「淡路往還道(旧道)」を辿る 
   (郷土史の談話 79)
「淡路往還道(旧道)」を辿る

(淡路往還道の北部、淡路夢舞台)
1.淡路国の古代官道「南海道」から「淡路往還道」へ
 淡路島において、古代、律令によって造られた官道は、「南海道」です。行政文書『延喜式』によると、平安京から畿内五国のうち山城・河内・和泉の三国を通過し、紀伊国から海路で淡路国(淡路島)の由良に上陸、陸路を淡路島南部の福良からまた海路で四国に向かう古代の道が設けられていました。その当時から、路線の変更や駅家の改変などが続き、横断道である「南海道」の本線以外に、複数の路線が官道として利用されるニーズがあった。特に、本州の播磨国明石から海路を淡路国岩屋に通じる「淡路縦断路」が開かれていた。ただ、路線上途中の駅家などの記録がないため、具体的なルートは分りません。
 その後、「南海道」が廃退してゆくにつれて、道の管理は地元に任せられたので、路線の維持についても紆余曲折があり、江戸時代になると阿波藩が道の整備を担った。岩屋、洲本、由良、福良など主要な港を結ぶ街道が整備されたが、、官道ルートから外れたため、主要な港の渡海船待ち用の旅籠がある程度で、一般の街道に設けられる宿場というものがなく、必ずしも十分なものではなかった、これが「淡路往還道」と呼ばれました。
  岩屋から福良に至る「淡路往還道」のうち、岩屋から広田までを「岩屋街道」と、由良から福良までの「四国街道」が広田付近で合流していた。江戸時代以降、実際の四国街道は、由良港から洲本港を通り、西に転じて下内膳にて岩屋街道と合流していた。
2.淡路往還道(旧道)の路線と現状
 淡路市淡路町岩屋を起点として南あわじ市南淡町福良まで「淡路往還道(旧道)」約48kmは、基本的には現在の国道28号のルートを踏襲しています。
(1)淡路市の岩屋〜東浦・津名旧町境界
 この区間、約16kmの距離がある。岩屋から淡路鵜崎までがほぼ南、鵜崎から東浦の小磯付近までが南西、小磯から下田までが再びほぼ南、そして下田から旧町境界までが再び南西に向かう経路となる。総じて海岸沿いを通行し、わずかな傾斜は現れるが、ほとんど起伏のない平坦な道筋であり、また大きな河川の渡渉もみられない。

絵島

ロードサイド土産店

道の駅(東浦)

伊勢久留美神社

もうすぐ取り壊される平和観音像
(2)淡路市の東浦・津名旧町境界〜洲本市下内膳
 この区間、約14kmの距離がある。旧町境界から津名の明神までが西南、明神から塩尾網城までが南、網城から洲本の下内膳までが南南西に向かう経路となる。旧町境界から塩尾網城までが海岸沿いであり、その先網城から下内膳までは丘陵・山地の間を通過する。網城までは、わずかな傾斜があるものの、起伏のほとんどない平坦な道筋であるが、網城から先は丘陵・山地を上り下りする起伏のある経路となる。大きな河川の渡渉はないが、小河川の渡渉がかなりみられる。

八浄寺

津名港

おおころアイランド
(3)洲本市下内膳〜南あわじ市南淡町福良
 この区間、約18kmの距離があり、ほぼ南西に向かう経路である。三原平野を横断する道筋であり、ほとんど起伏が見られないものの、洲本の緑町広田中山と南あわじ市三原町八木養宜上との間の中山峠(標高67.7m)、そして南あわじ市賀集八幡西と福良東本町との間の峠(標高32.4m)の2か所に峠が現れる。また大きな河川の渡渉はないが、小河川の渡渉がかなりみられる。

下内膳の傾斜した力石

国分寺

淳仁天皇陵

福良バスターミナル
 国道28号と即かず離れず、淡路往還道(旧道)は淡路島を南下します。上図の赤い線のルートが旧道です。約48kmの行程、1日では到底無理なところ、数日かけて踏破してみませんか。(2020年10月)
※2.の「路線と現状」については、下段の参考資料1を参照しました。
淡路往還道(旧道)路線図
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※参考資料:
1.『歴史の道調査報告書全集10“近畿地方の歴史の道10”兵庫2』兵庫県教育委員会(海路書院)
2.『完全踏査・続古代の道(山陰道・山陽道・南海道・西海道)』武部健一著(吉川弘文館)
※下の「写真」をクリックして下さい。

(47)古代の道と
駅家 (うまや)
〜兵庫県内〜

(18)古代の道
「山陽道」
駅家(うまや)を辿る

(57)古代の道
「山陰道」
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(62)古代の道
美作道・因幡道」
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