阪神・淡路大震災の「兵庫県南部地震」振り返り考察〜教訓にならなかった過去の神戸の地震と警告、来る巨大災害に備える〜
 (郷土史の談話41)

人と防災未来センター(HAT神戸)
 阪神淡路大震災の時に「神戸には地震は無い」という迷信(怖いものは信じたくないという願望か)が、防災への油断をもたらした要因であったことは、今となっては良く分かる。400年余前の慶長伏見地震による被害は確実にあったし、この110年も経っていない明治後期の神戸群発地震騒動や、震源も兵庫県南部地震と同じだった明石海峡東部地震さえも人々の記憶から消え去っていたのは残念至極です。
 「後講釈」と言われようと、兵庫県南部地震が発生する前の一連の出来事を振り返ってみて、あの時に何かできたのではないかとの反省し、将来の防災減災に役立てられることを期待したい。
(写真右:阪神淡路大震災やその他の地震・災害や防災・減災の記録や資料が集められ、閲覧できる「人と防災未来センター」の資料室)
1.兵庫県南部地震までの教訓と警告
(1)昭和の南海トラフ地震前50年の活動期に起きた「神戸群発地震(六甲山鳴動)」(後述)
  ・1899.7.5(明治32年)  約1年間有馬温泉を中心とした群発地震。
(2)同じく、兵庫県南部地震とほぼ同じ震源地域で起きた「明石海峡東部地震」(後述)
  ・1916.11.16(大正5年)  M6.1 兵庫県南部地震の前震か。
(3)そして、1943年(昭和18年)の鳥取地震や1945年(昭和20年)の三河地震を含めて、南海トラフ地震が相次いで2年の半割れ状態を解消するようにダブル発生。
  ・1944.12.7(昭和19年) 昭和東南海地震 熊野灘沖M7.9
  ・1946.12.21(昭和21年) 昭和南海地震 紀伊半島沖M8.4
(4)戦後、南海トラフ地震後では明石海峡等神戸周辺での戦後の地震平穏化が続く。
(5)戦中戦後に起きた南海トラフ地震から30年後に警告、しかし調査報告書の未公表(一般市民には公表されなかった「まぼろしの報告書」)。
  ・1974年(昭和52年) 神戸市における地震対策調査の報告書『神戸と地震』
    ※「将来、都市直下型の大地震が発生する可能性はあり、その時には断層付近で亀裂・変位がおこり、壊滅的な被害を受けることは間違いない・・・・」
  ・1974年(昭和52年) 通産省地質調査所の報告『神戸地域の地質』で、同様の可能性を指摘。
  ・1974.6(昭和52年) 神戸新聞が報告書警告記事を掲載。
    ※「神戸にも直下地震の恐れ・・・」
(6)神戸新聞が報告書の警告記事を掲載。
  ・1995.1.8(平成7年)  ※「京阪の断層300年も沈黙 M7級地震 近く続発か」
  ・1995.1.8(平成7年) 関西の地震活動期入りで神戸新聞の正平調で「なまず年になる?」と掲載。
(7)兵庫県南部地震の前触れ「猪名川町群発地震」
  ・1994.11.9(平成6年)  M4.0 深さ6.9km
(8)関西地域が地震活動期入りの警告掲載。
  ・1995.1(平成7年) 関西の地震活動期の記事掲載雑誌「週刊現代」が地震当日に発売されていた。
(9)前触れ現象か、「明石海峡微小地震」が群発する。
  ・1995.1.16(平成7年) M3.6、?2.5、M1.5、M2.1の4回。いわゆる前震。
  ・1995.1.17(平成7年) 神戸新聞の朝刊に「16日午後6時32分ごろ神戸で震度1(微震)があった」
(10)遂に、兵庫県南部地震が起きる。
  ・1995.1.17(平成7年) M7.3 明石海峡地下約16km
  ・後日、地震予知連絡会会長が「西日本は活動期に入ったと思われる」と発表。
 兵庫県南部地震が襲来したとき、兵庫県や神戸市では基本の災害対策計画での地震想定は震度5であった。震度7の前に未曾有な激甚被害を被ったが、これらから得た教訓や改善の取り組みから、現在今日の防災減災対策、震災復旧復興対策、学術研究対策に反映され進歩を続けている。(2026年1月)
2.阪神淡路大震災への教訓にならなかった明治・大正期の神戸群発地震・明石海峡東部地震
(1)130年前の神戸群発地震(明治32年、1899年)
 今を去る130年前、神戸市を突然に群発地震が襲った。1899年(明治32年)7月5日、六甲山を中心に、不気味な地鳴り、戸や障子が揺れて外れるほどの地震動が1年間続いた。その年の春先、3月7日に起きた熊野灘地震(*1)の4ヶ月後のことである。
六甲山北側(有馬側)山麓
 六甲山の方向から聞こえてくる鳴動(地鳴りと震動)は日を追うごとに回数を増し、8月中旬には日に200回、地震も11月には日に33回を数えるほどになった。当時はまだ地震計を設置するなどの観測体制は取られておらず、地震記録には残されていない。
 この年の11年前(明治21年)には会津で磐梯山の噴火、山体崩壊という激甚災害(*2)が発生しており、更に100年ほど前の江戸後期には浅間山の噴火(*3)、もっと昔にはイタリアのヴェスヴィオ山噴火によるポンペイ都市の埋没(*4)などが伝わっており、神戸の人々の不安は如何ばかりか。「すわ、六甲山の大噴火、大地震の前兆」と大騒ぎになった。
※1 熊野灘地震:明治32年3月7日午前9時40分、マグニチュード7.3の烈震が発生。震源は三重県熊野灘沖の海底。尾鷲、木本管内を中心に三重県で死者7人、負傷者199人などの地震被害、津波は起きず。
※2 磐梯山噴火災害:明治21年7月15日、前兆となる地震を伴って7時45分に噴火を開始。 北麓の小磐梯山頂上付近が消し飛んで磐梯山が山体崩壊を起して、5村11集落が埋没して477人が犠牲。長瀬川が堰き止められて、桧原湖、五色沼などが形成され、河川決壊による土石流、火山泥流など下流地域に大被害を及ぼした。
※3 浅間山の噴火:1783年(天明3年)の4月9日、浅間山北麓から大噴火。火砕物の降下、火砕流、岩屑なだれ、泥流、降灰なども伴い、利根川流域の関東平野に、死者1,634名、流出家屋1,151戸のほか、江戸までも降灰被害を及ぼした。
※4 ヴェスヴィオ山噴火:近年まで時々噴火して災害をもたらしている。特に紀元79年8月24日の大噴火による火砕流でポンペイ市などが市民の生活状態のまま埋没した。
※5 慶長伏見地震:1596年(文禄5年)9月5日、マグニチュード7.0〜7.1、京都伏見付近が震源。京都を中心に京阪神、神戸、淡路島にも被害が及んだ。死者は京都や堺で1,000人以上とされるが、詳細は不明。
 当時、この騒ぎに、地元の新聞社も記者を六甲山、摩耶山に派遣して現地取材を敢行、「六甲山鳴動探検記」としてレポ、市民読者の注目するところとなった。
『六甲山鳴動探検記』
(江見水蔭氏の著書より)
『六甲山鳴動探檢記』(神戸新聞、明治32年7月掲載。江見忠功(水蔭))より

@ 『六甲山の鳴動が不幸にして彼の往年の磐梯山の如き大破裂の前兆であらうものなら、實に由々しき一大事であるのだ。萬一、萬々一、噴火か噴水かの大災厄が起ると仕た時には、單に山麓の諸町村が火砕泥海と為るのみならず、エスヰオ山(ヴェスヴィオ山)の破裂にポンペイの市府が埋没した、それ程にもなるまいが、浅間山の噴火に江戸の八百八町が悉く灰土を冠った、それ處の被害では迚(とて)も済むまい−−我が神戸市は。・・・』
A 『・・・有馬の浴客は此夏の盛り時に際し、安んじて温泉を齢を延べる處ではなく、皆肝を縮めて、下山復下山。有馬開闢以来の大椿事である。・・・』
B 『分署長の調査、測候所長の出張、震災豫防調査會よりも嘱託員が出張するといふ今日。自分は友人松田琳雨子と共に、六甲山に向かって出發し、・・・其探檢の有様を、細大漏らさず讀者に報じやうと思ふ。・・・』
C 『・・・六甲山頂の測量標の下に、本陣を構へ、探象流の視察を下さうとする此時。果然、鳴動の第一聲は来れり。・・・遠雷の如き音響を聴くと同時に、僅かに薄弱なる電気の感じる時の如き小微動を身に覚えたのみだ。・・・此小鳴動の来りたるは、・・・それは有馬町の方ではないか。・・・正午十二時頃、第二の鳴動は来った。一刹那の断震である。鳴響もあまり大いなる物では無い。・・・』


有馬温泉背後の六甲山斜面(蓬莱峡) 

(明治後期の六甲山。群発地震当時はまだ六甲山は裸山同然で、植林事業がやっと始まった頃)
 この事態を重視した文部省は、7月に震災予防調査会の今村氏を、8月には地震研究の大家、大森博士を派遣。地中の空洞の崩落とか、地震の一種でないかとして、六甲山での火山活動の兆候は見られないとして、噴火説を否定。この鳴動の中心は、どうやら六甲山の北側の有馬温泉あたりと思われ、ここでも11月頃から温泉の湧出量倍増、温度上昇、温泉水の下流方面での農業作物被害も出た。
 さしもの、激しかった鳴動も、翌年の明治33年2月頃より次第に収まりはじめ、7月頃には日に1、2回となって、遂に1年に亘った鳴動は沈静化した。
 この騒動は「有馬鳴動」あるいは「六甲山鳴動」として伝わっているが、いかに観測体制が不備で、データが残されていないと言っても、六甲山周辺の活断層において鳴動を伴う群発地震であったことは明白である。 (2013年4月)
(2)110年前の明石海峡東部地震(大正5年、1916年)
 神戸市を突然に襲った群発地震「六甲山鳴動」から10年余り経った大正5年11月26日午後3時8分にも、今度はレッキとした大地震が発生しました。明石海峡東部海域で、マグニチュード6.1、淡路島北部と明石、神戸にかけての地域でかなりの被害が発生しました。正に阪神淡路大震災と規模は小さいが、全く同じ震源地で起きたのです。
  神戸でのおおよその震度は、舞子から塩屋、兵庫から三宮の旧中心部が震度5強から弱、須磨、長田辺りが震度5弱から4、と推定されています。ただ、阪神淡路の時の震源の深さは14kmだったのですが、この時はもっと浅く小規模だったと思われています。被害は、記録では、神戸市で、負傷者2名で塀や煙突の倒壊、亀裂や崖崩れ、水道管破裂など少々出たとなっています。
 しかし、当時の新聞報道を見てみますと、結構市内各地で被害が出ています。
『26日午後3時過ぎ、絶えて大地震を見ざり神戸市は、俄然一大強震に襲われ、折柄前日来の陰雨尚そぼちいたるにも拘わらず、屋内にありたる老若男女悲鳴を挙げつつ先を争って戸外に駈け出し、一時全市大混乱を極めたり』
また、『最初の強震後15分間を於いて、更にやや強き振動を覚え、・・・全市震駭、全く恐怖の色にとざされたり。・・・程なく平静状態に復したり。即ち強震・微震を加え4時間に亘り都合6回の震動を見たり』
  具体的には、中山手通の誰それ邸で、土蔵や塀が倒壊、運河西の風呂屋の煙突倒壊、鉄工所の壁崩落で負傷者、物置で2階の灯油缶が1階の火鉢に落ちて火事、通行中の人が倒壊塀の下敷き、神戸駅の車掌室や事務員室、ミカドホテルの壁崩落、神戸電鉄の変電所の煉瓦壁や平野や西須磨の道路に亀裂で通行不可、兵庫運河の橋が開閉できず船舶動けず、神戸駅構内の無人機関車が動き出し他に衝突、蒸気機関車が桟橋の車止めを突き破り海中に転落したとか。
  前回の群発地震の時もそうですが、大正年間に起きた阪神淡路大震災とそっくりな地震のことも忘れて、「神戸に地震は無い」とは、全くもってナンセンス。「地震があっても大したことない」「嫌なこと怖いことには目をつぶっていよう」ということだったんでしょうね。(2013年4月)
※サンTVの番組「ニュースポート」で、放送解説(2014年2月)
※FMわいわい局の番組「アフタヌーンねね」で放送解説(2013年1月、2月)
3.千年に一度の巨大災害が伝えること
 1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以来、それまでの比較的平穏だった西日本は地震等の活動期に入った。注目すべきは、西日本だけでなく、日本全地域において活動期になっている。特に、2011年の東北沖地震(東日本大震災)は超巨大で千年に一度の規模、平安時代の東北を襲った貞観の地震・津波が伝承ではなく史実であることの再来であったこと。
 千年を隔てた双方の巨大地震の周辺前後50〜60年間を比較したところ、貞観の時代の変動が平成・令和の時代の私たちに次なる警告を示していることに他なりません。
 貞観の地震・津波は、869年(1150年前)に発生しました。この災害は古文書『日本三代実録』に記載されていたのです。でも、あまりの大災害の規模に、実在性が疑問視されていました。この最近10〜20年前の研究で、東日本大震災時と同程度の津波痕跡を発見、実在証明と15m津波襲来を警告する研究者が増えていましたが、直ぐには学術界・原発界の主流・総意になりませんでした。ただ、2011年5月の学会で問題提起して本格検討を始める予定だったと伝わっていますが、実際の防災対策に反映されないうちに3月11日を迎えたのです。
 歴史は大切な何かを伝えています。歴史とは、古い事実・知識の集合だけではありません。現在や未来を知る宝庫なんです。
『過去を知れば未来が見える!』
『歴史から学ぼうとしない者は、痛い目に逢うことになる!』
(2026年1月)
貞観の時代と最近の地震・噴火の対比

※この項目・表は、東日本大震災の直後から、「千年に一度」「貞観の時代」との比較検討することによって「歴史から何を学ぶか?」のテーマで若者たち(高校生)に伝える機会に、毎年修正を加えながら解説に使用しているものです。
※兵庫県内の高校の特別授業や一般サークル会などで講演、FMわいわい番組などで解説
(2014年〜、2026年1月)
4.(参考)平成・令和の災害と、これから起きるであろう国難級災害
 平成年代に入って、阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)を端緒として西日本のみならず日本全土で「大地変動期」を迎えました。集中豪雨の激化やスーパー台風など大規模気候変動も加って、主だった国内大災害を特筆すると、「阪神淡路大震災」から「東日本大震災」へ、併せて「福島原発事故」、世界的なパンデミック「新型コロナ禍」、「能登半島地震と豪雨」と続いています。
 また、これから起きるであろう国難級災害も、「南海トラフ大地震」「首都直下地震」「富士山の噴火」「スーパー台風・高潮」ほか日本各地で迫りくる大地震が予想されて、次々と研究や対策が進められています。(2026年1月)
平成・令和の災害



 
これから起きるであろう国難級災害


※兵庫県内の高校の特別授業で解説(2015年〜、2026年1月)
【主な参考資料】
・『災害対策全書(1)災害概論』『災害対策全書(2)応急対策』『災害対策全書(3)復旧復興』『災害対策全書(4)防災減災』『災害対策全書(別冊)「国難」となる巨大災害に備える』 (公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構(ぎょうせい)2011、2015
・『防災士教本』NPO法人日本防災士機構
・『兵庫県地震災害史〜古地震から阪神淡路大震災まで〜』寺脇弘光(神戸新聞総合出版センター)1999
・『日本災害史』北原糸子(吉川弘文館)2006
・『活断層のリアル』尾池和夫(PHP新書)2025
・『災害列島の正体〜地震が解き明かす日本列島の起源』鎌田浩毅(芙蓉社新書)2025
・『M9地震に備えよ〜南海トラフ・九州・北海道』鎌田浩毅(PHP新書)2024
・『首都防衛〜知らなかったですまされない最悪の被害想定』宮地美陽子(講談社現代新書)2023
・『富士山噴火と南海トラフ〜海が揺さぶる陸のマグマ』鎌田浩毅(講談社)2019
・『科学の目で見る 日本列島の地震・津波・噴火の歴史』山賀進(ベレ出版)2016
などなど
※下の写真をクリックして下さい。リンクします。

(4)阪神淡路大震災も忘れてならない郷土の歴史

(30)阪神淡路大震災
の記憶を未来につなぐ
災害遺産・震災メモリアル

(50)公開された阪神淡路大震災のオーラルヒストリー(口述記録)

(18)ひょうごに災害を及ぼした主な地震一覧
(pdf)

(8)夢灯す、光の彫刻
「神戸ルミナリエ」


編集担当図書紹介
『災害対策全書』
※全国で好評、品切れ近づく。中国語翻訳の出版。増補版が進行中

FMわいわい番組「ゆうかりに乾杯!」放送記録
(70) 東日本大震災の被災地を再訪して
(2013年9月放送)(pdf)

(23)ロンドン大火からの復興を記念する「ザ・モニュメント」(英国)

FMわいわい番組「ゆうかりに乾杯!」放送記録
(88) 福島の原発事故被災地を訪問
(2014年11月放送)(pdf)

共著紹介
『阪神・淡路大震災から
20年 私のたたかい』
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