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古代の道「南海道」の駅家(うまや)を辿る | |||||||||
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●駅家の配置と経路 | |||||||||
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1.前期(768年神本駅廃止以前)の大野駅の比定には、大きく2説ある。
1つは、洲本市大野の大野白髭神社周辺(野上遺跡)とするもの。経路は、由良駅(洲本市)から海岸沿いに北上して小路谷(同)へ、そこから内陸へ入り、千草(同)、物部(同)、宇原(同)を通り大野白髭神社前(大野駅A説、洲本市)に至る。
そこからは広田(南あわじ市)へ向かう。もう1つは、同じく洲本市大野の大野樽池付近とする。上記の千草から築狭神社、猪鼻、池内、新村を経由して大野樽池付近(大野駅B説、洲本市)に至り、そこから同じく広田(南あわじ市)へ向かう経路である。 広田からは、次の神本駅を目指す。神本駅の比定にも2説ある。1つは、中山峠から八木茶屋池を西へ榎列下幡多(えなみしもはた)(神本駅A説、南あわじ市)を経由して、そこから榎列大榎列(えなみおおえなみ)、国府のあった十一ケ所、国衙を通り、福良駅(南あわじ市)に至るもの。もう1つは、同じく広田から倭文長田(しとおりながた)、榎列掃守(えなみかもり)から南へ、榎列大榎列(神本駅B説)、南あわじ市)を経由して、前記C説と同じ駅路を辿り、福良駅に至る。 |
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2.神本駅が廃止された後の後期の大野駅は別の立地が窺える。由良駅(洲本市)から海岸沿いに北上して小路谷(同)へ、そこから内陸へ入り、同じく千草(同)からは北西方面の物部(洲本市)、加茂、下内膳を通り、上内膳(下内膳遺跡西端部)(大野駅C説、洲本市)に至る。あとは神本駅が廃止されたので、直接に、広田に出て、八木養宜、八木立石、国衙を通り、福良駅に至ったものと考えられる。 | |||||||||
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●南海道における駅家(兵庫県内) | |||||||||
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淡路島内(兵庫県内)を通っていた南海道の駅家や経路の比定には、まだまだ遺跡発掘や研究調査が必要と思われます。今後の一層の進展を期待します。 (2015年8月) |
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※参考資料:『歴史の道調査報告書全集10“近畿地方の歴史の道10”兵庫2』兵庫県教育委員会(海路書院)、『完全踏査・続古代の道(山陰道・山陽道・南海道・西海道)』武部健一著(吉川弘文館) |
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