淡路島の大規模鉄器生産基地をうかがわせる「舟木遺跡」
  (郷土史にかかる談話 70)
淡路島の大規模鉄器生産基地をうかがわせる「舟木遺跡」  
 鉄器生産工房を持つ遺跡「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」から東北に約6kmの位置に、昭和41年に小学生の土器発見により、同じく弥生遺跡「舟木遺跡」の存在が明らかになっていました。海から約2km、標高150mの内陸丘陵地で、南北約800m、東西500mの推定40万uの広大な遺跡です。平成2年から圃場整備事業などの開発工事に伴う発掘調査で、大型の竪穴建物跡、中国鏡の破片や器台、製塩土器、イイダゴ壺などが出土していました。
 淡路島における古代の歴史文化を明らかにしようと始まった「淡路市国生み研究プロジェクト事業」として、平成28年に舟木遺跡に本格的な発掘調査が実施されました。遺跡発見の端緒となった土器が出現した尾根(約1ha)の7カ所(総調査面積128u)に設定した幅2mのトレンチ(調査溝から、うち4カ所から竪穴建物跡、57点にも及ぶ鉄器(小さな針状の工具類や鍛冶に関わるもの)、その他台石、叩石、磨石、砥石などの石器が42点出土しました。

(左写真:舟木遺跡の今回発掘調査エリアを西側から望む)
 発掘された大型の竪穴建築物跡4棟のうち3棟は直径10m以上の円形、しかもそのうち1棟は赤く焼けた炉跡4基あって、炉の近くから鉄片が発見され、鍛冶用と考えられる砥石・敲石など石製工具も発見され、中央部が広く作業に適した工房跡(鉄器製作を行った鍛冶工房)と思われます。また、4棟全てから鉄器製作用とみられる多数の石器類、鉄器の類がでました。
舟木遺跡と調査地(中央)

                               ※地図は『舟木遺跡発掘調査成果報告会資料』(淡路市教育委員会)より引用
 「舟木遺跡」は、武器類の鉄器が多く出た近隣の「五斗長垣内遺跡」とほぼ同時期に存在していましたが、現在のところ武器類以外の生活用?鉄器が中心で、「五斗長垣内遺跡」よりも長く鉄器生産を続けていたと考えられています。今回の調査は、広大な遺跡エリアの中心部に位置する狭い尾根に、限定された地点をトレンチするという方式で、全面発掘ではありませんでしたが、これだけ多くの発見がありました。また、近隣地区に存在する大きな磐座を祀る(巨石を祀るのは弥生時代・古代も)石上(いわがみ)神社周辺からも大型の器台形土器が発見されるなど、丘陵地全体が一大鉄器生産基地だったことがうかがえます。
 引き続き、「舟木遺跡」や「五斗長垣内遺跡」の発掘調査・研究成果が期待されます。
 (2017年2月)

舟木遺跡から発掘された土器類

遺跡エリアに古くから祀られている
石上神社の磐座

多くの研究者・考古ファンが参加した説明会
(2017.2.5)
※関連する淡路島の弥生遺跡「五斗長垣内遺跡」に、移ります。下の写真をクリックして下さい。

(24)弥生時代後期〜邪馬台国の鉄器生産基地
「五斗長垣内遺跡」
※『舟木遺跡発掘調査成果報告会資料』(淡路市教育委員会2017.2.5)を参照しました。

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