遣唐使を研究してみよう〜奈良・平安時代の国家プロジェクト〜
  (郷土史にかかる談話 67)
遣唐使を研究してみよう〜奈良・平安時代の国家プロジェクト〜

海を渡る遣唐使船
(「東征伝絵巻」唐招提寺より)
 大きな使命を得て先進文化の中心であった唐の都に赴いた遣唐使たち。隋の時代から引き続いて、630年に犬上三田耜らが初めて唐に赴き、以来894年に唐国内の混乱と吸収すべき文化の魅力逓減を背景に、任命を受けた大使菅原道真の上奏により停止されるまで、20度任命され派遣された。数々の艱難辛苦をくぐり抜け無事使命を達成できたもの、渡海での遭難、道中や在唐中の事故や病気で挫折したもの、あるいは種々の事情により派遣が中止されたもの、遣唐使一行に加わった者たちや彼らの帰国後の消息なども、その全容については帰国者の報告あるいは中国での記録も断片的である。
 しかしながら、遣唐留学生だった阿倍仲麻呂や下道真備(後の吉備真備)、朝賀の儀での席次争い、また最近墓誌が発見された知られなかった留学生井真成、渡海を拒否した副使小野篁のエピソード、大使藤原清河の忘れ形見喜娘をはじめとする唐で生まれた混血児たち、律師を求めて留学した僧の普照、栄叡と唐の高僧鑑真和上の日本渡来などなど、多くの興味を引く人物・事象が伝わっている。
 昨今の歴史探求志向や国際交流の常態化を背景に、命を懸けて先進文化導入の使命に挑戦し、しかも今まであまり知られることの無かった「遣唐使」たちが表に出てきています。種々の古文書に残された遣唐使関係の記録や当時の政治情勢などから窺い知れることは、あまりも少ない。その歴史の空白を埋める出来事は何だったのであろうか。その推理に頭を巡らして、遣唐使物語の切れた糸を結び直すという歴史を探る新しい楽しみの一つです。
 謎多き遣唐使の世界(KENTOUSHI WORLD)を一度覗いてご覧になりませんか。それで、あなたは「遣唐使」に深く魅せられることでしょう。

平城遷都1300年祭で復元された遣唐使船(平城宮跡にて)
※遣唐使の派遣回数については諸説ある。任命されたが中止になったり行かなかったり、途中の半島(百済)までで唐に行っていないもの、 日本に来た唐からの使節を送って行った「送使」を遣唐使として扱うかどうか、また唐に残った使節を迎えに行ったのもどうするか、政治史や外交史、海事史、航海史などの研究の観点から見ると扱いは異なってくる。種々のパターンが見られますが、その間の事情や国際情勢が連続するなか、研究の対象とするのは全ての諸説をカバーできる20回の「任命」をベースとするのが最適です。(2016年8月)
●任命された遣唐使の一覧
1.舒明天皇(和暦)
遣唐使団
任 命
帰 国
特 記
犬上三田耜
薬師恵日
630年
(舒明天皇2)
632年8月 唐の送使高表仁ら来日、日本皇族とトラブルになり唐太宗の国書を渡さず633年帰国。
2.白雉(1期)
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
吉士長丹(大使・第1船)
吉士 駒(副使・第1船)
高田根麻呂(大使・第2船)
掃守小麻呂(副使・第2船)
653年
(白雉4)
653年10月

654年7月(船1)



第2船、往途に薩摩竹島付近で遭難。
3.白雉(2期)
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
高向玄理(押使)
河辺麻呂(大使)
薬師恵日(副使)
654年
(白雉5)
655年 押使の高向玄理、唐で没。
4.斉明天皇(和暦)
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
坂合部石布(大使・第1船)
津守吉祥(副使・第2船)
659年8月
(斉名天皇5)


661年5月(船2)

第1船は往途南海の島に漂着、大使ら殺される。蝦夷の男女2名同行。一行長安に一時幽閉。帰路、済州島漂着。
5.天智天皇(和暦)(1期)
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
守 大石(送唐客使)
坂合部石積(送唐客使)
吉士岐弥(送唐客使)
吉士針間(送唐客使)
665年
(天智天皇4)
667年11月 663年白村江の戦いで唐・新羅軍に敗戦。
664年と665年に唐使劉徳高、郭務○が来日。
唐使を送って入唐し、666年の高宗の泰山封禅の儀に参列。
6.天智天皇(和暦)(2期)
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
伊吉博徳(送唐客使)
笠 諸石(送唐客使)
667年11
(天智天皇6)
668年1月 667年11月に送唐客使を送って唐使来日。
唐使を百済(駐在?)に送る。唐には往かずか。
7.天智天皇(和暦)(3期)
遣唐使団
任 命
帰 国
特 記
河内 鯨
669年任命
(天智天皇8)
668年の唐の高句麗平定を慶賀か?
671年11月に唐使郭務○ら軍勢2千人来日。
672年5月、罷り帰る(軍勢半年間駐留?)。
8.大宝
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
粟田真人(執節使・第1船)
高橋笠間(大使)
坂合部大分(副使→大使)
巨勢邑治(大位・第2船)
山上憶良(少録)ら
701年5月
(大宝元)
702年6月
(大宝2)
704年7月
(粟田真人)
707年3月
(巨勢邑治)
718年10月
(坂合部大分)
701年は渡海失敗。702年再出発。
乗船5隻(小型船?)。
弁正、道慈ら留学。
巨勢邑治3年遅れて帰国。
坂合部大分14年後の次の遣唐使一行に随伴して帰国。
9.養老
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
多治比県守(押使)
阿倍安麻呂(大使・罷免)
大伴山守(大使・新)
藤原馬養(副使)ら
717年
(養老元)
718年10月 阿倍仲麻呂、吉備真備、玄ムら留学。
4船渡航。
前回の大使坂合部大分や、道慈帰国。
大使、阿倍から大伴に交替。
10.天平(1期)
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
多治比広成(大使・第1船)
中臣名代(副使・第2船)
平群広成(判官・第3船)
秦朝元(判官)
田口養年富(判官・第4船)ら
733年
(天平5)
734年11月(船1)
736年5月(船2)
739年(船3)
玄ム、吉備真備、羽栗吉麻呂ら帰国。
留学僧普照、栄叡ら入唐。
734年1月留学生井真成死亡(2004年発見の墓誌)。
帰路、第1船種子島漂着、第2船一旦唐越州漂着し再出発、第3船崑崙国(ベトナム?)漂着し監禁・救出されて渤海国経由で帰国、第4船は遭難か。
11.天平(2期)
遣唐使団
任 命
帰 国
特 記
石上乙麻呂(大使)
746年任命
(天平18)
中止。
12.天平勝宝
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
藤原清河(大使・第1船)
大伴古麻呂(副使・第2船)
吉備真備(副使・第3船)ら
752年
(天平勝宝4)
―(船1)
753年12月(船3)
754年1月(船2)
754年4月(船4)
753年朝賀の儀で席次争い。
帰途、第1船第2船第3船ともおきなわ漂着。
再出発後、第1船は安南に漂着し、大使藤原清河や阿倍仲麻呂は唐に戻り、帰国せず。第2船第3船第4船とも日本帰着。
鑑真和上ら一行来日。
13.天平宝字(1期)
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
高 元度(迎入唐大使使)
内蔵全成(判官)
羽栗翔(録事)ら
759年
(天平宝字3)
761年8月 759年来日した渤海使楊承慶を送るに併せて在唐の藤原清河や阿倍仲麻呂を迎える使。
皇帝の許し得られず大使ら帰国。
羽栗翔、唐に残る。
14.天平宝字(2期)
遣唐使団
任 命
帰 国
特 記
仲 石伴(大使)
石上宅嗣(副使・罷免)
藤原田麻呂(副使・新)
761年10月任命
(天平宝字5)
難波へ回航中に船破損、中止。
15.天平宝字(3期)
遣唐使団
任 命
帰 国
特 記
中臣鷹主(送唐客使)
高麗広山(副使)
762年任命 762年7月、風波便なく渡海できず中止。
16.宝亀(1期)
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
佐伯今毛人(大使・罷免)
大伴益立(副使・罷免)
藤原鷹取(副使・罷免)
小野石根(執節副使・新・第1船)
大神末足(副使・新・第2船)
小野滋野(判官・第3船)
大伴継人(判官・第1船)
海上三狩(判官・第4船)
羽栗翼(准判官)
777年6月
(宝亀8)
―(船1)
778年10月(船3)
778年11月
(船4、船2、船1舳、船1艫)
大使佐伯、副使の大伴と藤原は行かず。
小野副使が大使不在のまま執節副使。
778年朝賀の儀に間に合わず。
帰路、第1船難破して分解して舳と艫の一部漂着、小野副使死亡、第2船第3船帰着、第4船は耽羅島へ漂着。
唐主使趙宝英(第1船)が死亡、唐使孫興進の来日。藤原清河の娘、喜娘が帰国。
17.宝亀(2期)
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
布勢清直(送唐客使)
779年
(宝亀10)
または780年?
781年 779年11月、海上三狩帰国と同行した唐使高鶴林来日。
唐使孫興進に加え高鶴林も送る?
18.延暦
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
藤原葛野麻呂(大使・第1船)
石川道益(副使・第2船)
三棟今嗣(判官・第3船)
高階遠成(判官・第4船)
803年(延暦22)
804年7月再(延暦23)
805年7月(船3・船4)再再発
805年6月(船1、船2)
―(船3)
806年?(船4)
往路、瀬戸内海で遭難、一旦中止。
再出発後、第1船一ヶ槻漂流し福州に到着、第2船は明州着、第3船第4船渡海できず日本に戻る。
再再出発後、第3船難破し中止、第4船渡唐。
最澄、空海ら入唐。
副使石川道益、唐にて没。
後日別途、空海、橘逸勢が 帰国。
19.承和
遣唐使団
出 発
帰 国
特 記
藤原常嗣(持節大使・第1船)
小野 篁(副使・第2船・罷免)
藤原豊並(判官・第2船)
丹○文雄(判官・第3船)
菅原善主(判官・第4船)
良岑長松(准判官・第2船)
836年7月
(承和3)
837年7月再
(承和4)
838年6月再々
(承和5)
839年8月(新羅船)
839年9月(新羅船・常嗣)
840年7月(船2)
836年7月、出発するも嵐に遭遇し、第3船難破廃棄、渡海は一旦中止し帰京。
837年7月再出発するも難破、筑紫に戻る。
副使小野篁、乗船拒否、隠岐島に流罪。
留学僧円仁が入唐。判官藤原豊並死去。
帰途、第1船第4船は修理不可で廃棄、代わりに新羅船9隻を傭って帰る。
第2船、渤海の地に漂流、廃材で船建造し帰国。
20.寛平
遣唐使団
任 命
帰 国
特 記
菅原道真(大使)
紀 長谷雄(副使)
894年8月任命
(寛平6)
大使菅原道真の上奏により894年9月中止。
●お薦めの遣唐使等の参考図書

『平城遷都1300年記念・大遣唐使展』
奈良国立博物館
2010年4月

『特別展・遣唐使と唐の美術』
東京国立博物館・朝日新聞社編
2005年7月

『ロマントピア藤原京
95協賛特別展・遣唐使が見た中国文化〜中国社会科学院考古研究所最新の精華』

奈良県橿原考古学研究所付属博物館
1995年3月

『特別展・日中歴史街道2000年』
神戸市立博物館
1997年8月

『天平の甍』
井上靖
新潮文庫・新潮社
1964年3月

『唐から見た遣唐使・混血児たちの大唐帝国』
王勇
講談社選書メチエ・講談社
1998年3月

『悲運の遣唐僧・円載の数奇な生涯』
佐伯有清
歴史文化ライブラリー・吉川弘文館
1999年4月

『遣唐使が歩いた道』
曹復
「人民中国」翻訳部訳、二玄社
1999年7月

『遣唐使船・東アジアのなかで』
東野治之
朝日選書・朝日新聞社
1999年9月

『遣唐使の見た中国』
古瀬奈津子
歴史文化ライブラリー・吉川弘文館
2003年5月

『遣唐使井真成墓誌発見記念・日中共同シンポジウム・東アジアの文化交流を考える』
朝日新聞社・人民日報社
2005年7月

『遣唐使の見た中国と日本・新発見井真成墓誌から何がわかる』
専修大学・西北大学共同プロジェクト編
朝日選書・朝日新聞社
2005年7月

『遣唐使・井真成の墓誌』
藤田友治
ミネルヴァ書房
2006年9月

『遣唐使全航海』
上田雄
草思社
2006年12月

『最後の遣唐使』
佐伯有清
講談社学術文庫・講談社
2007年11月

『遣隋使・遣唐使と住吉津』
住吉大社編
東方出版
2008年6月

『吉備大臣入唐絵巻・知られざる古代中世一千年史』
倉西裕子
勉誠出版
2009年11月

『遣唐使の光芒・東アジアの歴史の使者』
森公章
角川選書・角川学芸出版
2010年4月

『遣唐大使・平城の華長安の夢』
中嶋邦弘
奈良新聞社
2010年9月

『遣唐使船の時代・時空を駆けた超人たち』
遣唐使船再現シンポジウム編
角川選書・角川学芸出版
2010年10月

『遥かなる遣唐使の道』
三船順一郎
宮帯出版社
2013年3月

『命の輝き若き遣唐使たち・国を背負い唐へ渡った使節の実像』
大原正義
叢文社
2013年10月

『飛鳥から平城京へ・平城遷都1300年CGでよみがえる古の日本の京』
CG日本史シリーズ
双葉社
2009年1月

『世界文化遺産・特別史跡・平城宮跡』
奈良文化財研究所
2010年3月

『平城宮第一次大極殿・大極殿』
奈良文化財研究所
2010年4月

『日本の歴史3・奈良の都』
青木和夫
中公文庫・中央公論新社
2004年7月改訂

『日本の歴史4・平安京』
北山茂夫
中公文庫・中央公論新社
2004年8月改訂

『シルクロードを行く・西安・歴代王朝の都「長安」シルクロードの起点を旅する』
学研グラフィック百科・学習研究社
2005年5月
※研究用の参考図書一覧(自著及び自著執筆上の参考にした図書、最近刊行の図書を含む)。
※ほか、出典資料として、『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本紀略』『入唐求法巡礼行記』など多くの古文書等があります。
※関連ページにLINKしています。
下記の写真をクリックして下さい。

自著紹介
『遣唐大使〜平城の華、長安の夢〜』
※日本図書館協会選定図書に指定されました

執筆活動
遣唐使をテマにした歴史ロマン小説の史実
(古文書記録)と推理創作の醍醐味
・・・・・『遣唐大使〜平城の華、長安の夢〜』
(55)古代の港、
摂播五泊と敏馬泊

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