鑑真和上ゆかりの地、揚州を訪ねて(中国)
 
ツーリズム関連のレポート・エッセイ集 14)
鑑真和上ゆかりの地、揚州を訪ねて(中国)
 2,500年の歴史を誇る古都、中国江蘇省揚州市。三国志の時代には呉の国で、長江(揚子江)下流の豊かな地域で、戦略的にも要衝地帯にあります。隋の煬帝が開発した大運河により、物流拠点として繁栄し、唐の時代には国際港となり、明代・清代と産業・文化の中心地として発展してきました。

揚州の大明寺
 紀元733年、遣唐使に随伴して中国に渡った留学僧、奈良興福寺の榮叡大師と普照大師は、742年、陽州(江蘇省)の大明寺に唐の高僧 鑑真和上のもとを訪れ、授戒僧の渡来を懇請しました。鑑真和上は弟子たちに問いかけるが希望する者無しを見て、自らが日本への戒律伝法の渡航を決意されたのです。
 鑑真和上一行は5度にわたる官憲取締りや遭難などの苦労の末、752年の6度目に日本渡来。754年平城入京、東大寺に住まいし、後759年に唐招提寺を創建。戒律制度のほか、薬草や工芸など各種の知識を伝えられました。
 2010年11月、平城遷都1300年祭の一環として、「東大寺鑑真和上像の揚州里帰り」が実施され、それに伴う友好交流訪問団が中国江蘇省揚州市を訪問しました。私も、その一員として鑑真和上ゆかりの地、揚州を訪ねてきました。(鑑真和上像は唐招提寺と東大寺とゆかりの二寺に安置されており、30年前には唐招提寺の鑑真和上坐像が中国に里帰りしました。)
●東大寺鑑真和上像の揚州里帰り事業の概要
(1)東大寺鑑真和上像揚州里帰り出展
  @ 展示期間:平成22年11月26日(金)〜12月7日(火)
  A 場所:中国揚州市大明寺鑑真学院図書館内
  B 出品文化財:東大寺所蔵鑑真和尚坐像 1躯(国指定文化財名称)
(2)出展期間中に揚州市で実施される第1回中日仏教芸術祭
  @鑑真和上像里帰り法要
  A鑑真和上展開幕式
  B鑑真(桜)大通りの紹介、桜植樹海外友人寄付贈呈セレモニー
  C第2回鑑真精神フォーラム
  D唐家せん(王へんに旋)前中国国務委員講演会
  Eコンサート、バイオリン独演会
 (主催は、中国対外友好協会、中日友好協会、揚州市人民政府)
(3)その他
  @友好交流訪問団を編成派遣(約100名)
    ・期間:平成22年11月25日(木)〜11月28日(日)
    ・名誉団長:冬柴鐵三(元国土交通大臣)
    ・団長:荒井正吾(奈良県知事)
  A里帰りに先立つ、上海博物館における展示(文化庁)
    (平成22年9月29日〜11月23日)

歓迎晩餐会(揚州迎賓館)

左より、冬柴鐵三名誉団長、唐家せん(王へんに旋)前中国国務委員、荒井正吾奈良県知事

鑑真和上像里帰り法要・開幕式に集まった日中の関係者(揚州TVより)

鑑真和上像里帰り法要・開幕式(揚州TVより)

展示除幕直後の鑑真和上像(揚州TVより)

第2回鑑真精神フォーラム

唐家せん(王へんに旋)前中国国務委員講演会

コンサート、バイオリン独演会
●優美な詩情あふれる麗しの都、揚州
  経済発展、都市開発の著しい中国沿海部にあって、なお古都の趣を残す街、揚州。長江に面し、京杭大運河が交わる要衝の地は、昔の長安、洛陽と並んで、悠久の歴史を内包している。
  花々が咲き、柳揺れる痩西湖(清代の詩人・汪が杭州の西湖になぞらえて細長いこの湖を「痩せた西湖」と詠った)。釣魚台(映画「天平の甍」で、留学僧の栄叡や普照たちが夢と現実を語り合うシーン)から湖上に見る五亮橋と白塔、北端には唐代の城壁の公園や、揚州一の名勝「大明寺」がある。鑑真和上の功績を称えて1973年に建てられた鑑真記念堂、そこには30年前に里帰りした唐招提寺の坐像を模した鑑真像が鎮座されている。
 食の文化も有名。湯気の中の熱々の包子は香港や広東の飲茶と同じく「早茶」、名物料理には「揚州炒飯」など。工芸芸術では、伝統の漆器や切紙細工など匠の技を伝えている。

鑑真和上がおられた大明寺

大明寺内の鑑真記念堂

記念堂に鎮座されている鑑真和上坐像

揚州を一望できる大明寺の栖霊塔、高さ70mで九重。

痩西湖上の五亮橋からの眺望

「天平の甍」の有名なシーンに出てくる釣魚台、湖の中程に突出。
 古都揚州にも新しい波は押し寄せて、最近10年でも急激な経済開発と人口増加が見られる。それでも、古い街並みの残る繁華街や昔を偲ばせる古刹・遺跡などに触れることができる。北京や上海などと違ったどこか落ち着いて気を休ませてくれる適度な発展を見せる街でもある。上海(浦東空港)から約4時間余りかかるが、是非お薦めしたい街である。

揚州の街中、通勤の車が走る。ほとんどが電動バイクで、スピードは自転車並みで音もしない。後ろから来られると恐い。

揚州の繁華街を離れると、こんな雰囲気の良い道路が続く。

大明寺の東側の唐代城壁(博物館)、こんな高い城壁が揚州の街を囲んでいた。

揚州の南の長江に架かる大橋

大橋から長江上流の夕暮れ、まさに悠久の大地を感じさせる。

揚州から長江を渡った鎮江から上海へは中国新幹線で1時間20分。時速320qを軽く越えていた。
●揚州・長江を詠んだ漢詩(李白)
「黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白
  故人西辞黄鶴楼
  烟火三月下揚州
  孤帆遠影碧空尽
  唯見長江天際流」
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る  李白
  故人(親友)西のかた黄鶴楼を辞し
  烟火(春がすみ)三月揚州に下る
  孤帆(一隻の帆舟)の遠影碧空(青空)に尽き(消えて)
  唯だ見る長江の天際(地平水平線)に流るるを
 いや正に、この漢詩の世界が揚州にはあるのです。(2010年12月)

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