戦後70年、沖縄の島守島田叡さんを語り継ぐ
  (郷土史にかかる談話 59)
戦後70年、沖縄の島守島田叡さんを語り継ぐ

第27代沖縄県知事 島田叡氏
 沖縄県の「島田叡氏事跡顕彰期成会」が、2015年6月26日(島田叡氏の命日?=消息不明日)に「顕彰碑徐幕式典」および「兵庫・沖縄友愛懇親会」を開催、兵庫県側からは沖縄で「兵庫・沖縄友愛フォーラム」開催や「兵庫・沖縄友愛交流の集い」に参加する「兵庫県民代表団」を派遣しました。
 兵庫県民代表団は、、2015年6月26日(金)〜28日(日)、井戸兵庫県知事、久元神戸市長、石井兵庫県議会議長をはじめ、県市や県議会兵庫沖縄友愛議員連盟のほか、島田叡さんの母校神戸二中(県立兵庫高校)の同窓会「武陽会」、沖縄県人会兵庫県支部、洋上大学同窓会などから約80名、沖縄を訪問しました。
(16)兵庫が生んだ沖縄の島守(島田叡知事)
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(1)第27代沖縄縣知事 島田叡 氏 顕彰碑除幕式
@ 沖縄県那覇市奥武山運動公園内の友愛ゾーン(昭和50年に兵庫県の若者たちをはじめ県民の友愛募金により、青少年のための沖縄・兵庫友愛スポーツセンターが開館していた場所)で、2015年6月26日(金)、島田叡さんが壕を出て消息が判らなくなって、命日とされる日に「島田叡氏顕彰碑」が建立・除幕されました。同時に、「沖縄・兵庫友愛グラウンド」の碑も除幕されました。黙祷に続き、開会の辞、那覇高校合唱部による献奏「島守のかみ(島守の塔讃歌)」、顕彰の除幕、碑文の朗読、島田叡氏事跡顕彰期成会会長の嘉数昇明氏の主催者挨拶、来賓として井戸敏三兵庫県知事と翁長雄志沖縄県知事の挨拶、那覇高校吹奏楽部と沖縄県高野連野球部員により奏楽「旧制神戸二中校歌」「栄冠は君に輝く(甲子園)」とあり、沖縄県、兵庫県、そして島田叡氏と運命を同じくされた当時の荒井退蔵警察部長の故郷栃木県などから多くの方々が参列されました。

島田叡氏顕彰碑の除幕

兵庫・沖縄友愛グラウンド碑の除幕

兵庫・沖縄友愛グラウンド碑
A引き続き、奥武山野球場・会議室にて、「顕彰碑建立祝賀会、兵庫・沖縄友愛懇親パーティ」が開催され、琉球舞踊や空手演武の献舞・献武、嘉数昇明氏と武陽会理事長の勝順一氏の主催者挨拶、久元喜造神戸市長と上原裕常糸満市長の来賓挨拶、稲嶺惠一元沖縄県知事の献杯で懇談・会食、和田憲昌兵庫県民代表団副団長、田村洋三『沖縄の島守』の著者、神谷孝沖縄県高野連会長の挨拶などいただきました。

兵庫・沖縄友愛懇親会
B「島田叡氏パネル展」が、奥武山野球場・玄関ホールで2015年6月20日〜26日、開催され、今回の関係者ほか多くの方々が来場された。島田氏ゆかりの野球道具や写真、沖縄の高校野球選手権優勝校に贈られる「島田杯」などが来場者の目をくぎ付けにしていました。

パネル展の入口

島田杯

島田叡氏顕彰事業記念誌
(2)「島守の塔」及び「兵庫県のじぎくの塔」へ献花
  バスで、糸満市摩文仁の平和祈念公園へ移動。「島守の塔」(沖縄県知事島田叡・沖縄県職員慰霊塔と、沖縄県知事島田叡・沖縄県警察部長荒井退蔵終焉之地碑)に各団体から献花、お参り、引き続き兵庫県出身の戦没者を祈念する「兵庫県のじぎくの塔」にて献花、お参りした。「島守の塔」は、1951年に建立されたが2004年に新しく建て直された。ゆかりの歌碑は慰霊碑と奥の終焉の地碑の裏面より、周辺に別個の碑に刻まれている。
(3) 城岳同窓会と武陽会の交流会
 武陽会が「武陽人100年の集い」を母校で開催(2013年6月)した際に、沖縄県立那覇高校(沖縄二中)の城岳同窓会と武陽会が、「城岳・武陽至誠友好交流協定」を結びました。その一環で、今回武陽会一行は那覇高校同窓会を訪問し、同窓会館にて城岳同窓会と武陽会の交流会を持ちました。

島守の塔

慰霊碑と奥に終焉之地碑

島守の塔前に参列して献花

沖縄戦で亡くなられた沖縄県職員の刻銘

終焉之地碑

左の碑『鎮魂 島守の塔にしづもるそのみ魂 紅萌ゆるうたをききませ』と
右奥の碑 『断而敢行鬼神避之』

歌碑『ふるさとのいや果て見んと摩文仁の 巌に立ちし島守の神』

歌碑『雄々しくも責をおいつつこの山に 果てにし君のいさをたたえる』

句碑『島の果 世の果繁る この丘が』

兵庫県のじぎくの塔に献花

兵庫県出身戦没者を祀る
兵庫県のじぎくの塔

兵庫県戦没者沖縄慰霊塔(のじぎくの塔)碑文

沖縄県立那覇高校(旧沖縄ニ中)の城岳同窓会館

城岳同窓会と武陽会との交流に乾杯

一緒に記念撮影
(4)「島田叡元沖縄県知事」事跡訪問プログラム
@翌6月27日(土)、沖縄国際ユースホステルにてDVD「島守の塔」を視聴しました。
A「旧海軍司令部壕」を視察。司令官室など約300m(全450m)が復元されています。資料館には、県庁に代わって沖縄戦下の状況を本土に伝えた大田司令官(海軍少将)の電文などが展示されています。
「沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ 県ニハ既に通信力・・・知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ 現状ヲ看過スルニ忍ビズ 之ニ代ッテ緊急御通知申上グ・・・沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」(昭和20年6月7日打電)
B続いて、最後の県庁と警察警備隊のあった「轟の壕」に入壕。島田叡知事が県庁と警察警備隊の解散を告げ、自重自愛(生きて沖縄のために)とのメッセージを伝えた(昭和20年6月7日)状況を偲ぶ。
C 摩文仁の軍司令部から「軍医部壕」へ移った(昭和20年6月16日)島田叡知事と荒井退蔵警察部長は、同6月26日、軍医壕を出て、以後消息は途絶えた。その島守の塔及び軍医壕を目前に偲ぶ。
D そして、切り立った摩文仁の断崖をのぞみ、約24万人の戦没者を刻銘した「平和の礎」、沖縄戦の教訓を伝え恒久平和の樹立を目指す「沖縄県平和祈念資料館」を見学しました。

島田知事一行が辿った南部落ちルート

DVD「島守の塔」

DVD「島守の塔」 を視聴

海軍司令部壕のある豊見城の丘

海軍壕公園ビジターセンター
(旧海軍司令部壕エントランス)

壕内見取図及び順路図

司令官室

轟の壕入口

壕の入口周辺

壕の内部

島田知事・荒井部長の終焉之地碑

軍医壕の入口周辺

摩文仁の断崖

摩文仁の断崖が望める平和の広場に点灯された「平和の火」

約24万人の戦没者を刻銘した
「平和の礎(いしじ)」

沖縄県立平和祈念資料館
(5)「兵庫・沖縄友愛の集い」
  事跡訪問の後、沖縄都ホテルにて、沖縄の関係者、青少年たちと兵庫県から訪問した関係者、青少年たちが旧交を温め、語り合い、イーサンなど沖縄の伝統芸能を楽しみ、有意義な交流のひと時を持ちました。

兵庫・沖縄友愛の集いでの沖縄舞踊

集いに参加した沖縄・兵庫のみなさん

同左、武陽会のみなさん
6)「兵庫・沖縄友愛フォーラム」
 翌6月28日(日)、沖縄県立博物館・美術館講堂にて、戦後70年を記念し、沖縄の島守が原点となった兵庫・沖縄友愛運動の43年を踏まえて、「兵庫・沖縄友愛フォーラム」が開催されました。
 武陽会の田辺眞人氏の「島田叡さんを育んだふるさと兵庫〜県のことなど〜」の基調講演、そして田辺氏をコーディネータに、友愛活動に携わってきた沖縄と兵庫から、活動を支えてきた高橋守雄氏や嘉数昇明氏と、友愛キャンプ参加経験のある大田美沙希さん吉永裕登さん青少年たち4名が加わり、「友愛の70年・未来へのメッセージ」としてパネルディスカッションで意見交換を行いました。
(2015年7月)

会場の沖縄県立博物館・美術館

田辺眞人氏の講演

パネルディスカッション
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(16)兵庫が生んだ
沖縄の島守
(島田叡知事)
※テレビドラマ『生きろ〜戦場に残した伝言』
2013年8月放送

FMわいわい番組「ゆうかりに乾杯」放送記録
(99) 島田叡さんの事跡を訪ねる(兵庫県沖縄友好代表団)
(2015年7月放送)
(pdf)


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