兵庫が生んだ沖縄の島守(島田叡知事)
  (郷土史にかかる談話 16)
 太平洋戦争の末期、昭和20(1945)年1月、沖縄県知事の任命(当時は内務省による官選知事)を受け、敢然と赴いた島田叡さん。
 沖縄は空襲が激しさを増し、米軍の侵攻上陸も必至と見られていた。前任の知事は、防空壕に引き篭もったり本土に逃げて戻ろうとせず、正に職務放棄の状態で、県政や県民の保護に支障を見せていた。
 内務省の内示に接し、赴任すれば死確実の情勢に、任務辞退を勧める親友・周囲の声に対し、島田さんは、
 「私が行かないと断ると、誰かが行かなければならない。私は死にたくないので、代わりに君行って死んでくれ、なんて云えないじゃないか」
と、覚悟の「断」の一字を書き残し、沖縄へ赴きました。
  戦時下というより昼夜にわたる艦砲射撃、空爆が相次ぐ「戦闘下」の沖縄で、県民生活の安全や食糧確保、また県民の本土疎開・避難などに尽くし、島田知事の善政、行動、人となりは、今もなお「沖縄の父」として親しみと尊敬を持って見られました。
 4月に入って大量の米軍が沖縄本島に上陸し、各地で戦闘は激しく、軍も島民にも多くの犠牲者が出ました。軍は言うに及ばす県庁等の役所も、島民と同様に洞窟から洞窟へ避難して渡り歩く中での執務状態で頑張ったが、6月には南部の摩文仁が丘に追い詰められました。遂に県庁組織の解散を宣し、共に死ぬと退去を拒む部下たちを
「生きのびて沖縄のために尽くしなさい」
と無理矢理追い出し、県民の保護に専心されていた荒井退造警察部長と共に濠に留まり、壮絶な最期を遂げられました(行方不明)。島田叡さん、その時45歳(享年)。
 2ヵ月後に迎えた終戦から間もなく、沖縄県民の間から島田知事の遺徳を讃える声が沸きあがり、昭和26(1951)年、県民によって慰霊碑「島守の塔」及び殉職した島田知事と荒井部長の「終焉之地」碑が建立され、今なお遺徳を偲ぶ人々の線香と花は絶えることはありません。
島守の塔(短歌、島守の塔奉賛会、昭和26年沖縄県糸満市摩文仁が丘)
 (正面)『戦没 沖縄県知事島田叡・沖縄県職員 慰霊塔』
 (背面)『ふるさとの いや果て見んと摩文仁の 巌に立ちし 島守の神』
終焉之地碑(昭和26年 沖縄県糸満市摩文仁が丘)
  『沖縄県知事 島田叡・警察部長 荒井退造 終焉之地』
※ただし、2004年の慰霊碑再建時に別歌碑に建立。
 島田叡さんは、明治34(1902)年、医師の7人姉弟の長男として神戸市須磨区須磨寺町に生まれました。市立西須磨小学校(現在)、県立神戸二中(現、兵庫高校。7回生、大正8年卒)、第三高等学校(現、京大教養学部)、東京帝国大学法学部を卒業し官界に身を投じられました。
 文武両道で、神戸二中から東京帝大まで野球部で活躍。当時の日本では学生野球がトップスラスで、いわばそのスター選手だったわけです。神戸二中は第1回全国中等学校野球大会(現、全国高等学校野球選手権大会)に県代表として出場しましたが、島田叡さんは未だ新入生でもあり、参加メンバー内で名は残っていません。
(1)昭和39(1964)年、神戸二中の後輩、竹中郁さんの詩をもって、沖縄を向いて手を合わせたような形の「合掌の碑」が兵庫高校に、また昭和46年には三高野球部有志や同期生により摩文仁が丘に鎮魂碑が建立されました。
合掌の碑(武陽会。詩、竹中郁。昭和39年 兵庫県神戸市長田区の県立兵庫高等学校)
 『このグラウンド
  このユーカリプタス
  みな目の底に
  心の中に収めて
  島田叡は 沖縄に赴いた
  一九四五年六月下浣
  摩文仁岳近くで
  かれもこれも砕け散った』

鎮魂碑(第三高等学校野球部有志。短歌、山根斎・三高同期。俳句、山口誓子・三高同期。昭和46年 沖縄県糸満市摩文仁が丘)
 (正面)『鎮魂  島守の 塔にしづもる そのみ魂 紅萌ゆる うたをききませ』
 (背面)『島の県 世の果繁る この丘が』
※ただし、2004年の慰霊碑再建時に別歌碑に建立。

(2)昭和47年のアメリカの27年間におよぶ占領から、沖縄が本土復帰。当時、本土と沖縄を結んでいた空(伊丹空港)と海(神戸港)の玄関口は兵庫であり、兵庫には沖縄県民が多く住み、兵庫出身の兵士の多くが沖縄で戦死、そして島田沖縄県知事の出身地も兵庫であることなどから、「兵庫・沖縄友愛提携」が結ばれました。
 兵庫の若者の間から沖縄に青少年施設を贈る活動が始まり、県内の少年団や婦人会、街頭募金、企業団体や自治会からの浄財で、那覇市の奥武山総合運動公園に「沖縄・兵庫友愛スポーツセンター」が造られ、その後も青少年交流を中心に県民交流が永く続いています。
(3) 平成14(2002)年には、沖縄の本土返還30周年を期して、兵庫・沖縄県民交流推進委員会、武陽会(島田さんの母校旧神戸二中・旧県四高女・兵庫高校同窓会)、沖縄県人会兵庫県本部の共催にて「島田叡さんを語り継ぐ会」が開催されました。

兵庫沖縄友愛運動 (兵庫県・沖縄県)のピンバッジ
1972年(昭和47年)
(4)そして、兵庫高校創立100周年にあたる平成20(2008)年、島田さんの座右の銘
『断而敢行鬼神避之(断じて行えば鬼神もこれを避ける)』の顕彰碑が兵庫高校及び摩文仁が丘に建立されました。
顕彰碑(武陽会 神戸二中兵庫高校同窓会百周年記念事業。筆、井茂圭洞。短歌、伊藤陽夫。平成20年 沖縄県糸満市摩文仁が丘、及び兵庫県神戸市長田区の県立兵庫高等学校)
 (正面)
『断而敢行鬼神避之  島田叡知事座右銘 圭洞謹書』
 (背面)
『嵐たへ摩文仁が丘に 香はしく 武陽が原の 花永遠に咲く』
 (5)沖縄本土返還40周年(平成24年。2012年)を迎えて、兵庫・沖縄友愛提携40周年記念“「沖縄の島守」を憶う夕べ”が平成24年(2012年)7月8日(日)、神戸朝日ホールにて開催されました。
  前奏、献奏曲「憶(おもい)」、開会挨拶、来賓挨拶に続き、第1部の「島守への憶い」として、島田叡さんに関するノンフィクション作家田村洋三氏の講演「今も人々の心に生きる島田叡さん」、沖縄県副知事も加わってのフォーラム・ディスカッション「島守への憶い」。第2部の「音で綴る“沖縄への憶い”」では、創作エイサー神子、兵庫高校OB吹奏楽団、合唱団ユーカリプタス、鈴木一郎(ギター)と寺島夕紗子(ソプラノ)の「さとうきび畑」は圧巻でした。
  なお、(財)島守の会によって、行方不明であった島田叡さんの終焉の地の調査が進み、2012年末には批定できる見込みとの報告が田村氏より披露され、みんなの期待が一段と高まってきました。
(6) そして、2013年3月22日、23日、捜索活動の中心となっていただいていた那覇市の(財)島守の会の方々に兵庫高校OBの武陽会メンバーが加わり、島田さんが消息を絶った地点、糸満市の摩文仁に立つ県立平和祈念公園の裏手に広がる密林に踏み入り、草木の生い茂る山道、一歩でも踏み外すと海に転落する崖縁の道を辿り、濠の中などを捜索しましたが、遺骨や遺留品などは見つかりませんでした。(2013年3月)
(7)2013年6月5日に武陽会が「武陽人100年の集い」を母校で開催、第14 代最高裁判所長官山口繁氏(38 陽会)が「至誠の人−戦前最後の沖縄県知事島田叡」と題して記念講演をいただきました。沖縄県立那覇高校(沖縄二中)の城岳同窓会と、兵庫高校の武陽会と、「城岳・武陽至誠友好交流協定」も結ばれました。(2013年6月)
(8)戦前最後の沖縄県知事の島田叡さんをドラマ化した、TBSの『テレビ未来遺産“終戦”特別企画報道ドラマ「生きろ」〜戦場に残した伝言〜』が2013年8月放送されました。
  TBS報道局の制作プロヂューサーは武陽会(64 陽会)出身で、ドラマタイトルを「生きろ」〜戦場に残した伝言〜としたのは、沖縄県庁が米軍に追われ、最後に県庁の機能がなくなった時に、島田知事は全職員を集め、県庁は解散するので、君達は夜陰に紛れて逃げろ、自分は警察部長と二人で残る。県職員に対し、逃げて一人でも多く生き延びて、将来の沖縄のために尽くしなさい、と伝え続けた島田知事のメッセージからきているようである。(2013年8月)
(9)2014年2月にも、「島守の会」のみなさんと「武陽会」が協力して有志約20名が参加。糸満市の摩文仁に立つ県立平和祈念公園の「平和の礎」裏手の密林内を、数班に分かれて島田さんの遺骨を捜しました。今回も残念ながら見つけることはできませんでした。困難な捜索活動ですが、捜索を続けることで兵庫と沖縄が手を取り合って島田知事の功績が広く伝わることに繋がることが期待されます。
 また、島田知事の功績をたたえて、顕彰碑と、旧制中学校の全国大会でも活躍された「少年野球」のために野球場(「島田球場」)を那覇の県営奥武山公園に整備しようという活動もスタート(KOBE三宮・ひと街創り協議会」と「ザ・ファースト」)しています。(2014年2月) 
(10)「兵庫高校ホームカミング・ディ2014」が武陽・ゆ〜かり館(兵庫高)で2014年6月7日に開催され、2013年8月にTBS系で放送された報道ドラマ『生きろ』〜戦場に残した伝言〜が上映され、担当されたTBS報道局プロデューサーだった藤原康延氏(64陽会)に「語り継ぐべき人“島田叡”」の特別講演をいただきました。(2014年6月) 
(11)同じく8月には、このドラマの取材班が島田叡知事のことを本にまとめられました。なお、これまで島田叡知事の主な関係図書は次のとおりです。
『群青の墓標〜最後の沖縄県官撰知事・島田叡〜』
(横家伸一)
文芸社
『10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡』
ポプラ新書
(TBSテレビ報道局
『生きろ』取材班)
ポプラ社
「沖縄戦に散った“最後の官僚知事 島田叡”の生涯」
(九鬼隆幸)
『新潮』
2014年7月号
『沖縄の島守・内閣官僚かく戦えり』
(田村洋三)
中央公論新社
『最後の
沖縄県知事』

(中野好夫)
文藝春秋新社
『沖縄の島守
島田叡』

(兵庫県立兵庫高等学校)
兵庫県立兵庫高等学校

(12)県立兵庫高校は、2015年の修学旅行で、沖縄を訪問することにした。島田叡知事没後70年(戦後70年)を機会に、偉大なる先輩の足跡を辿って当時の沖縄での戦争とはどのようであったか何があったのかを学ぶ。資料館や、終焉の地摩文仁の丘などを訪れ、島田叡知事のことなどを当時のことを知る方たちから話を聞く。
(13)島田叡知事が最後を遂げられた摩文仁の丘は、糸満市にあります。糸満高校は平成27年の選抜高校野球の九州代表として2015年3月に甲子園にやってきます。TBSドラマ『生きろ』を見たことから、糸満高校野球部は、島田叡知事の母校である兵庫高校野球部と2015年3月16日、あじさいスタジアム北神戸で親善試合が行われました。
 また、6月26日には、那覇市営奥武山(おうのやま)野球場の正面に島田叡知事の顕彰碑(高さ2m)が設置されます。これから、この球場に来た高校球児たちは、この碑に一礼してグランド入りをされるそうです。(2015年3月)

(14)沖縄県の「島田叡氏事跡顕彰期成会」が、2015年6月26日(島田叡氏の命日?=消息不明日)に「顕彰碑徐幕式典」および「兵庫・沖縄友愛懇親会」を開催、兵庫県側からは沖縄で「兵庫・沖縄友愛フォーラム」開催や「兵庫・沖縄友愛交流の集い」に参加する「兵庫県民代表団」を派遣しました。
(2015年6月)


※詳細は別ページに載せています。右の写真をクリックして下さい。


FMわいわい番組「ゆうかりに乾杯」放送記録
(99)兵庫・沖縄友愛戦後70 年記念事業
島田叡さん顕彰事業
(2015年7月放送)

(pdf)

(59)戦後70年、沖縄の島守島田叡さんを
語り継ぐ
※FM放送で解説
(15)NHKのBSプレミアムで、2015年8月に『英雄たちの選択・“命どぅ宝”〜沖縄県知事 島田叡からの伝言〜』が放送されました。1時間番組ですが、大変簡潔に島田叡さんのことをまとめています。(2015年8月)
(16)県立武庫荘総合高校の国語科の特別授業として、「兵庫が生んだ沖縄の島守、島田叡さん〜戦中最後の沖縄県知事〜」について2015年度から、毎年度、沖縄戦の悲惨さと忘れてならない郷土の偉人として島田叡さんの事跡を講義(講師は私)した。
 2022年6月にも
開講済み
(17)兵庫高校が今年度から修学旅行生を沖縄へ送るための事前研修として、オープン形式で「兵庫沖縄友愛交流青少年セミナー」が2015年11月19日、兵庫高校にて開催されました。
 はじめに沖縄県のエイサーのライブ、第1部にTBS報道ドラマ「生きろ」制作プロデューサー(現広報部長)の藤原康延氏(兵庫高校卒)による講演『ドラマ“生きろ〜船上に残した伝言〜”制作現場から見た島田叡元知事の魅力』、第2部では藤原氏のコーディネータで岩城氏(TBSメディア総合研究所)や兵庫沖縄友愛夏期キャンプ代表の女子大学生、兵庫高校と沖縄水産高校の生徒たちがパネリストとなって、「兵庫と沖縄の青少年とともに友愛交流の今後を考える」パネルディスカッションを実施しました。(2015年11月)
(18)3年前に戦前最後の沖縄県知事の島田叡さんをドラマ化したTBSが、第2段として、BS-TBS放送にて『70年目の島守 生き続ける最後の沖縄県知事』を2016年2月に放映。島田知事に加えて荒井退蔵警察部長を語り継ぐ活動など最近の動きもルポ。(2016年2月)
(19)テレビドラマや70年記念事業などを経て、島田叡知事と行動を共にした荒井退蔵警察部長の出身地栃木県宇都宮市で顕彰活動が盛り上がってきている。2016年11月には生家前に顕彰碑が立てられ、武陽会メンバーも招待された。2017年2月には、宇都宮市の市民グループが兵庫高校を訪れ、島田叡さんの顕彰碑を訪れたり、武陽会メンバーと交流した。
(2017年2月)
(20)荒井退蔵警察部長の出身地栃木県宇都宮市の生家前の顕彰碑の近くに、島田叡さんの出身地兵庫県から送られた兵庫県花「ノジギク」を植える式典が開催された。兵庫高校同窓会「武陽会」のメンバーが参列、あいさつした。(2017年5月)
(21)「島田叡氏事績顕彰期成会」は2017年6月、島田さんの足跡を伝え平和への願いを発信する「島守忌」を季語に俳句大会を城岳同窓会館で開催した。また、2018年6月には本大会として、第1回俳句大会を開催した。一般、高校生の部に分けた部門に多くの応募者があり、6月17日の本大会で入選作が発表される。(2018年6月)
(22)荒井退蔵警察部長の出身栃木県立宇都宮高校の野球部と、兵庫高校の野球部との親善試合が3月23日、兵庫高校で行われた。宇都宮高校からは、校長先生や荒井氏の検証活動に関わる方をはじめ野球部OBたちが観戦した。(2019年3月)
(23)県教育委員会、島田叡さんの功績などを紹介している『心かがやく』を道徳の副読本として全校に配布している。また、県内の中学校で、沖縄戦を題材にした平和教育が普及はじめている。現在では年間100校以上が修学旅行で沖縄を訪問している。(2019年4月)
(24)毎年沖縄で開催される第2回「島守忌俳句大会」で、高校生以下の部に応募した兵庫高校の生徒2名が1位沖縄県知事賞、2位に入賞した。(2019年7月)
(25)島田叡さんと荒井退蔵さん両氏が主役となって、沖縄県民の目線で戦闘に巻き込まれ多くの犠牲者を出した沖縄戦、艦砲射撃や激烈な地上戦の実情を描く映画『島守の塔』を製作することになり、2020年秋に完成を目指しています。
 関係する3県(沖縄県、兵庫県、栃木県)の神戸新聞社、サンテレビ、下野新聞社、沖縄新報社、沖縄タイムズ社などが協力し、政策委員長に元沖縄県副知事の嘉数昇明さん、監督は五十嵐匠さん、脚本は柏田道夫さんが勤めます。20万人以上の犠牲者を出した沖縄戦の悲惨さや、人命の尊さ、平和の大切さを訴えます。(2019年9月)
(26)「島守の塔」の制作委員会は、2020年7月、新型コロナウイルス感染拡大に撮影を休止していたが、2021年春以降に撮影を再開する。同年に予定していた全国順次公開は、沖縄の本土復帰50年に当たる2022年を目指して調整することとした。(2020年7月)
 また、映画「島守の塔」の制作委員会は、撮影再開(2021年春以降)に向け、個人支援制度「映画島守の塔サポーター」をスタートさせました。(2020年8月)
(27)関係者で結成された「島守のうた実行委員会」は、3年前に那覇で舞台『島守のうた〜あした天気にしておくれ』を初演。インターネットでも2月27日〜3月6日の間、有料で配信される。2022年には兵庫県での公演も予定されています。(2021年2月)
(28)コロナ禍続く中、規制の緩和された2021年4月に、、映画「島守の塔」の撮影を再開した。(2021年4月)
(29)これまで多くを語られることのなかった島田叡さんの生涯について、激烈だった沖縄戦のドキュメンタリーに、沖縄戦を生き延びた住民、軍や県の関係者やその遺族らに取材し証言者として登場する映画『生きろ 島田叡〜戦中最後の沖縄県知事』 が、2021年3月から5月まで全国で順次公開される。(2021年4月)
 証言者:太田昌秀(元沖縄県知事、戦中は鉄血勤皇隊の少年兵)、ほか5名。
 監督:佐古忠彦。
 製作:「生きろ 島田叡」製作委員会。
 主題歌:『生きろ』小椋佳
(30)朗読劇「島守の塔」戦中の沖縄知事・島田叡の物語
@朗読劇は、6月公開を目指していた同名の映画が新型コロナウイルスの影響で延期となったため、その脚本を基に、急きょ企画制作された。
A沖縄県知事島田叡の生誕120年を記念した朗読劇「島守の塔」が2021年6月22日、東京・蒲田の大田区民ホールで上演される。
B語りは貴城けい、北翔海莉、舞羽美海ら宝塚歌劇団出身の俳優3人。島田役は貴城、北翔は島田の片腕で県警察部長の荒井退造役を、舞羽は2人から沖縄の未来を託される県職員がモデルの比嘉凜の役。
C3人は三線奏者の岡村聡士の演奏で、沖縄民謡や岡村が書き下ろした主題歌も披露する。
(2021年6月)
(31)姉妹校提携の兵庫高校と沖縄の那覇高校の生徒たち6人がオンラインで「島田叡さんについて学ぶ意見交換会」を開催した。 今年12月に島田叡さんの生誕120年を迎えて行われる記念事業で、メッセージとして発表されます。(2021年8月)
(32)兵庫県出身者の御霊を慰める慰霊祭が、摩文仁の丘で行われ、遺族、兵庫県議会議長、神戸市議会議長ほか兵庫県沖縄県の関係者たちが出席された。県遺族会の「のじぎくの塔慰霊祭」、兵庫県の「島守の塔慰霊祭」、平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」での献花など、戦没者の追悼と、島田叡氏への哀悼の意を表しました。(2021年10月)
(33)島田叡さんの生家があった神戸市須磨区で、2021年11月1日、大本山須磨寺の小池弘三貫主を会長に「須磨島守の会」が発足しました。島田叡さんの顕彰するため、生家のあった須磨寺町の須磨寺参道に、地域のみなさんと協力して須磨ゆかりの桜等を植樹、維持管理していく「島守の広場」を2022年3月を目指して設けられます。(2021年11月)

(34)コロナ禍のため、撮影・公開が延期されていた映画『島守の塔』は、先般撮影が終了し、2022年に公開されます。(2021年12月)
(34)島田叡さん生誕120年をむかえるあたり、 その生い立ちや功績を次世代に語り継ぐとともに、兵庫・沖縄友愛提携50周年記念として、改めて沖縄友愛の絆の大切さ、平和や命の尊さを次世代に伝えるシンポジウム「未来につなぐ“命どう宝”」が、2021年12月25日兵庫県公館にて開催されました。島田叡さんの母校県立兵庫高校(元、神戸二中)の吹奏楽部の演奏、友愛提携50周年記念動画上映、記念講演、朗読劇、トークショー、首里城復興状況報告(那覇高校)、平和へのメッセージ友愛宣言がされました。
 友愛交流の参加校には、県立兵庫高校、同同窓会「武陽会」、県立那覇高校、同城岳同窓会。
(2021年12月)

 
(35)島田叡さんの故郷・須磨に「島守の広場」
生家のあった地元でも「須磨島守の会」(会長は小池須磨寺貫主)が 2021年11月結成され、須磨寺参道に整備が進められていた島田叡氏を 顕彰する「島守の広場」が2022年4月に開設されました。
芝生が敷き詰められた広場の花壇には、沖縄から届いた琉球寒緋桜が 植樹されました。
(2022年5月)
(36)「島守忌俳句大会」がNPOで菜の花の街荒井退造顕彰事業実行委員会が栃木県で2023年6月に再開される。
また、 神戸市立井吹台中学校で、5月の修学旅行で現地を訪ねる生徒たちの事前学習の一環として、映画「島守の塔」の上映会が開かれた。
(2023年4月)

(37)島田さん母校の県立兵庫高校の野球部が、2023年3月に来県された荒井さんの母校県立宇都宮高校野球部と交流試合を実施。次いで、2023年7月に沖縄に遠征し、県立那覇高校などと交流試合を行った。(2023年7月)
(38)島田叡さんの足跡を紹介する動画を、県立兵庫高校と県立那覇高校の生徒が共同制作した。この映画『〜過去から未来へ〜あなたは島田叡さんを知っていますか』は、兵庫・沖縄友愛提携50周年を記念に提案され、兵庫高校がナレーションを、那覇高校が沖縄での映像を撮影し、両校で編集されたものです。兵庫県のインターネット放送局「ひょうごチャンネル」で公開されています。(2024年2月)
(39)島田叡さんをしのんで、令和6年3月、須磨寺前の「島守の広場」にて追悼式が開催されました。須磨島守の会会長の須磨寺の小池貫主の読経、斎藤兵庫県知事ほか参加者がご焼香しました。(2024年3月)
当研究館のホームページ内で提供しているテキスト、資史料、写真、グラフィックス、データ等の無断使用を禁じます。

※クリックして下さい。
「郷土史にかかる談話室」メニュー へ戻ります。

※クリックして下さい。
「神戸・兵庫の郷土史Web研究館/郷土史探訪ツーリズム研究所」のトップ・メニューへ戻ります。