万元戸でやっと金持ちに見られる。
 すさまじいまでの経済膨張の一端が覗える。
 巷でよく口の端にのぼるもののほか、漢詩の名句には、実際にそのゆかりの地に身を置いて、しみじみと味わってみたいものが数多くある。

 日本人が一番好きな名句で、張継が、旅の途中に船を泊めて一泊した時に詠んだ『楓橋(ふうきょう)夜泊(やはく)』の「月落ち烏(からす)啼きて 霜天に満つ」の寒山寺は、江蘇省蘇州市にあり、日本人観光客で連日賑わっている。最近では、大晦日の除夜の鐘を寒山寺で衝くツアーが大人気とか。
     月落烏啼霜天満     (月落ち烏啼きて 霜天に満つ)
     江楓漁火対愁眠     (江楓漁火愁眠に対す)
     姑蘇城外寒山寺     (姑蘇城外の寒山寺)
     夜半鐘声到客船     (夜半の鐘声客船に到る)
 有名な白楽天(白居易)が、「香炉峰(こうろほう)の雪は 簾(すだれ)を撥(かか)げて看る」と麓の別荘で詠んだのも、また、陶淵明が田舎住まいで「菊を采(と)る 東籬(とうり)の下(もと)、悠然として南山を見る」と詠んだのも、江西省九江市の廬山ことで、中国有数の観光地。
 その昔、安録山の乱で破壊された都にたたずみ、杜甫が『春望』で「国破れて山河在り、城春にして草木深し」と詠み、『飲神八仙歌』で酒中の仙と自称した李白を「李白 一斗 詩百篇」と称えた街、また「人生七十古来稀なり」と、曲江という池を眺めて失意の生活を送っていた長安の都は、今の陜西省西安市。
 1980年に発見された秦の始皇帝のお墓、兵馬傭(へいばよう)も西安市内にある。
     国破山河在 城春草木深    (国破れて山河在り 城春にして草木深し)
     感時花濺涙 恨別鳥驚心    (時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ 別を恨んでは鳥にも心を驚かす)
     烽火連三月 家書抵万金    (烽火(ほうか)三月に連なり 家書万金に抵(あた)る) 
     白頭掻更短 渾欲不勝簪    (白頭掻けば更に短く 渾(す)べて簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す)
  安西、今の新彊ウイグル自治区の庫車(クチェ)地区へ赴く友人の元二を、王維が「君に勧む更に尽くせ一杯の酒」と見送りの宴でうたったのも、同じく陜西省の、西安の西北にある咸陽市。故人とは死んだ人ではなく、知人のこと。
   渭城朝雨○軽塵   (渭城(いじょう)の朝雨 軽塵をうるおす)
   客舎青青柳色新   (客舎青青(せいせい) 柳色新たなり)
   勧君更尽一杯酒   (君に勧む 更に尽せ 一杯の酒)
   西出陽関無故人   (西のかた陽関を出ずれば 故人無からん)
(上記の○は、「さんずいへん」に「邑」)
 李白が「白髪三千丈」と晩年の感懐を詠んだ秋浦の地は、南京の西方、安徽省貴池市というところ。  辺境の地で国境警備に当たる兵士のやるせなさを、反戦ムードで王翰が、「古来(こらい) 征戦(せいせん) 幾人(いくにん)か回(かえ)る」と詠んだ涼州とは、今の甘粛省武威県。
 そのまた西で、王之渙が『涼州詞』で「春光(しゅんこう)度(わた)らず 玉門関(ぎょくもんかん)」と中国最果ての地、ここより中国の威光、春の日差しは届かない、と詠んだ玉門関は甘粛省敦煌の郊外にある。
また、人間の無常を「年年歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず」と、劉廷芝が『代悲白頭翁』でうたったのは、河南省洛陽市。
 有名な蘇東坡(蘇軾)が、「淡粧(たんしょう)濃抹(のうまつ) 総(す)べて相宜(よろ)し」と、湖の風景を伝説の美人 西施にオーバーラップして詠んだ西湖は、淅江省杭州市。
 いやはや、今日にでも詩本を携えて旅行したいものである。

※クリックして下さい。
「ツーリズム関連のレポート・エッセイ集」メニュー へ戻ります。

※クリックして下さい。
「神戸・兵庫の郷土史Web研究館/郷土史探訪ツーリズム研究所」のトップ・メニューへ戻ります。

当研究館のホームページ内で提供しているテキスト、資史料、写真、グラフィックス、データ等の無断使用を禁じます。