准世界遺産だ! 生野銀山
  (郷土史にかかる談話 8)

准世界遺産だ! 生野銀山

 佐渡の金、石見の銀と並び称せられる生野の銀山は、大同2年(807年)の銀の発見から約1200年、平安京の時代から戦国・江戸時代、明治維新以後と当時の権力者たちや日本新政府の屋台骨を支えて来ました。
 特に江戸時代は天領として銀山奉行や生野代官などが置かれ、最盛期を迎えました。維新後の新政府のもとでも、国是としての殖産興業とそれに必要な鉱物資源開発確保のため、日本初の官営鉱山となり、フランス人技師ジャン・フランソア・コアニエらを招聘して海外の進んだ鉱山開発経営のノウハウが導入。これにより、近代日本のモデルとなる国家事業としての大規模鉱山開発が行われました。その際の鉱山施設、導水路、鉱石輸送路、職員住宅などが生野の町内に整備され、現在の街並みの基礎が形づくられました。次いで、生野と姫路飾磨港を結ぶ「銀の馬車道」や、現在のJR播但線となっている播但鉄道も敷設されました。
 生野鉱山は明治22年皇室財産となり、明治22年には三菱合資会社に払い下げられて大々的な近代的鉱山開発経営が行われてきました。 
 また戦後の昭和20〜30年代は、工業の復興、著しい経済成長を支え続けてきましたが、昭和48年に惜しまれながら閉山を迎えました。その当時の産業遺産が現在、貴重な地域活性化の資源となっています。 歴史が長く、つい最近まで日本の鉱物資源産出を担ってきた生野鉱山。鉱山経営が連続して現代に至るに際して、他の産業遺産と同様に「スクラップ・アンド・ビルド」の美名のもとにいにしえの施設・設備を撤去してきたのは、狭い国土と殖産興業の一点集中型の開発施策が古い邪魔な物を後世に伝える余裕などあろうはずがありませんでした。それだけに、生野鉱山に遺されている物は、古い物よりも、逆に馴染みが感じられる近代化遺産・産業遺産が中心となっているのです。
 現在の生野および周辺には、鉱山町として貴重な観光資源が残されています。
鉱山

観光坑道(銀山興隆の歴史を今に伝える近代坑道「金香瀬坑」)、鉱物資料館(昔からの坑道概要、鉱具、鉱石標本、史料など)、生野鉱物館(世界的に有名な三菱ミネラルコレクション)、吹屋資料館(徳川時代の製錬)、旧生野支庁正門
街内
生野史料館「生野書院」、トロッコ道跡・電気機関車軌道敷跡、旧生野鉱山職員宿舎(甲社宅)、口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸と旧吉川邸)、生野まちづくり工房「井筒屋」(江戸時代の郷宿・吉川家)、志村喬記念館、旧生野警察署、代官所跡(生野義挙碑)、播磨口番所跡、旧日下旅館、旧松一醤油店、旧海崎医院、鍛冶屋通、盛明橋、旧生野駅前(現マインホール西側)、但陽信用金庫、生野美術館、寺町界隈
近隣
銀の馬車道(生野〜飾磨港)、明延鉱山、神子畑鉱山

 兵庫県内で一番世界遺産に近いと思われていた生野鉱山ですが、これだけ素晴しい遺産が引き継がれているのに、なぜ世界遺産になっていないのでしょう。
 今、日本国内には、世界遺産登録を目指す暫定リストに掲載されていて、ユネスコ・ICOMOS(国際記念物遺跡会議)の審査を待っている提案が11件(2008年12月)あります。生野鉱山はつい最近まで稼動していた近代化遺産が中心で、しかも登録を目指す態勢づくりが後手を踏んだこともあって、残念ながら含まれていません。ライバルの石見銀山は世界遺産に登録されて訪れる人は以前の30倍とか。

 その石見銀山は、ユネスコでの審査の際、一度はICOMOSの評価で「記載延期」の形で見送られてしまいましたが、最終的に登録に結びつけたものは、「環境」というキーワードで将来のモデルになり得る環境配慮型鉱山開発のメッセージをアッピールし直したお陰なのです。
 古い遺産だから合格する訳でもありません。世界遺産はもうほぼ飽和状態(2008年で878件)だとの認識がありますが、石見銀山で示されたように、世界遺産に登録することが将来に向けて人類の生存・繁栄に強烈なアピールができれば道は残されていると思います。特に最近は近代化遺産に注目が集まっているように思います。 

神子畑選鉱場跡
現在、地方公共団体からの暫定リスト掲載申請はストップしています。しかも、リストに登録されなかった既提案(候補)の27件(2008年12月)も課題の解決を目指して活動中です。しかしながら、文化庁自らが動く道もあり、いずれ申請後不登録あるいは既存遺産見直しの結果に登録廃止になる遺産も出てきて、暫定リスト掲載分が減少するなどの事情の変化で地方自治体からの申請が再開されることがあるかも知れません。 生野鉱山は、明延鉱山や神子畑鉱山との連携、銀の馬車道による周辺地域も含めた全体で見れば、現在でも日本の近代化を支えた立派な産業遺産群を構成しており、石見銀山や佐渡金山と比べても何ら遜色はありません。登録こそされていませんが、「准世界遺産」の価値はあります。
 今後の地域・各界・住民を挙げての連携体制の維持継続、ツーリズム資源としての整備、振興活動、新しい地域づくりに期待します。
(参考DVD)
日本の近代化を支えた鉱山の記憶「生野鉱山」のDVDが、地元の朝来市の企画・著作でできています。フランスの技術を導入した生野鉱山の近代化は、それまでの手掘りによる非効率な方法から機械を導入した方法へと代わり、世界一の鉱山と呼ばれるまでになった。その状況を、昭和33年製作の記録映像や写真などが収録されており、貴重な映像資料です。
(関連のホームページ)
●生野町観光ナビゲーション http://www.ikuno-kankou.jp/
●史跡「生野鉱山」(シルバー生野) http://www.ikuno-ginzan.co.jp/
●生野あきんど http://www.ikuno-akindo.com/
●生野ひいき人倶楽部 http://www.city.asago.hyogo.jp/machizukuri/funclub/hiikinin/index.htm
●銀の馬車道(日本初の高速産業道路) http://www.gin-basha.jp/


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(25)銀の馬車道(旧生野鉱山寮馬車道)


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(28)明延、神子畑、生野3つの鉱山を繋ぐ「鉱石の道」

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