古代の道「山陽道」の駅家(うまや)を辿る
 (郷土史の談話 18)
古代の道「山陽道」の駅家(うまや)を辿る 
  古代の道「山陽道」は、7世紀末から8世紀初めの律令国家制度確立期に駅制が整えられ、9世紀頃に衰退の傾向で、駅家や駅馬が一部縮小化され、10世紀辺りまで機能していたと思われます。駅路の30里(現在の約16q)間隔で駅家が置かれ、駅馬が原則20匹が常備され、駅家には駅館院など蕃客(外国の賓客)に備えて瓦葺粉壁(瓦葺きで粉壁)の立派な宿泊施設・迎賓施設が整備されていました。
  山陽道については、927年に編纂された『延喜式』には、山城国の山崎駅から筑前国の久爾駅まで58駅とありました。
 兵庫県内には、平城京や平安京を発って山城国から摂津国に入って、摂津の県内には2駅、続いて播磨国に9駅(当時廃止されていた駅が2駅ある)あって、西隣の備前国へと繋がっていました。しかし、瀬戸内海の水運の発達と、律令制の弱体化による駅伝制が意味をなさないようになり、1000年ほど前には廃絶されました。
 山陽道の駅家の所在については、「播磨国風土記」、「類聚三代格」、「延喜式」、「日本三代実録」、「令義解」などの古文書に僅かに出てきますが、実際の場所が発掘等で確定されたのは全国400ヶ所のうちでも本当に少ないのです。その中でも、県下の布施駅、野磨駅の研究が全国的にも教科書的モデルとなっています。また、県立考古博物館による賀古駅等の調査も進んでいて、全駅全容解明が待たれています。
(2010年4月〜、2015年8月)
※「古代の道と驛家(うまや)」の詳細は、次のLINKボタンをクリックして下さい。

布勢駅家(『ひょうごの遺跡』10号(兵庫県埋蔵文化財調査事務所)より)
古代山陽道の駅路(兵庫県内)
葦屋(あしや)驛
 摂津国草野(かやの)駅(豊嶋郡=箕面市萱野)から猪名川、武庫川を渡って約25q。
 旧武庫郡と旧菟原郡の境界と推定されている夙川(西宮市)附近で京から西南方向だった道が西南西に向きを変えて芦屋川を渡り、葦屋駅(菟原郡)は、白鳳記から奈良時代を通じて栄えていた芦屋廃寺(芦屋市西山町)に近接してあったと思われていたが、1999年、2000年(平成12)に発掘した県営住宅の一画にある深江北町遺跡(神戸市東灘区深江北町・深江本町・本庄町)から、奈良時代の建物群や木簡や道具類に加えて、「驛」と墨書した土器が出土しているので、北に隣接する津知遺跡(芦屋市)を含めて、ここが「葦屋駅」ではないかと思われます。駅馬は20匹。

深江北町遺跡の碑

深江北町遺跡の説明板

遺跡から発掘された「驛」の墨書土器
(神戸市教育委員会の報告書より)
須磨(すま)驛
 葦屋駅から生田川、湊川を越えて「須磨駅」(八部郡)まで約20q。駅の位置に関する古文書も発掘発見もありません。太田町遺跡(須磨区太田町・戎町)が、山陽道の側溝と思われる北側に発掘され、瓦類がほとんど出土しなかったのですが、建物群跡とか陶磁器や土器、皇朝十二銭などが発掘されたので、駅家の可能性はあるとも見られています。そこからもう少し西に、後の西国街道沿いにあった旧前田家邸宅跡(神戸市須磨区天神町)があり、その昔の駅家の管理運営を任されていた駅長の末裔ではないかと思われ、この周辺の廃寺などに駅家があったものと推測されます。
 前田家の邸内には、元宮長田神社があり、前田家は大宰府神社へ毎年、ここの菅原道真ゆかりの菅の井の水を届けていたそうです。
 また、この駅から山陽道は、近世と同じく海岸沿いを通っていたか、または、切り立った崖の続く鉢伏・鉄拐・高倉の山々を迂回して、北へ向かい、内陸の白川(須磨区)や多井畑(須磨区)を通っていたか、と考えられています。

旧前田家邸宅跡公園

同左、菅原道真ゆかりの菅の井

同左、菅公手植えの松
明石(あかし)驛
 須磨駅から海岸沿いに播磨国へ、約13q。淡路島、明石海峡を見下ろす高台に、現在の高家寺境内に礎石・塔基盤が残されている太寺廃寺(明石市太寺)がある。「明石駅」(明石郡)はこの廃寺に隣接した場所にあったと想定される。ほかには、上の丸遺跡(明石市上の丸)、天文町遺跡(同天文町)、東仲ノ町遺跡(同東仲ノ町)も候補とされている。太寺廃寺の西隣に「菅公旅次遺跡」の碑があって、その昔、菅原道真が明石の駅長との出会いが伝わっている。特に、山陽道を内陸迂回路を通ったとすれば、駅家はこの辺りであることは間違いありません。駅馬の数は、原則20匹のところ、記録では30匹とある。周辺では昔から住宅開発が進み、現状ではその面影は全くない。
 ここより西北方3qの神戸市西区に駅家の候補と見る向きもある吉田南遺跡が存在するが、街道からは1qも離れているので、駅家跡とは考えにくい。
 また、明石川東岸の海岸寄り、大蔵中町(西国街道の浜街道周辺)で中世の瓦積み井戸が発見(2014年8月)され、古代の廃絶した建物の瓦を井戸枠に活用したものと見られ、駅家が近くにあったのではと推測もされている。

太寺廃寺

同左、礎石など

同左、塔跡の説明板
邑美(おうみ)驛
 この駅は、存在を現代に伝える1100年前の『延喜式』(927年編纂)には載っていないが、距離的はここにも古代の道が通り、駅家があったのではないか、と考えられている。明石駅から明石川を渡って、約10q。明石市金ヶ崎の田畑の下に埋まっている長坂寺遺跡(明石市魚住町長寺・金ヶ崎)が「邑美駅」ではないか見られている。「邑美駅」は、『続日本紀』に726年10月の聖武天皇行幸に関して印南野邑美頓宮の設置のことが載っており、駅家の存在が窺われ、駅家名もこれらによって一応名付けられています。附近には駅家の存在が窺える大小の字名で、「大道」「大道池」「古前池」などが残っています。しかし、『延喜式』に載っていないので、その時までに廃止されていたものと思われます。
 現在、兵庫県立考古博物館が調査に入って、発掘調査等の結果、駅家(邑美駅家)の立地を示す遺構(地下)が確認されました。今後の更なる調査が期待されます。

長坂寺遺跡の碑、この前を古代山陽道が走っていた

同左、この辺りの地下に驛跡が

発掘調査による邑美驛家の推定図(兵庫県立好古博物館の現地説明より)
賀古(かこ)驛
  邑美駅から約8qで、播磨の地が西北にまがっているのに沿って、西北上すると、「賀古駅」(賀古郡=加古川市野口町古大内)です。北近くの由緒ある教信寺に伝わる教信上人の往生説話でも、駅家跡が寺の南にあったとしている。『延喜式』によると、駅馬40匹を常備した当時の日本最大の駅だったようです。
 この40匹という数の推理では、昔に設置されていた「邑美駅」の20匹と、次の駅で同じく廃止された「佐突駅」の20匹を、両隣の駅家に半分の10匹づつ引き継がせたことから、「賀古駅」では元の20匹に邑美駅10匹と佐突駅10匹を足すと40匹にし、「佐突駅」の次の「草上駅」が、「佐突駅」の10匹が上乗せされて30匹となった、とされています。
 2009年、2010年(平成22)の県立考古博物館の発掘により、約80m四方の築地塀で囲まれて、古代山陽道から駅家表門への進入路、表門の柱の礎石(唐居敷)が確認されています。中世には城館となったり、また近世では宅地化が進み、隣接する地には工場などあって、それでも大歳神社によく古大内遺跡として残っていました。隣の大きな池は、「駅池」と呼ばれています。今後の調査結果が楽しみです。

驛家と確定された古大内遺跡

同左、遺跡のある大歳神社

発掘調査による賀古驛家の配置図(兵庫県立好古博物館の現地説明より)
佐突(さつち)驛
 賀古駅から加古川を越え、山を避けて少し曲りながら約9qで、「佐突駅」(印南郡=姫路市別所町北宿)です。「邑美駅」と同様に、『続日本紀』に印南郡佐突駅の記載があるが、『延喜式』の時には廃止されていたものと思われます。しかし、後に『続日本後記』で839年(承和6)は再建された、と伝わっています。
 100年程前に工場開発が進められ、北宿廃寺跡が近くにあり、北宿遺跡(姫路市で、旧印南郡別所村大字佐土)がそうではないか、と思われている。今は、「馬が谷」などの地名も伝わるほかには、国道2号線沿いにこの陸橋の横に最近置かれた「佐突駅家跡」碑を除いて、何も残っていない。

国道沿いの北宿遺跡に立つ
佐突驛家碑

驛路を彷彿とさせる国道2号線

北宿遺跡の周辺
草上(くさかみ)驛
 「佐突駅」から播磨国国分寺(姫路市御国野町)を経由して約11q、「草上駅」(飾磨郡=姫路市今宿)に到着します。元来、姫路市内の駅家の比定は難しく、播磨国府の本町遺跡があった辺りと思われていました。しかし、近くには辻井廃寺もあり、多くの瓦が出土した今宿丁田遺跡(姫路市東今宿1丁目〜4丁目)もしくは辻井遺跡(姫路市今宿)が駅家跡と思われます。今宿の近くには、「草上寺」「前田」などの小字が残っています。
 昔、因幡国司が宿泊した際に馬を贈呈した駅が「高草駅」との古文書が残っておりますが、草上駅の誤記ではないかと言われています。それで、「草上駅」から、山陽道と分かれて美作・因幡方面への「美作道」があったようです。今、駅跡は住宅・スーパー・工場や田畑が混在する地域となっています。

草上駅家に想定される地域
(今宿丁田遺跡附近)

同左

辻井遺跡から発掘された
辻井廃寺跡(僧坊跡)
大市(おおち)驛
 途中、市川、夢前川、桜峠を越えて草上駅から「大市駅」まで約6q。古い瓦が多く出土した太市中遺跡(姫路市。旧揖保郡太市村大字太市中)または多数の瓦が発掘された小字馬屋田の向山遺跡(姫路市西脇)が大市駅家(=邑智駅家)と思われています。
 遺跡の北には多くの古墳や西脇廃寺跡(旧揖保郡太市村大字西脇)があり、周辺は田畑が広がっていますが、古窯跡(峰相山)があり、古代はちょっとした瓦陶器の生産地だったようです。この周辺は少し高台に位置し、宅地化も進んでいますが、「太市中」「馬屋田」などの字名が残っています。

大市(邑智)駅家跡碑

駅家が立地していた
邑智の里(高台)

駅家跡の前を走る道
布勢(ふせ)驛
 「大市駅」から、槻坂と『播磨国風土記』にも出てくる琴坂の二つの峠と林田川、揖保川を越えて約10qで「布勢駅」です。
 地元の郷土史家や市役所が、小犬丸遺跡(たつの市。旧揖保郡布勢村大字小犬丸小字大道の上、大道の下)に注目して1984年〜1988年(平成1)の発掘調査の結果、「驛」と墨書きされた土器や「布勢驛」と書かれた木片、建物跡が見つかりました。地下の遺構でも、その建物は古文書にあるとおり、いずれも礎石柱で瓦葺き、白壁で赤塗りの建物群で、一辺が80mの方形区画の築地塀の駅院館と呼ばれるものでした。駅家遺跡がこれだけ整って出土したのは全国でも最初の価値ある遺跡です。全国の駅家の発掘のモデルと賞賛されています。
 周辺には、駅長で里長だったと推測されている人物の長尾薬師塚古墳や、小犬丸中谷廃寺跡があります。

小犬丸遺跡が布勢駅家跡の説明板

推定される駅家の構造(たつの市教育委員会資料より)

駅家附近を一直線に西に走る国道

高田(たかた)驛
 布勢駅から山道に入って二木峠を越え、相生市を通過して険しい椿峠を過ぎて約10q、「高田駅」に到るが、位置は特定されていません。古代瓦が出土している神明寺遺跡(赤穂郡上郡町大字神明寺小字中ノ手)のある顔栄寺付近、または辻ヶ内遺跡(赤穂郡上郡町佐用谷)が「高田駅」ではないかと、されています。近くに「前田」という字名、これは、「驛田(まきだ)」から呼び方が転化したものと思われます。また、近くの辻ヶ内遺跡が駅家跡ではないか、とする説もあります。
 顔栄寺前の道路は、そのまま古代山陽道で、峠と峠の間をほぼ一直線に伸びています。


駅跡と想定される願栄寺

同左、願栄寺周辺には神明寺遺跡が

辻ヶ内遺跡周辺を望む
野磨(やま)驛
 「高田駅」から千種川を渡河して、『続日本紀』にもある山野里を通り、小さな峠を越えた所の「野磨駅」まで約7q。1990年、1991年の発掘調査の結果、落地廃寺に西隣接する八反坪遺跡(赤穂郡上郡町落地八反坪)からは駅家跡を思わせる掘立柱建物跡の駅館院的な跡などが現れました。しかし、瓦片の出土はほとんどありませんでした。
 また、2002年、2003年(平成15)には、落地廃寺の落地飯坂遺跡(赤穂郡上郡町落地飯坂)からは瓦葺の駅館院跡が確認され、これらによって、ある時期に官衙(昔の地方役所)的な要素建物を具備した駅家と思われる八反坪遺跡の地から、「野磨駅」が飯坂遺跡の地へ移動したことが窺えます。
 2006年7月には、山陽道落地駅家跡は国の史跡に指定されました。本当に谷間の狭い地域、ひなびた田舎山道で忽然と立派な駅家が存在していたのは、賓客たち旅人たちにとって、想像を超えた驚きだったのでしょうね。
 「野磨駅」からは船坂峠を越えて備前国に入り、次の「坂長駅」(和気郡=岡山県備前市三石)まで約7qの道程です。

国の史跡に指定された落地遺跡

同左、説明板

落地(八反坪)遺跡の発掘調査による山陽道と前期の駅家跡(上郡町教育委員会資料より)

落地(八反坪)遺跡の前期駅家の推定図(上郡町教育委員会資料より)

発掘された野磨駅(後期)の駅家跡(落地飯坂遺跡)

同左、説明看板

発掘された野磨駅(後期)の駅家跡(落地飯坂遺跡)に配置を示す看板も立っている

落地(飯坂)遺跡の発掘調査( 上郡町教育委員会資料より)

落地(飯坂)遺跡の後期駅家の推定図(上郡町教育委員会資料より)
※参考資料:『歴史の道調査報告書全集9“近畿地方の歴史の道9”兵庫1』兵庫県教育委員会(海路書院)、『山陽道駅家跡〜西日本の古代社会を支えた道と駅〜』岸本道昭著(同成社)、『完全踏査・続古代の道(山陰道・山陽道・南海道・西海道)』武部健一著(吉川弘文館)、『古代官道・山陽道と駅家〜律令国家を支えた道と駅〜』兵庫県立考古博物館、『ひょうごの遺跡』兵庫県立考古博物館 など
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(47)古代の道と駅家
(うまや)〜兵庫県内〜

(57)古代の道
山陰道」の
駅家(うまや)を辿る

(61)古代の道
「南海道」
駅家(うまや)を辿る


(62)古代の道
美作道・因幡道」
駅家(うまや)を辿る

 

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