淡路島から最古級の「松帆銅鐸」、大発見
  (郷土史にかかる談話 64)
淡路島から最古級の「松帆銅鐸」、大発見  
  南あわじ市の松帆地区で採取された砂の中から、2015年4月、砂利製造工場の従業員が銅鐸を発見。市の教育委員会が急遽調査に入り、加工工場及び別の仮置き場に保管中の砂の中から、計7個の銅鐸が発見したと発表した。いずれも南あわじ市の西海岸沿いの松帆地区に一括して埋められていたとみられるので、「松帆銅鐸」と名付けられた。銅鐸が7個と複数埋納されて出土した例は、全国で4番目の多さです。
 ※@加茂岩倉銅鐸(島根県)39個、A大岩山銅鐸(滋賀県)24個、B桜ケ丘銅鐸(兵庫県)14個、C松帆銅鐸(兵庫県)7個
(左写真:出土した松帆銅鐸 =南あわじ市教育委員会資料より)
(1)いずれも、弥生時代前半末から中期初頭(紀元前3〜同2世紀)に製作された古い段階の銅鐸で、うち1個は、これまで全国で11個しか確認されていない最古段階の菱環鈕式銅鐸です。これは島内では、「中川原銅鐸」に次いで2例目です。
●銅鐸の形式分類
形式
鋳型
時代
形式例
菱環鈕式
1式
石製鋳型
弥生時代前期(紀元前3〜前2世紀)
菱環鈕式
外線付鈕式
2式
外線付鈕式
1式
弥生時代中期(前2世紀)
2式
弥生時代中期(前1世紀)
扁平鈕式

古段階

弥生時代中期
(前1世紀〜後1世紀初頭)
新段階
土製鋳型
扁平鈕式
突線鈕式
突線鈕式
1式
弥生時代後期(後1世紀)
2式
弥生時代後期(後1世紀後半〜2世紀)
3式
4式
5式
弥生時代後期(後2世紀末まで)
 外観察及びコンピューター断層撮影(CTスキャン)(奈良文化財研究所で実施)により、出土した松帆銅鐸7個のうち、大型銅鐸に小型銅鐸をはめ込んだ「入れ子」状態にあった2組4個、しかも内部に音を鳴らす振り子「舌」を収めた状態であることが判明した。都合、3組が入れ子だった。
 これまで銅鐸は全国で500個以上出土し、舌の出土数はその10分の1以下で、しかも銅鐸と一緒(セット)に出土したのは今まで2例(淡路で発見された「中の御堂銅鐸」ほか)のみ。大変珍しい貴重な発見です。入れ子の内側の銅鐸は、いずれも2番目に古い形式の外線付鈕式でした。
●7個の松帆銅鐸
銅鐸
備考
形式
文様
高さcm
底幅cm
長さcm
1号銅鐸
菱環鈕2式
横帯文
26.6
15.5
13.0
 
2号銅鐸
外線付鈕1式
4区袈裟襷文
22.4
12.8
8.0
1号内に入れ子。4号銅鐸と同范。他に同范銅鐸あり
3号銅鐸
外線付鈕1式
4区袈裟襷文
31.5
17.5
約12.8
同范銅鐸あり
4号銅鐸
外線付鈕1式
4区袈裟襷文
約22.6
約13.0
約8.3
3号内に入れ子。2号銅鐸と同范。他に同范銅鐸あり。「舌」が7号舌と同范。
5号銅鐸
外線付鈕1式
4区袈裟襷文
23.8
計測不能
12.0
舌は別の銅鐸のものの可能性あり。同范銅鐸あり
6号銅鐸
外線付鈕1式
4区袈裟襷文
31.8
18.5
約13.2
 
7号銅鐸
外線付鈕1式
4区袈裟襷文
約21.1
約13.3
約8.0
6号内に入れ子。「舌」が4号舌と同范。
  また後日、舌や銅鐸本体をつり下げたとみられる「ひも」の一部が見つかり、この「ひも」や同じく砂に混入していたと見られるチガヤやススキのような細長い葉もあって、今後、放射性炭素による年代測定分析で、銅鐸の埋納年代が特定されるという期待もでてきた。
 銅鐸の内面の裾の内面凸帯(出っ張り)の中央付近が特に磨滅しており、舌の鋳型の合わせ目の一部にも磨滅が見られることから、銅鐸の中に舌をぶら下げて鳴らしていたようです。この古い段階の銅鐸の特徴として、「松帆銅鐸」は「聞く銅鐸」であったと考えられます。
 淡路島内出土の銅鐸はすべて古い段階の「聞く銅鐸」で、過去には松帆地区古津路から古い形式の銅剣14本も出土していることから、淡路島は青銅器埋納地として重要な地域であったのでしょう。(2015年11月)
※銅鐸研究の新たな試み
 従来、銅鐸研究に際しては、肉眼観察を中心に、出土状況や、実測図や拓本、写真などから、笵傷、銅鐸の形や文様、内面突帯の摩耗、文様や絵画から使用方法などが検討されてきました。
 最近では、三次元形状計測、コンピューター断層撮影(CTスキャン)が2009年頃から採用され、画期的な研究の成果が表れてきます。これまで研究者中心で行われてきた検討が、出土例の少なさ、接する機会の少なさ、脆弱な資料(出土物)による移動困難などから比較検討ができないなどの不便をかこっていました。
 でも、これらの新技術導入による調査研究は、これら三次元計測により仮想空間内での比較検討が可能となり、@パソコン上での比較検討、A三次元プリントでより詳細な拡大文様が観察・認識できる。また、これまで不可能だった銅鐸の立体的A・B面の比較検討が可能となり、@文様の高さ比較による鋳型補修(彫り直し)、A笵傷だけでなく共通する文様の彫り直し、B同笵銅鐸の検討幅拡大などの利点があります。
 また、透過X線撮影で、銅鐸の内側を検討するのが容易になり、内側の気泡(鬆)を確認して、その形状から湯(鎔銅)の流れから鋳造方法の検討が可能になってきます。
 また、3次元プリンターにより、レプリカ(複製)製作が容易となり、実物同様の詳細なサンプルの提供により、限定されてきた研究者が飛躍的に多くの参加が見込まれ、一段と研究が進むことが期待されています。
(2)兵庫県教育委員会は、2016年1月、松帆銅鐸7個のうち新たに2個から「舌」をつるしていたとみられる「ひもの一部」が見つかったと発表。今後、ひもを科学的に分析し、埋納年代やひもの素材や構造について調査・分析する。
 ほかに、銅鐸内面から、イネ科とみられる植物の葉も発見、今後植物の特定を目指す。松帆銅鐸の埋納場所の探索調査で、昨年11月に松帆古津路地区にてレーダー調査を実施したが、特定につながる成果はまだありませんでした。今後、大いに期待されます。(2016年1月)

(3)兵庫県教育委員会と南あわじ市教育委員会は、2016年度に、松帆銅鐸のクリーニング、実測図作成を目指す。また、放射性炭素や蛍光X線での科学分析などで埋納年代の測定や銅鐸の成分分析、銅鐸の文様調査などを実施する予定。淡路島では、近年、淡路市において弥生時代から邪馬台国時代にかけての鉄器生産集落だった「五斗長垣内遺跡」などが発掘されるなど、また近隣の弥生遺跡の発掘計画もあって注目を集めています。 (2016年1月)
(4)「松帆銅鐸」7個のうち2個(上記の2号銅鐸と4号銅鐸)が、下記の淡路島内出土銅鐸bQの「中の御堂銅鐸」(江戸時代に松帆地区出土)と同じ鋳型で作られた「同范銅鐸」と判明した。中の御堂銅鐸に見られる鈕(つり手)の模様「斜格子文」や身(胴体)の鹿の絵などの特徴が一致、鋳型の繰り返し使用過程で生じる傷も3つの銅鐸と共通である。(2016年2月)
(5)兵庫県は、「松帆銅鐸」の菱環鈕式の1号銅鐸を復元(銅78%、錫14%、鉛8%)鋳造し、展示用の吊り下げ台、説明パネル展示用の吊り下げ台、説明パネルを用意して4月から淡路島内全44小学校で淳会展示を開始した。銅鐸を鳴らして弥生時代の音色を楽しんでもらう。来年度には、島内の観光施設などで観光客が銅鐸にふれて、鳴らしたりできるように展示する計画である。(2016年4月)
(6)松帆銅鐸のうち、4個に同范(同じ石製の鋳型で造られた)銅鐸があることが判明しました。
@松帆2号銅鐸は、4号銅鐸と同范。しかも、同じく南あわじ市から出土した「中の御堂銅鐸」(下記表の2)と同范。表面の范傷(鋳型の傷)の付き具合から、この3つの銅鐸のうち、松帆2号銅鐸が一番新しいものとみられます。
A松帆3号銅鐸は、島根県雲南市の「加茂岩倉遺跡出土銅鐸27号」(国宝、高さ31.4cm)と同范で、どちらが古いかは未確定。ちなみに、「加茂岩倉遺跡出土銅鐸」全39個のうち26個は、同遺跡内及び、「神戸桜ヶ丘3号銅鐸」(国宝)をはじめとする近畿や四国の銅鐸とも同范関係が認められる。
B松帆4号銅鐸は、2号銅鐸と同范、南あわじ市の「中の御堂銅鐸」(下記表の2)とも同范。
C松帆5号銅鐸は、島根県出雲市の「荒神谷遺跡出土銅鐸6号」(国宝、高さ23.7cm)と同范であること。范傷の具合から、松帆5号の方が荒神谷6号より古い。
 これで、古代神話の地である淡路と出雲との結びつきが窺われ、弥生時代における遠距離交易の姿が浮かび上がってきます。
(2016年10月)
(7)銅鐸(4号銅鐸と舌)の内に詰まっていた砂のほかに混入していた植物の放射性炭素年代測定により、松帆銅鐸が埋納されたのは、紀元前4世紀〜前世紀のことと判明しました。 従来は、弥生時代末期の古墳時代へと移行する時期(2世紀)に一斉に埋納されたとされ、最近において弥生時代中期(1世紀初頭)にも埋納ブームがあったと考えられるようになっていましたが、今回の発見により、 もっと多段階に埋納されたのではないか、とみられています。そもそも、埋納銅鐸が植物など有機物を伴って出土した例はなく、大変珍しいことと思われ、埋納が紀元前に従来より150年以上昔に行われたことが判明したのは、考古学史上、画期的な成果と言われています。(2017年6月)
(8)松帆銅鐸7個と舌(振り子)の原料に、朝鮮半島産の鉛が使用されていたことが「鉛同位体比分析」により判明。また「ICP分析法」で青銅の成分が銅70〜81%・錫10〜16%。鉛4〜18%と測定され、弥生時代中期前半より以前の銅鐸・舌であることが裏付けされた。7本あった舌のうち、4号銅鐸のと7号銅鐸のが同じ鋳型かた造られた同笵と判明した。これにより、2号銅鐸・4号銅鐸・7号銅鐸が同じ工人集団が製作した可能性が高い。
※「鉛同位体比分析」:物質の同じ原子番号でも原子核内の陽子・中性子の質量数が異なる同位体があり、鉛同位体比が鉱山ごとに特徴があり原産地が特定される分析法。
※「ICP分析法」:青銅に含有する銅・錫・鉛の比率を測定する分析法。(2018年6月)
●これまでに淡路島内で出土した銅鐸と保管場所(松帆銅鐸を除く計14個)
名称
形式
文様
法量
cm
出土地
出土年
所有・保管者

中川原銅鐸 菱環鈕1式 横帯文 高24.2 洲本市中川原二ツ石 1688〜1703
(元禄)
南あわじ市
隆泉寺
慶野中の御堂銅鐸 外線付鈕1式 4区袈裟襷文 高22.5 南あわじ市松帆慶野中の御堂 1686(貞享3) 南あわじ市
日光寺
伝中の御堂出土銅鐸 不明 不明 不明 南あわじ市松帆慶野中の御堂 1686(貞享3) 所在不明
伝中の御堂出土銅鐸 不明 不明 不明 南あわじ市松帆慶野中の御堂 1686(貞享3) 所在不明
慶野銅鐸 外線付鈕1式 4区袈裟襷文 高32.7 南あわじ市松帆慶野中の御堂 江戸末〜明治初 慶野組・淡路文化史料館
伝淡路国出土銅鐸 外線付鈕2式 2区流水文 高46.0 (推)淡路市江井桃川 1789〜1801
(寛政)
尼崎市
本興寺
倭文銅鐸 外線付鈕2式 2区流水文 高44.5 南あわじ市倭文庄田笹尾 1959 東京国立博物館
中条銅鐸 扁平鈕式 6区袈裟襷文 高45 南あわじ市広田中条堂丸 1802(享和2) 所在不明
伝淡路国出土銅鐸 扁平鈕式 6区袈裟襷文 高46.8 洲本市 1912  辰馬好古資料館
10
伝淡路国出土銅鐸  突線鈕1式 2区流水文 高37.3
鈕欠損
不明 不明 辰馬好古資料館
11
幡多銅鐸 不明 不明 不明 南あわじ市榎列上幡多 不明 所在不明
12
地頭方銅鐸  不明 不明 不明 南あわじ市神代地頭方経所 不明 所在不明
13
賀集福井銅鐸 不明 不明 不明 南あわじ市賀集福井大日堂 不明 所在不明
14
稲田南銅鐸 不明 不明 不明 南あわじ市稲田南 1751〜1764
(宝暦)
所在不明
 現在、今回の松帆銅鐸を入れて、銅鐸の全国出土数は532個、うち兵庫県は68個(うち淡路島は21個)と全国1位です。兵庫県が銅鐸の県といわれる所以でもあります。
 ※@兵庫県68個、A島根県56個、B大阪府41個、C滋賀県40個、D徳島県39個
 今後の調査、分析、発掘調査の進展を期待します。
(2015年11月〜、2016年10月)
※参考資料:南あわじ市教育委員会資料「南あわじ市出土の松帆銅鐸」、兵庫県・南あわじ市の記者発表資料、ほか
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(65)神戸市街山麓から大量出土した
「桜ケ丘銅鐸・銅戈」

(24)弥生時代後期〜邪馬台国の鉄器生産基地
「五斗長垣内遺跡」


(70)淡路島の大規模鉄器生産基地をうかがわせる
「舟木遺跡」

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