国鉄・神戸港臨港線跡を辿る
  (郷土史にかかる談話 77)

  日本の近代化に合せて増大する輸出入貨物対応や海外旅客の輸送という需要に押されて、神戸の港湾施設と鉄道を直結し、貨物取扱施設の整備や市街地の鉄道高架化などが急速に進められてきた。
 幹線の東海道線の灘駅東側(灘連絡所)より、神戸港(小野浜荷物取扱所)まで、次いで神戸駅に隣接する貨物専用の湊川駅まで、そして戦後の摩耶などの東部埋立地へと向かう新線「阪神臨港線」の事業計画によって、阪神電鉄「春日野道駅」南から東進して灘浜(灘浜信号所)を経由して摩耶埠頭駅までが拡張されてきた。
 しかし、その後の輸送革命や時代の変遷などから、昭和末期、平成に入って次々と廃止されるに至った。ほとんどの区間は住宅、道路、公園、施設ヤードに姿を変えてきた。僅かに、灘駅南周辺から春日野道辺りまでは細長い公園・散歩道へと保存、整備されている。その部分を辿ってみよう。(2020年5月)
 (左写真:散歩道内に設置されていた廃線路。ただし、現在は撤去され、ミニチュア鉄道線路に変わっている)
1.神戸港臨港線路線図
2.路線の開業と廃止
@灘連絡所(東灘信号所)〜小野浜荷物取扱所(小野浜駅)
  3.4km 1907(M40).8.20開業
A小野浜駅〜神戸港
  1.5km 1924(T13).8.3開業
  ※第1〜第4埠頭まで 1922(T11)
  ※第5〜第6埠頭へ  1930(S5)
B神戸港〜湊川駅
  2.4km 1928(S3).12.1開業
C小野浜駅と神戸港を統合し神戸港駅へ  1939(S14)
D神戸港駅〜灘浜信号所〜摩耶埠頭駅
  4.5km 1972(S47).4.20開業
E神戸港駅〜湊川駅の廃止 1985(S60).3.1廃止
F神戸港駅〜摩耶埠頭駅の廃止 1986(S61).11.1廃止
G神戸港駅〜東灘信号所の廃止 2003(H15).12.1廃止
3.神戸港臨港線(岩屋〜春日野道)を歩いてみよう。

操車場にあった東灘信号所は、新駅「摩耶駅」開設で撤去

岩屋駅南道路の廃線路の東側 は新しいマンションに

同左西側の廃線跡は散歩道の公園に変貌

同場所の廃線後放置されていた風景(2008年)

同場所の整備工事中風景
(2009年)

同場所の公示竣工予想図
(2009年)

臨港線の解説看板

廃線跡を西へ歩く

開通時(1907年)の線路護岸

同左

同左

どんどん西へ向かって

現在はミニチュア軌道敷が整備されている

散歩道整備直後には残っていた廃線路(今は撤去)

国道2号を跨ぐ跨線橋

補修工事のレリーフ

跨線橋を渡った根本に祀られている乙女塚

左の高い高架の向こう側に小野浜駅(神戸港駅)があった

神戸震災復旧記念公園になった神戸港駅跡

神戸港の第1〜の埠頭を望む

神戸港駅から湊川駅へは、神戸税関の北側を西進していた

居留地南側、緑地の北側が線路跡

湊川駅のあった現在のハーバーランド、左から軌道が入線していた

湊川駅周辺にあった倉庫群(ハーバーランド内)
※関連ページです。下記の写真をクリックして下さい。

(21)鉄道廃線
ノスタルジア

(5)鉄道廃線一覧表
(兵庫県内)
(pdf)

(72)幻の東播磨鉄道計画、一考察

(76)神戸の市街地を走っていた「国鉄鷹取南専用線」の廃線敷を辿る

(75)「鉄道廃線」福知山線廃線敷を辿る
当研究館のホームページ内で提供しているテキスト、資史料、写真、グラフィックス、データ等の無断使用を禁じます。

※クリックして下さい。
「郷土史の談話室」メニュー へ戻ります。

※クリックして下さい。
「神戸・兵庫の郷土史Web研究館/地域創生・ツーリズム研究所」のトップ・メニューへ戻ります。

※クリックして下さい。
「テーマ(課題)別メニュー」 へ戻ります。