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古代の道「山陽道」の駅家(うまや)を辿る | |||||||||||||||
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2.古代の道「山陽道」の駅路図 古代の道「山陽道」は、都と大宰府を結ぶ最大の幹線道でした。五畿七道の中でも「大道」としての格付けで、40里(約16km)ごとの豪勢な瓦葺粉壁の駅家、駅馬も20匹を常備していました。『延喜式』によると、京都を出た山陽道は、「山埼駅」(京都市)、「草野駅」(箕面市)を経由し下河原(伊丹市)あたりから兵庫県内に入ります。 下図の路線概略と駅家については、『延喜式』には「邑美駅」と「佐突駅」の記載がないので、当時は廃止されたものと思われます。駅路は、平野部は直線的に、高い丘は迂回しながらも極力短距離を、また峠などは難路の程度和らげながら低地を地形に併せて通っていたようです。 それでは、以上のことなどから考察して、まず図面上で、山陽道の駅路を辿ってみましょう。 |
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3.古代の道「山陽道」の駅路・駅家を辿る(兵庫県内) 上の図面に基づき、駅路の重要な通過地点および駅家跡などを見てみましょう。駅路については、まだ確定された部分は少なく、気象条件に左右される駅路もあって、迂回路を含めて種々学説があります。また、駅家の位置も発掘等で確認された「邑美駅」「賀古駅」「布勢駅」「野磨駅」を除いて諸説の候補地がありますが、とりあえず、私なりの一考察を加えてみました。 |
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【「須磨駅家」から「明石駅家」に至るまで、3つある迂回駅路ルートについて】 前田公園周辺ないし太田町遺跡から「明石駅家」に至る駅路ルートについては4案ある。うち、(1)以外の(2)〜(4)の3案が迂回路。 (1)「海岸路」=前田公園周辺「須磨駅家」〜境川〜塩屋〜滝の茶屋〜舞子公園〜朝霧〜「明石駅家」 (2)「白川・長坂路」=「須磨駅家」〜板宿〜白川峠〜大山寺〜伊川谷〜長坂〜「明石駅家」 (3)「多井畑・塩屋・海岸路」=「須磨駅家」〜多井畑峠〜多井畑神社〜塩屋〜滝の茶屋〜舞子公園〜朝霧〜「明石駅家」 (4)「多井畑・塩屋内陸・断崖上舞子路」=「須磨駅家」〜多井畑峠〜多井畑神社〜塩屋西〜五色塚古墳〜舞子公園〜朝霧〜「明石駅家」 この4つの駅路ルートのうち、気象条件によって通行の難易度が変わってくる。(1)の「海岸路」は最短距離であり、大雨や大風が無い日は利用されていたであろう。一応、本道とみなされている。しかし、暴風雨にでもなろうなら、内陸の迂回路を通ったであろう。(2)の「白川・長坂路」に入るには、太田町遺跡「須磨駅家」からが便利で、妙法寺川(白川)と伊川谷を川沿いの比較的低地を進むが、かなり遠回り・長距離であることは否めない。 (3)の「多井畑・塩屋・海岸路」については、須磨から塩屋にかけての断崖海岸路を避けることができるが、塩屋から海岸路を採ると、滝の茶屋の断崖・滝・狭い海岸があって、同様の難儀は降りかかる。とすると、悪天候時の迂回には、(4)の「多井畑・塩屋・断崖上舞子路」なら、海岸路を避けて、なおかつ距離的なロスが無いことから選択されるべきコースと思われます。それで、この(4)のルートが最近注目されています。 |
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【須磨駅家からの迂回駅路「多井畑・塩屋内陸・断崖上舞子路」について】 内陸の多井畑神社へは、奈良時代末期に畿内最西端に祀られた厄除け神社で、言わば常用の路。ここから「明石駅家」へは、ほぼ直線的に西方に進むのが最短である。しかし、途中の高丸(垂水区)地区などの複数の尾根を横断して海岸の幅広く松林が広がる舞子に出て、あと比較的楽な海岸路を向かうのが、地理的・距離的にも最適な迂回路と考えられます。 但し、最近の研究で、塩屋から舞子へ海岸沿いではなく、また多井畑から内陸を尾根越えで直行するよりも、塩屋西側の断崖上の台地を五色塚古墳の北側を西進する道路が存在した史料もあり、続いて舞子方面に行けるこの迂回路が一番リーズナブルでしょう。 よって、このルートが須磨駅から明石駅への本道であったのではないか、との議論がされています。 |
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山陽道の駅路や駅家については、全国的にみて比較的に比定が進んでいるが、まだまだ分からない多くの地点が残されています。今後も、更なる発掘調査、研究が望まれます。(2022年1月) | |||||||||||||||
※参考資料:『歴史の道調査報告書全集9“近畿地方の歴史の道9”兵庫1』兵庫県教育委員会(海路書院)、『歴史の道調査報告書全集10“近畿地方の歴史の道10”兵庫2』兵庫県教育委員会(海路書院)、『山陽道駅家跡〜西日本の古代社会を支えた道と駅〜』岸本道昭著(同成社)、『完全踏査・続古代の道(山陰道・山陽道・南海道・西海道)』武部健一著(吉川弘文館)、『古代官道・山陽道と駅家〜律令国家を支えた道と駅〜』兵庫県立考古博物館、『明石の古道と駅・宿』発掘された明石の歴史展実行委員会・明石市、『ひょうごの遺跡』兵庫県立考古博物館、『古代道路の謎〜奈良時代の巨大国家プロジェクト〜』近江俊秀著(祥伝社)、『日本の古代道路を探す〜律令国家のアウトバーン〜』中村太一著(平凡社) など | |||||||||||||||
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