(14)能登守教経、最後
教経は力こそ抜群なれ早業義経に及ばず、今は是迄と荒れ巡りけるが、安芸太郎時家とて三十人力を有せる強者と外に2人の強者共力を合せて3人一度に教経に討てかゝりぬ。教経今ぞ最後の時なりと、1人を海中に蹴込み落し、2人を両脇にかき挟み一しめしめて、いでや能登守の御伴申せと一喝、海底深く沈みたりける。
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(15)安徳帝御最後
二位殿も今は限りと見給ひて、幼帝を抱き帯びにて確と我身に結びまいらせ、宝剣を腰にさし神璽を脇に挟みて艇に臨み給ふ。幼帝は驚き御気色にて、こは何処へと行くぞと宣ひければ、兵共が御船に矢を進め参らすれば、安全の地に行幸なし参らせんと申て、(今ぞ知る御裳濯河の流れには、波の下にも都ありとは)と宣ひはてず、海中に躍り入給ひける。 |
(16)壇の浦平氏の最後
内大臣宗盛郷及子息清宗郷等は遂に敵手に捕へられ、新中納言知盛郷、中納言教盛教等は遂に術なく自刃し給ふ。其外百司百官の人々も銘々自害して、茲にさしも平家の一門は元暦2年春の暮西海の藻屑と消え失せたりける。
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